恋愛

□“彼”
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恋人。


その単語が、彼と私を結ぶ言葉だと、彼は言った。

私は、その言葉をすんなりと受け入れることができた。
おかしいとは、少しも感じなかった。

それに、頭の中にいくつかの記憶が流れてくる。
それにはみんな、彼が映っていた。

思い出せなかった音楽を、やっと思い出せたような嬉しさ。

彼のことが愛おしくてたまらない。

それなら私たちは、本当に恋人同士だったのかな。

彼のことはまだ全部思い出せていないけれど、彼を見る度に愛しいという感情が私の中に溢れてくる。
それが何よりの証拠に思えた。

それに……もしかしたらあの写真の彼は、目の前の彼だったのかもしれない。

恋人同士だから、私の隣にいたのか。

私と彼が恋人同士なら、全て説明がつく。

だから私は、お気に入りの服を着ていた。彼と出掛けるなら、私はきっとそうする。

私が写真に写った彼に見惚れていたから、弟は不満そうにしていたのか。

でも、そういえばなんで弟は、あんな写真やポスターを持っているんだろう。

……考えたくない。

無理矢理に思考を切って、目の前の彼を見つめた。

……あぁ、本当に彼は綺麗だな。
格好いいし、ひとつひとつのパーツが整っている。
それに優しくて、ふわふわしていて。
何もかもが私を惹きつける。

見ても負の感情しか湧かない弟とは大違いだ。
どうしてこんなにも似ているのに、こんなにも違うのだろう。

というより、どうしてこんなに美しい彼と、あんな弟が似てしまったのか不思議でならない。


あんな鬱陶しい奴、いなくていい。
いつもいつも邪魔ばかり。

私のことを『お姉ちゃん』とか呼んだことなんてまるで無い。生意気な奴。
その癖『弟だから』と引っ付いてきて、友達との外出に割り込んでくる。
本当にうざったい。

時折変な行動するし、変なこと言うし。

これで私と彼との仲を邪魔するようなことがあれば、絶対にただじゃ置かない。


「……何、考えてるの?」
「っ! ひ……、やぁっ、あ……!」


考え込んでいたところに、突き抜けるような刺激が走って、体が震えた。

渇きかけていた目元が潤み、涙となって外にこぼれ落ちる。
入り込んだ指が、さっきよりも速く動きだした。

彼は少し冷たい、怒ったような目で私を見ていた。

「またあいつのこと考えてたの?」
「ち、違っ……あっ、ん……」
「……嘘つき」
「や、待って……っ」

低くて重い声色に、焦って体を起こそうとする。
けど肩をベッドに縫い止められて、それもできなくなる。

不安に圧されて、彼を見つめた。
彼も私を見つめ返す。

怒った彼は、少し怖い。

そう言えば何度か、こんな風に抱かれたことがあった気がする。
嫌って言っても止めてくれなくて、泣いて、悲鳴のような嬌声をあげて。

何度も気を失って、そしてやっと終わりにしてくれた。

……また、今回もそうなのだろうか。

胸に、不安と恐怖が渦巻く。
彼のことは大好きだ。
でも、強制的に与えられる快感は好きじゃない。
自分が分からなくなる。

彼を、恐ろしく思ってしまう。

それが嫌だった。

涙の滲む瞳で、彼を見上げる。

始めは怒ったように眉を寄せていた彼だけど、やがて弱ったように眉を下げた。

「そんな顔しないでよ。俺が強制してるみたい。恋人なのに」

強制……じゃないのか。

私的には目が覚めたらいきなりこうなっていたから、強制とほぼ変わらないのだけれど。

そんなことをぼんやりと思っていると、その指がまた動きだした。

再び、背筋を突き上げる奇妙な感覚が襲う。

「ふあ、やぁ……っ、あっ、あ……っ!」

「でもこれは、制裁、だからね」

「ん、んんっ……ひ、ぁあっ!」

粘着質な水音と、鼻を通る艶っぽい声。
とても自分のものとは思えない。

挿し込まれた指に合わせて腰が勝手に動いて、私を昂らせていく。

彼の声に、反抗もできない。
頭が真っ白になって、気だるさや虚無感に意識が浸食される。

「は、ぁ……、ん」

顔を横に倒すと、汗が頬を伝った。

もう、体を動かすのも面倒だ。

涙でぼやけた視界には、見慣れた棚や小物が映る。

そしてここが、弟の部屋だと改めて認識した。


……私、弟のベッドで何てことやってるんだ。
兄弟のベッドで恋人と……なんて普通やらない。

こんなこと、弟と正反対に位置するような常識人でも怒るだろう。
それに、異様に私に執着する弟のことだ。ばれたらきっと厳しく問い詰められる。
というか、問い詰められるだけで済まされるならいい方だ。

あいつは本当に、何をやらかすか分からない。

……とりあえず、ここから離れよう。


「……ね、ねぇ、……あの、場所、変えよう?」

私の上に覆い被さる彼を見つめて、そう頼んでみる。

こんなところでこれ以上続けるなんて、とても受け付けられない。

彼だって、恋人の弟のベッドでやるのは嫌なんじゃないか。

私はもう充分だし、行為をやめても構わない。
でも彼はそうもいかないと思う。

だったらせめて、場所を変えて……。


ところが、彼の口から出た答えは、私が望んだものではなかった。


「駄目」

「え……っ?」

「駄目。ここでやる。全部」

「ぜ、ぜ……全、部?」


それは一体どういう。

というか、さっきのお願いは肯定を前提としたお願いな訳で。
そんな、駄目と言われても困る。

私は戸惑って、瞬きを繰り返しながら彼を見つめた。

彼はにっこりと微笑んでから、私の唇に触れるだけのキスを落とす。

そして目を細めて、蕩けるような声で囁いた。

「君自身が、君の弟に分からせてあげてよ。君が誰のものか」
「え……」
「もしかしたら聞いてるかもね? 部屋の外にいるかも」
「な、何言って……」

不安を煽る言葉ばかり吹き込まれて、まるで鉛でも乗せられたかのように胸が重くなる。

弟が、いる? 部屋の外に?

それは、普通に有り得ること。
だってここはお父さん、お母さん、私、そして弟の住む家でもあるのだ。

加えてここは弟の部屋。
いつ弟が入ってきてもおかしくない。

でも、弟は何故かそういうときだけ行動しない。

いつか、彼の家に泊まりに行った時とか、弟は少しもちょっかいを掛けなかった。

……でも一度だけ、弟が邪魔をしたことがあったっけ。

確か、バレンタインの時。

私は彼に、何かをあげようとした。
そしたら弟が、邪魔をしたのだ。

そしてそのあと、私は……、


……あれ、どうなったんだろうか。


分からない。覚えていないのかもしれない。

でも、何かあった気がした。

そう、だから、油断なんてできない。

弟が、入ってくるかもしれない。
もしかしたら彼に危害を加えるかも……。

そんなの、そんなの駄目だ。

どうにかして、ここから出ないと。
逃げないと。

「……ねえ、どこ見てるの。君は、俺だけ見てればいいんだよ」
「え? っ!! や、あっ!」


響いた彼の声と、いきなり走った感覚にびくりと体が跳ねる。


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