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□“弟”
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……体が、重い。
気だるくて、痛い。
……でも、何処か心地いい。
もう、このまま眠ってしまおうか。
そうすれば、楽になるだろうか。
首に乗る重みは、意識を手放すのには充分な程ある。
でもやっぱり不安で、そっちに目を向けた。
それは私を見て笑う。
優しく、嬉しそうに。
だから私も微笑んだ。
握られた手に、力が込められる。
「……ふたりで……眠ろう……」
譫言のようにそう囁く。
それが、その耳に届いたかは分からない。
でもそれは、息のような声で、答えを口にした。
それは、
彼は、最後に、
「っえ……、今……何て? ふたりで眠ろう? もっ、もちろんいいよ……! 僕で良ければ、添い寝してあげる……!」
「…………」
……
…………
………………、
「…………は?」
「あぁ、あんたと添い寝なんて……!
あ、もちろんオプションでいろいろ付くけどね。……コースはどれがいい? 一番カジュアルなノーマルもいいし、少し体力使うけど、粘着プレイも捨てがたいよね……あ、でもやっぱり一番はこれ、『光速昇華穴殺し』。僕の長年の研究からして、あんたの体にきっと合うと思うんだ。……さぁ、どれにする?」
「……こーそく……しょーか……?」
寝起きの悪い頭のままで、聞き慣れない言葉を反復する。
目の前で私の隣に横たわっているのは……弟、だ。
そしてここは……、弟越しに見える景観からして、弟の部屋だろう。
私は弟の部屋の、弟のベッドで寝ている、ということだ。
…………なんで?
私が疑問符を浮かべているのも露知らず、弟はぱっと顔を明るくした。
「ほ、ホントに……やってくれるの? ふ……ふふっ……ああもう、やる気出ちゃうなぁ……」
「……ちょっとタイム。お前何言ってんの?」
……弟は何か勘違いをしていると思われる。
あの言葉には語尾にクエスチョンマークが付いていた筈で、弟の『どれがいい?』という質問には答えたわけではない。
日本語できないのだろうか?
顔を引き攣らせていると、弟の手が不審な動きをし始めた。
ベッドに寝たままの私の後頭部に手を差し込み、そのまま弟の方へと寄せる。
動きから予想するに私を抱き込もうとしている。
え、と思って弟を見ると、弟は顔を赤く染めていた。
……これは何か、危険な気がする。
抵抗した方がいい。弟には耳が無い。都合の悪いことは聞こうとしない奴なので恐らく何を言っても無駄だ。
このままではこーそくなんちゃらをやられかねない。
……一体穴を殺すとはどういうことなのか知りたい気もするが、それを知ると危ない扉を開けることになりそうなので遠慮しておこう。
とりあえず暴れる。手で弟の肩を掴み、力を込めて押す。
もがいていると、いきなり弟に後ろの髪を強く引っ張られた。
予想外の行動と痛みに顔を顰める。
「いっ……!!」
「……大人しくしてよ。そうしないとできないじゃん」
できない。
できないって何がだ。
私はできないならできないで全然構わないんだが。
ほんとに、穴を殺すとは一体どういう……はっ、これは駄目だ。知識欲に負けてはいけない。屈するな、私……!!
うん、どうでもいいじゃないか。光速だろうが音速だろうが、昇華しようが蒸発しようが。
そう、どーでもいいんだからね。ほんと、知らない方がいいことってあるもんだし。
私は知らない。知りたくない。
よし。もう大丈夫。
私は腕を思いっきり突っ張って弟を拒否する。
「ねえ、離してよ。私今日行くとこが……」
「駄目。行かせない」
ところが弟は低く言って、手の力を強めた。
ちょ、やめろ。ハゲる。髪が抜ける。ハゲる。
やだ、私ハゲたくない。
お前ら男はハゲてもバーコードで済むかもしんないけどさ、女はそうもいかないんだよ?
女がハゲたらあれだよ、落ち武者。
さながらホラー。鏡見たら自分がいるべき所に落ち武者の怨霊が映ってるんだって。
やだ。鏡見て気絶して洗面台に頭ぶつけて死亡とか絶対にやだ。
だから私は声を上げた。未来の為に私の毛根を死守せねばならない……!
「離して! 触んないでよ気狂いヤローが!!」
「い・や・だ。今日こそ僕の悲願達成してやるから、あんたこそ抵抗しないで。大人しく僕に抱かれてよ」
「バトル漫画に出るモブオヤジみたいなこと言うな! ド直球すぎる! キモい!!」
「それでもあんたを犯せるならいいよ」
「ぇ」
びくりと体が震えて、硬直する。
な、なかなかダイレクトな奴じゃないか。あはははは。
思わず顔が引きつる。
素直な人に育って欲しいとは言ってたけど、これってどうなの?
マミィやパピィはいったい何を間違ったのかしら。
どうして人間を生んでくれなかったの?
こんな人間モドキの寄生虫、お呼びでないよ……。
「……寄生虫でも見るような目だね」
「あれ、寄生虫じゃなかったの?」
「ははっ、あんたがそう言うならそれでいいよ? ただしそう呼ぶ限りは栄養として何か頂戴? できれば血以外の液体で」
おぉう……最悪だ。なにこの生き物。
やっぱり寄生虫よりも、生きた化石なのにシーラカンスより歓迎されない世界の底辺・黒い害虫の方がお似合いだ。
ホイホイにでもかかって仲間と共に悶絶死すればいいのにね。
……でも、私は優しい姉なのだから、そんなことを口にはしない。
私は上目遣いで弟に語りかける。
「……ねえ、髪、離してくれないかな」
「やだよ」
「いいから離せよ触んなキチガイ小僧。……………………ねっ? 離してよ愛しいマイブラザー」
「…………ハ、イ」
優しく優しくおねだりすると、弟は快く返事をして腕を退かしてくれた。
私はその瞬間弟に回し蹴りをお見舞いして、爽やかにベッドから床へと着地する。
……ふふっ、ちょろい。
やっぱり私って色気が素晴らしいからさぁ、弟でさえも懐柔しちゃうんだよねっ。ほんと、罪な女だわ。
やー、頭おかしいよねぇ、姉が好きとか!! 社会的に殺されるから無理って言ってんのに、こいつ平気だとか何とか言うし……!
