恋愛

□“弟”
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「……じゃあ、死んでよ。私の為に」

私はもしかしたら、笑っているのかもしれない。

そうしたところで何も変わらないのかもしれないけど、邪魔なものは邪魔なのだ。
それが自らああ言ってくれるなんて、嘘でも愛を囁いて見るものだな。

弟は少し目を開いて、そして笑った。

「別にいいよ。……ただ、その時はあんたも一緒に死んでよ。一人じゃ寂しいな」

出てきた言葉に落胆する。

まあ、予想はしていたけど。そんなに上手くいく筈がない。分かっていた。

でも期待してしまったのも事実だ。

私はあからさまに溜め息を吐いた。

「何それ……。……嘘つき」
「あんたが言えたことじゃないと思うけど?」

普段よりも、いくつか砂糖が引かれた声色が耳に届く。

弟を見上げようとしたけれど、それは阻まれた。
弟の指が下から首と首輪の間に入り込んで、そのまま前へと引っ張られる。

いきなりの行動に抵抗する暇もない。

というか苦しい。食い込んだ部分が痛い。離せよほんと。

されるがままに、弟と密着するような体勢になってしまって嫌悪感も甚だしい。
まあ、漫画で見るような甘いものとは程遠いけれど。

片方は胸倉を掴んで、片方は首輪に指を掛けて。

そいつは引っ掻いてくる飼い猫を宥めるように笑っている。

本当に気に食わない。今すぐ私の鉄拳をその薄ら寒い笑顔にめりこませてやろうか。

睨み付けていると、弟が徐に口を耳に寄せた。
軽く唇に咥えられ、びくりと肩が跳ねる。

「可愛い」

鼓膜を揺する言葉に、かっと頭が熱くなった。

本当に、本っ当にどうかしてる。

今すぐ競馬場に行って馬に頭でも蹴られてこい。脳震盪起こしたら少しは正常になるだろうよ。

眉を寄せて、弟の左胸辺りに肘鉄を食らわす。

そいつが怯んだ隙に弟の腕から抜け出した。
離れ際に脛を蹴るのも忘れない。


弟は顔を歪ませてよろける。

……ふん、ざまあみろ。


鼻を鳴らして勝ち誇ったように笑い、そっと視線を逸らした。


すると目に映る、たくさんの写真やポスター。

壁に貼られているそれらは大きいものから小さいものまで様々だ。
けど、どの写真にも同じ女が必ず写っていた。

ふと、一番大きいポスターに目が留まる。

写っているのは一組の男女。

女の方は私に、男の方は弟によく似ていた。

着ている服もどこかで見たことあるようなものばかりで……、ていうかこの女の人の服、私が今着ている服と同じだ。

この服はお気に入りのものだ。
白いチュニックの下に、黒いタートルネックを合わせて、黒いシフォンのスカートとタイツを履く。靴はだいたいブーツにする。
この写真でもそう。


……や、それより何この人。この写真の男の人。すごくかっこいい。もう本当かっこいい。優しげな目元もさらさらしてそうな髪の毛も素敵!
もう一目惚れしちゃう。胸がすっごいドキドキする。
これが所謂、トキメキというやつなんだろうか……!?

ていうかこの人、他の写真にも何枚か写ってるよ。

どの写真にも女は写ってるんだけど、その中に数枚、その男の人も写っているものもある。

私は興奮したまま弟を振り返った。

「ねえ、このポスターちょうだい! あとこれとこれとこの写真欲しい!!」

欲しい写真とポスターを指で示して弟に伝える。


弟は私に肘鉄を受けた場所を擦っていたが、私を見て眉を寄せた。

何その反応。
いつも私と目を合わせては気味悪く笑うか顔を赤くするかのどちらかの反応しかしないのに。

今までは、よっぽどのことがない限り睨んでくるなんてのはあり得なかったのに。

……もしや殴られて正常になったのだろうか。
もしそうだとしたらそれはなんとも喜ばしいことだ。

弟の頭も発情期が終わり、私の運命の人にも会えるなんて……!

