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□“弟”
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私は叫びながら弟の腕にしがみついて懇願する。
けれど、弟は無情にもそれを聞き入れることなく、その人を汚し続ける。
女の底力的な何かで必死に止めようとしたけれど、弟の食べ物の恨み的な何かには敵わない。
もうどうすればいいんだ!!
彼の顔に\(^0^)/マーク描いている弟をどうやって止めれば……っ!!
「わ、分かった!! 分かった、私チョコ作る!!」
「…………」
ぱっと思い付いたことを口にすると、弟の動きが止まった。
やがて弟はこちらを振り返って、そして大きく息を吐いた。
「……いいよ。いらない」
「……え……?」
弟の言葉の意味は、分かった。
でも、それがあまりに意外で思わず聞き返してしまう。
目を丸く開いて、いつもより多く瞬きをする。
そんな様子に呆れたかのように、そいつはまた繰り返した。
「もういい。いらないよ。……どうせまたあいつの分しか用意してないんだろ?」
「……あいつ?」
今度は言葉の意味が分からなくて首を傾げる。
……『あいつ』とは、誰のことだろうか。
記憶を探っても、なかなか答えに辿り着けない。
黙り込む私を不審に思ったのか、弟が怪訝そうに尋ねてくる。
「あいつだよ? あいつ。あの写……、……いつも僕たちに付きまとってる奴だよ」
「だから、何それ」
「何? あんたまさか、覚えてない……とか?」
「覚えてない? どういう意味?」
「あー、…………やっぱり階段から突き落としたのがいけなかったか……」
「かいだ……は!?」
な、何か、今弟の口からとんでもない言葉が飛び出した気がする……。
かいだんってあれだよね、上るとき使うやつですよね?
あれから突き落とした? まさか、私を?
「どういう……こと……?」
後退りしながら弟に聞き返す。
弟は、くすりと笑って私に近付いてきた。
私が下がった分より、さらに多く。
そして手を伸ばし、私の頭の左上の辺りを確かめるように軽く押した。
「強く打ってたのは……ここらへん、かな」
「え……、っ!!」
その途端、頭に激痛が走った。
膝の力が抜けて、がくりと崩れる。
床に倒れそうになった体は、弟に受け止められた。
衝撃の余韻に涙が滲む。
乱れた呼吸をどうにかして落ち着かせようと、縋るように弟の服を握り締める。
すると、宥めるように弟が背中を撫でてきた。
「ごめん、大丈夫?」
「……な、に、したの……」
「ん……ちょっとね。でももうやんないよ。ごめんね」
誤魔化すような言い方に、少し眉を寄せる。
でも今の私には、文句を言う余裕なんて無くて。
だから弟に身を委ねることしかできない。
弟の胸に顔を埋めて、呼吸の音と、どくどくと鳴っている心臓の音を聞く。
いつもは突き放しているけれど、今はそれが落ち着いた。
もうあの話に触れてはいけない。
何故かそう思った。
余韻が小さくなり、やがて消える頃、弟が呟く。
「写真は、あげられない。だからチョコもいいよ」
「な、何それ。話が違う……」
「違わない。僕は写真をあげるなんて一言も言ってないよ」
まあ、確かに言ってないけどさぁ……。
でも、あげるとでも言うような言動だったじゃないか。
そんなの屁理屈だ。
不満気に弟を見上げると、弟は少し疲れたように溜め息を吐いて、口を開く。
「じゃあ聞くけど、どうしてあんたはあの写真が欲しいの?」
「え?」
弟の質問に、きょとんとする。
どうしてあの写真が欲しいか?
そんなの、
「そんなの、あの男の人がかっこいいからに決まってるでしょ」
弟の手が加えられてない最後の一枚を、もう一度見る。
そして見た瞬間、心臓の鼓動が速くなる。
顔に熱が集まる。
もう、これは重症だ。
頬を緩めきってその写真を見つめていると、弟がなんと、その写真にまで落書きをし始めた。
「やぁああ!!!! 嘘、やめて!!!」
「もう、あげるつもり無いし」
「っぁああぁあ………」
そんな、嘘だ……。
最後の一枚が……、希望が……。
もう、いや。
彼の顔はあっという間に髭が付け足された。そしてあの黒いカサカサのような触角まで……ふざけんなよ。
「あぁあぁあ……かっこいかったのに、すごいゆるふわイケメンだったのにぃ……」
完成した数々の落書きを前にして、ただ嘆く。
もう嫌だ。なんでこんなことに……。
弟のやつ許さない。
絶対許すもんか。
そんなことを考えていると、弟がより腕に力を込めてきた。
「じゃあ、僕は?」
「……は?」
「『は?』じゃないよ。ねえ、僕、そいつにそっくりでしょ。なら、あんたにとっては僕もかっこいいってことになるんだよね」
「…………は?」
弟の言葉は、理解しがたい。
確かに弟は写真の男の人にそっくりだ。
でも、全っ然かっこいいとは思わない。
寧ろ不快感が湧く。
なんでこの人と同じ顔してんだよ。生意気な。
「え、全然。あんた全然かっこよくない。整形してこい」
「……理不尽」
弟の最後の一言を一笑に付して、適当に聞き流す。
そういえば、今私は弟に抱き締められているとも言えるような状況だ。
さっさと離れて貰おう。
私はその腕を軽く叩く。
「ねえ、離して変態。痴漢が」
「はは、酷い」
「そう?」
「ん、悲しいなぁ、もう」
へらへらと笑って私を解放する弟。
すぐに応じたので今回は格闘技をお見舞いはしない。
私は写真がたくさん貼られているところに寄り、他にあの男の人が写っているものがないか探す。
上、下、右、左……。
見渡しても、いつも鏡で会うような女の人の姿しか見えない。
男の人は、写っていない。
落胆して、他にも写真がないか弟に訊こうとそっちを振り返る。
けれど私が口を開く前に、弟が言葉を紡いだ。
「……忘れるんなら、僕を忘れて欲しかったな」
「え……?」
「そしたら、僕は、」
弟はそこで口を噤む。
私はその先を、促すようなことはしなかった。
ただ、知りたくないから。
理由は、それだけ。
next.