もう本当に参ってしまう。
私、こんなやつと一緒の空気吸っていたくない。変人が伝染っちゃうよ、私常識人なのに。
それではこれにて。
逃亡する際、勝ち誇ったような笑みをそいつに向けた。
当たりどころが悪かったのか、弟はまだうずくまっている。
私はそれを笑って、踵を返した。
……ところで、私の首がやけに重い気がするのはどうしてだろう?
何か締め付けられてる気がするのは……何で?
何気なく、手を首に沿える。
すると当たった、肌ではない感触。
……これは、もしや、
私は弟を振り返った。
「……こーそくいはんみなごろしというのは、人に首輪を付けるという非常に特殊な装備を伴う所謂変態プレイのようなものなのでしょうか?」
「ん……惜しい。『光速昇華穴殺し』ね」
惜しくねえよ。
どこが惜しいんだよ。耳大丈夫かお前。
ていうか質問に答えろ。『ね』じゃないでしょ。『ね』じゃ。
……何で私は首輪を付けさせられているの……?
……そう、違和感に手を首にやるとそこには何と、革のような感触が……。
どう考えてもこれは首輪。
金具の形はベルトのそれに似ていて、太さは結構太め。下を向くとき邪魔になる。あまり首が動かせない。
何のプレイですかこれ。
「おい」
「何?」
「外して、これ」
怒りと羞恥に震えながらも、首輪を指さし、弟に指図する。
もう平気なのか、弟は蹴られたところを擦ってむくりと起き上がった。
くそ、もっと強く蹴ってやればよかった。
弟を恨めしげに見ていると、弟は不快な笑顔を浮かべて口を開く。
「やだ」
「は? ふざけんなよお前」
「ふざけてないよ」
「尚悪い」
ふざけるな。ふざけてなくてもふざけるな。
一句完成してしまったけど、とりあえずふざけんな。
なんとかそれを外そうとして、首と首輪の間に指を入れ、外せるような所がないか探す。
しかし首元は自分に近すぎて、目で見ながら外すことはできない。鏡も、この部屋にはないようだ。
思うようにいかない歯痒さが、私を苛立たせた。
少し乱暴な手付きで、首輪を引っ張る。
すると、食い込んだ首輪が当たる部分に、ずきりと痛みが走った。
「……っ、」
咄嗟に首を擦る。指には肌の感触ではない、布の感触が伝わっていた。
首輪の下に、布が巻いてある……?
……靴擦れならぬ首輪擦れを防ぐためだろうか……?
「あぁ、首あんまり動かさないで。痛いでしょ?」
「……何で?」
弟から出た言葉に、疑問の声を上げる。
別に私は最近、首をぶつけたり、変な風に捻ったりなんかはしていないはずだ。
でもこの痛みは明らかにそういうことから来るもので。
どうやら弟は何か知っているようだ。
自分が知らない間に怪我しているなんて、そんな不気味なことはあってはならないと思う。
だから私は弟に聞き返した。
けれど弟は誤魔化すように笑う。
「ん……あんたってほら、悪いじゃん。寝相。寝違えたんでしょ」
「は? 悪くないし。何言ってんの」
「悪いよ。自覚してないだけ」
弟はそう言って、こっちに近付いてくる。
私はそれを睨みつけていた。
首の痛みは一瞬だったけど、でも確かに痛かった。
それに私は寝相悪くない。
寝相は良い方だって、お母さんからも言われてるし。
……て、そんなことはどうでもいいのだ。
この首輪を外さなければ。
ぐるりと弟の部屋を見渡す。
ポスターやたくさんの写真の傍にあるカレンダーに、なんとなく目を向けた。
……今日は、
今日は、14日。
その日付が、何故か鮮明に頭に刻み込まれる。
私はこんなところにいてはいけない。
何故かそう思った。
弟に声を掛ける。
「ねえ、早く外してよ」
「無理」
ただそう答えるだけの弟に腹が立つ。
むかつく。
その顔に。その声に。
いらいら、する。
「ねえ、外してよ。早く外して」
そう言いながら弟の胸倉を掴み上げ、後ろの壁に打ち付ける。
服を掴む手をそのままに、私よりも若干背の高いそいつを睨み上げた。
そいつは、掴まれたことを気にする素振りも見せず、何の表情も浮かべていなかった。
……いつもいつも人を小馬鹿にしたような態度をとって、自分だけ余裕ぶる。
そういう態度が、大嫌いなんだ。
すると、弟がゆっくりと口を開いた。
「……いきなり、何?」
「愛情表現。大好きだよ大事な義弟」
弟にしてはまともな質問に、抑揚を付けずにそう答えた。
自分でも、よくそんなことが言えたものだと感心する。
中途半端な嘘よりも正反対の嘘の方が吐きやすいんだな。今後の参考にしてもらおう。
そんなことを思っていると、弟は溢れんばかりの笑みを浮かべて、喋りだす。
「嬉しいな。僕も、あんたのことを愛してるよ。あんたの為なら、何だってできる」
願ってもない言葉に、心が色めき立った。
吐き気もするけれど、それ以上に希望が強く競りあげる。
私は心から、言葉を吐き出した。
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