今日はきっといい日だ。
何か行動を起こすなら今日で決まりだね。


頭の中で一人盛り上がっていると、弟が立ち上がる。

そのままこっちに来るのかと思いきや、弟は机に立ち寄り、何かを掴んでから私の方へ来た。

近づいてきた弟に、とりあえず私は交渉を持ち掛ける。

飾ってまでいるポスターだ。流石にタダでは譲ってもらえないだろう。

「ね、これちょうだい? くれたら私も何かあげるから。お願いっ!」

両の手を前で合わせて、低姿勢で弟に頼み込む。

頭まで下げて、語尾に『っ!』とか付けちゃって、もう何この女子力の塊。
こんな女の子女の子してる私なら、弟もイチコロに違いない。

恐る恐る(というふうを装って)弟を見上げ(もちろん上目遣いで)てみると、弟は目が合った瞬間首を横に90°振った。
……なんなんだ?

そんなに勢いを付けて振ったら捻挫するぞ。

怪しむように弟の顔をじっと見てみると、その頬は少し赤く染まっていた。

……攻略されるの早くない?

若干ジト目で見ていると、弟が横を向いたまま喋り出す。

「……く、くれるって……例えば、何を?」

いつもより早口で、少し上ずった弟の声。

明らかに照れている。

……どんだけ安い免疫なの。
お前は恋愛経験ナシの声掛けられただけで一喜一憂するピュアピュアボーイですか。

……しかし、これならいける気がしてきた。
こんな少女マンガに出てくるような女の子的仕草で赤面するようなやつ、ギャルゲーのお姉さん的仕草に格上げでもしてしまえば手玉に取ったも同然に操れるんじゃないか?


……そうと決まれば。


私は心の中でにやりと笑い、弟の左腕を両手でぎゅっと抱くように掴む。

そして上目遣いに目を潤ませて、弟との距離を縮めた。

と、その途端に弟の肩が跳ね上がる。

「っ! う、腕、離し……」
「ん? どうしたの?」
「…………な、なんでも、ない」

聞き返すと、弟は口をきゅっと引き結んで強がるようにそう言った。

はっきり言って顔真っ赤だし、動揺しているのがばればれだ。

……なんで姉に対してそんなに恥ずかしがるのか、私には理解できない。
というか、理解したくもない。

……あぁ、本当に嫌だ。

でも私は無理矢理笑顔を作り、首をこてんと傾げた。

「それで? 何が欲しいの?」
「……僕は、」

弟は、息をゆっくり吸って、そしてそれを声と一緒に吐き出す。

「……僕が欲しいのは、いつだって同じだよ」
「……何?」
「あんたの心」


…………、


「何どっかの大泥棒三世みたいなこと言ってんの?」


……と、言わなかった私を褒めてほしい。

どうしよう、もう嫌だ。こいつ嫌だ。

姉の心が欲しいとは一体どういう……。
まぁ、『体』と言われなかっただけ救いの余地はあるか……?

……でも、なんて返せばいいの? これ。

「えっ……と……、それはちょっと……」
「……やっぱり、駄目?」


……駄目だと思っているなら初めから訊かないでほしい。

正直言って迷惑。
邪魔以外の何でもない。

弟からそういうことを言われるなんて、玄関先に死んでるセミを見たような気分になる。

あぁ、気持ち悪いな。誰か何処かに捨ててくれないかな。
自分ではそんなの絶対にやりたくない。触りたくもない。
でも何処かに行こうとするたびに邪魔してきて、本当に鬱陶しい。外に出ることもできないじゃない。
そこにいるだけで、不快。


「うん。うん、駄目だね。絶対無理。考えただけで、吐きそう」
「……そ。……ごめんね。嫌な気分にさせて」
「本当謝れ。地面に顔擦り付けてもう上げなくていいよ。空気吸わないで」

