恋愛

□“弟”
3ページ/3ページ



私は叫びながら弟の腕にしがみついて懇願する。
けれど、弟は無情にもそれを聞き入れることなく、その人を汚し続ける。

女の底力的な何かで必死に止めようとしたけれど、弟の食べ物の恨み的な何かには敵わない。

もうどうすればいいんだ!!
彼の顔に\(^0^)/マーク描いている弟をどうやって止めれば……っ!!

「わ、分かった!! 分かった、私チョコ作る!!」
「…………」

ぱっと思い付いたことを口にすると、弟の動きが止まった。

やがて弟はこちらを振り返って、そして大きく息を吐いた。

「……いいよ。いらない」
「……え……?」

弟の言葉の意味は、分かった。
でも、それがあまりに意外で思わず聞き返してしまう。

目を丸く開いて、いつもより多く瞬きをする。
そんな様子に呆れたかのように、そいつはまた繰り返した。

「もういい。いらないよ。……どうせまたあいつの分しか用意してないんだろ?」
「……あいつ?」

今度は言葉の意味が分からなくて首を傾げる。

……『あいつ』とは、誰のことだろうか。

記憶を探っても、なかなか答えに辿り着けない。

黙り込む私を不審に思ったのか、弟が怪訝そうに尋ねてくる。

「あいつだよ? あいつ。あの写……、……いつも僕たちに付きまとってる奴だよ」
「だから、何それ」
「何? あんたまさか、覚えてない……とか?」
「覚えてない? どういう意味?」
「あー、…………やっぱり階段から突き落としたのがいけなかったか……」
「かいだ……は!?」

な、何か、今弟の口からとんでもない言葉が飛び出した気がする……。

かいだんってあれだよね、上るとき使うやつですよね?

あれから突き落とした? まさか、私を?


「どういう……こと……?」

後退りしながら弟に聞き返す。

弟は、くすりと笑って私に近付いてきた。
私が下がった分より、さらに多く。

そして手を伸ばし、私の頭の左上の辺りを確かめるように軽く押した。

「強く打ってたのは……ここらへん、かな」
「え……、っ!!」

その途端、頭に激痛が走った。

膝の力が抜けて、がくりと崩れる。

床に倒れそうになった体は、弟に受け止められた。

衝撃の余韻に涙が滲む。

乱れた呼吸をどうにかして落ち着かせようと、縋るように弟の服を握り締める。
すると、宥めるように弟が背中を撫でてきた。

「ごめん、大丈夫?」
「……な、に、したの……」
「ん……ちょっとね。でももうやんないよ。ごめんね」

誤魔化すような言い方に、少し眉を寄せる。

でも今の私には、文句を言う余裕なんて無くて。
だから弟に身を委ねることしかできない。

弟の胸に顔を埋めて、呼吸の音と、どくどくと鳴っている心臓の音を聞く。

いつもは突き放しているけれど、今はそれが落ち着いた。

もうあの話に触れてはいけない。
何故かそう思った。


余韻が小さくなり、やがて消える頃、弟が呟く。

「写真は、あげられない。だからチョコもいいよ」
「な、何それ。話が違う……」
「違わない。僕は写真をあげるなんて一言も言ってないよ」

まあ、確かに言ってないけどさぁ……。
でも、あげるとでも言うような言動だったじゃないか。
そんなの屁理屈だ。

不満気に弟を見上げると、弟は少し疲れたように溜め息を吐いて、口を開く。

「じゃあ聞くけど、どうしてあんたはあの写真が欲しいの?」
「え?」

弟の質問に、きょとんとする。

どうしてあの写真が欲しいか?

そんなの、

「そんなの、あの男の人がかっこいいからに決まってるでしょ」


弟の手が加えられてない最後の一枚を、もう一度見る。

そして見た瞬間、心臓の鼓動が速くなる。
顔に熱が集まる。

もう、これは重症だ。

頬を緩めきってその写真を見つめていると、弟がなんと、その写真にまで落書きをし始めた。

「やぁああ!!!! 嘘、やめて!!!」
「もう、あげるつもり無いし」
「っぁああぁあ………」

そんな、嘘だ……。
最後の一枚が……、希望が……。

もう、いや。

彼の顔はあっという間に髭が付け足された。そしてあの黒いカサカサのような触角まで……ふざけんなよ。

「あぁあぁあ……かっこいかったのに、すごいゆるふわイケメンだったのにぃ……」

完成した数々の落書きを前にして、ただ嘆く。

もう嫌だ。なんでこんなことに……。

弟のやつ許さない。
絶対許すもんか。

そんなことを考えていると、弟がより腕に力を込めてきた。

「じゃあ、僕は?」

「……は?」

「『は?』じゃないよ。ねえ、僕、そいつにそっくりでしょ。なら、あんたにとっては僕もかっこいいってことになるんだよね」

「…………は?」

弟の言葉は、理解しがたい。

確かに弟は写真の男の人にそっくりだ。
でも、全っ然かっこいいとは思わない。
寧ろ不快感が湧く。

なんでこの人と同じ顔してんだよ。生意気な。

「え、全然。あんた全然かっこよくない。整形してこい」
「……理不尽」

弟の最後の一言を一笑に付して、適当に聞き流す。

そういえば、今私は弟に抱き締められているとも言えるような状況だ。

さっさと離れて貰おう。

私はその腕を軽く叩く。

「ねえ、離して変態。痴漢が」
「はは、酷い」
「そう?」
「ん、悲しいなぁ、もう」

へらへらと笑って私を解放する弟。
すぐに応じたので今回は格闘技をお見舞いはしない。

私は写真がたくさん貼られているところに寄り、他にあの男の人が写っているものがないか探す。

上、下、右、左……。

見渡しても、いつも鏡で会うような女の人の姿しか見えない。
男の人は、写っていない。

落胆して、他にも写真がないか弟に訊こうとそっちを振り返る。

けれど私が口を開く前に、弟が言葉を紡いだ。


「……忘れるんなら、僕を忘れて欲しかったな」

「え……?」

「そしたら、僕は、」

弟はそこで口を噤む。
私はその先を、促すようなことはしなかった。

ただ、知りたくないから。



理由は、それだけ。


next.
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