にこにこと笑ってそう言った。
どんな言葉も笑顔で言えば、和やかな雰囲気が漂うものだ。

弟も笑っているから、まあ気にすることはない。

て、私いつまで弟の腕掴んでなきゃいけないんだ。

気付いた瞬間弟の腕をぱっと放す。
払うように手を叩きながら、弟に声を掛けた。

「ねえ、何か欲しいならもっと他のやつにしてよ。お菓子とか、そういう普通なやつ」

だいたい、ポスターは物なんだから物で交換するのが妥当だろうが。

なんで心なのか分からない。そんな曖昧で不定義なもの、交換できない。

弟はしばらく考えるように黙り込む。
やがて、口を開いた。

「チョコ……チョコ、欲しい。あんたが作ったやつ」
「チョコ?」

一瞬、なんでチョコレートが欲しいのか疑問に思ったけど、すぐに解決した。

……今日の日付。

今日は、2月の14日。

つまりバレンタインだ。
好きな人にチョコレート菓子をプレゼントして、思いを伝える日。
最近では、友達や家族にも『友チョコ』や『義理チョコ』などと題して渡したりする。
基本、女子から男子に渡すのが一般的だけれど、男子から女子に渡すという『逆チョコ』も出始めたとか。

今や一年の重要イベントとなったその日を、仲睦まじいカップルはデートに使う。

私もそんな風に、時間を有意義に使いたい。
こんなところに弟といるなんて、時間の無駄。
でもこのポスターやその他の写真諸々が欲しくて堪らないからこうして頼んでいる。

条件として提示されたのはチョコ。

……でも……、

「……私、前にあげたよね?」
「うん、余った板チョコね。太るからって、くれたね。アルミホイルの上から、パッケージの紙で作ったリボンがセロテープでくっつけてあったね」
「そうそう、あのリボンは手作りだよ。なかなかの力作でしょ」
「……チョコを手作りしてよ……」


私がチョコをあげたのに弟はまだ何か不満そうにぶつぶつ言っている。
いちいち細かいやつだ。

手作りチョコは、あるにはある。
あるんだけど、こいつの為に作った物ではない故に渡すのが憚られる。

うーん……でも写真欲しいなぁ……本当にかっこいいんだもん。この人……。

長い間唸っていると、弟が痺れを切らしたように口を開く。

「くれないの? そんなに僕にチョコあげるのが嫌?」
「うん。……それなんだよなぁ……、なんかすっごい抵抗あるんだよね。手作りチョコあげるの。やっぱりあんたのこと全然好きじゃないからさぁ」
「……ひっど……」

率直すぎる言葉に、流石の弟も弱った様子で溢す。

ざまあみろ。

その貪婪で厚かましいポジティブ精神を、私が散々に打ち砕いてやる。


内心どや顔で弟を見下ろしていると、弟はあからさまに顔を顰めてポスターの前に立った。
その男の人を上から下まで見つめてぽつりと呟く。


「……こんな奴のどこがいいの?」
「はぁ? あんた目大丈夫? もう全てがいいに決まってるでしょ! 見てよこの優しそうな目! さらっさらの髪! それに、それに……!! あぁ、もう素敵!!」

弟が何か馬鹿なことを抜かしているので、私は目を輝かせながら語る。


すると弟が据わった目で、ふんと鼻を鳴らした。

それと同時に手の中のものを徐に持ち上げ、ポスターに突き立てる。

何かと思って見てみるとそれは……マッキー。
つまりペン。マジックペン。ちなみに極太。



………………え? ペン?




「っぁ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!」

「これをこーやってここにヒゲつけてこっちにグラサンあっちに“肉”の字スカート履かせて髪の毛アフロでおーしーまいっ」

「いやぁぁあやめてぇえええ!!!」

「はっ、ねぇあんたこんな奴好きなの? 変わってるね?」



ぁ、……あぁ………。

私の、運命の人がぁ……!!


目の前にいた筈のイケメンの男の人は、弟の握っていたペンによって何か新しい扉を開けてしまったDJのようになっていた。

酷い。あまりにも酷すぎる。

涙を堪えて、文句を言おうと弟の方を向く。

「あんたねぇ……っ!」

……しかし、弟はまだペンの蓋を閉めてはいなかった。
私が文句を言おうとしている間に、弟は他の写真に写ったその人にも落書きをし始める。

「やっ、やめてぇ!! これ以上は、これ以上はどうか!!」
「うるさい」

うるさいじゃねぇよ!!
何背中に虫の羽みたいなの描いてんの!?

あぁもう! 今私の手にペンがあったらこいつの脳天に突き立てて気絶させてやるのに……!


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