恋愛

□“懐古主義者の催眠術”
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もう寝ようと思って、部屋に戻ろうとしていた。
でも、階段を上がってすぐの、自分の部屋の隣のドア。そこから、まだ明かりが漏れていて。

片手にある携帯で確認してみたけど、もうとっくに日付けを超えている。
いつもなら、照明を落として寝息を立てている時刻だろうに。
まだ起きているのか。

久しぶりに、声を掛けてみようと思った。

ドアの前に立つと、まるで緊張でもしているかのように、動悸がした。
なんでこれぐらいのことで、とは思う。
……でも思い当たる事が、無いわけではなかった。

「……ねえ、起きてる?」

とりあえず、声を掛けてみた。

でも、返事はない。
誰かが動く気配もなかった。

「……入るよ?」

念を押すように、もう一度声をかける。

いつもなら、声さえ掛けずにドアを開けて部屋に入るのに。
……やっぱり、緊張してる。声もなんだか硬いし。

こんなの、自分らしくもない。思わず溜め息をついた。

「…………」

やっぱり返事はない。仕方ない、開けて確認するか。
待つことは諦めて、ドアノブに手を掛ける。

……これで起きてたらどうしようか。
いつもなら怒鳴られて終わりだけど、流石に今日は声掛けたし平気だろうか。
まあ怒れる気力があるなら、それはそれでいいんだけど。

慎重に、部屋の中にいるであろう姉を刺激しないように足を踏み入れる。

部屋に入ると、姉独特のほんのりと甘い香りがして、少し息を吐いた。
できるなら、もう少しこれを堪能していたい。

部屋に一歩でも入れば、姉はすぐに怒る。
出ていけ無神経とかデリカシーがないとかって、そんなことばっかり言うんだから。

僕はこの匂いが好きで堪らないのに。
思春期に入った途端女の子ぶっちゃってさ。いや、まあ女だけど、それにしたってあからさまに避けるようになって。

些細な事で傷付きやすい思春期にそれはないよねー。
ちょっと前はあんなにくっついてたのになあ。

ぐるりと部屋を見渡しながら、足を進める。

少し見ない間に、色々と物が増えてたり、減ってたり。姉の部屋は分かりやすい。
好きなものは見えるところに置く。好きだったものは見えない様に奥にしまう。

だから、最近はやたら服とかアクセが目に付く。
大方あいつに可愛いだの似合ってるだの言われた奴を並べてるんだろう。
並べられた物を見て、思わず顔を顰めた。

あーあ、これ見よがしに陳列しちゃってさ。
着てるところとか想像しちゃうじゃん、絶対似合ってるし。

服とか、あいつと一緒に選んだりするんだろうな。悲しいほどにあいつの好みだ。

……まあつまり、僕の好みでもある訳で。
なんでこういう所が似てしまうんだろう。嗜好が一緒の兄弟とか、喧嘩する未来しか見えないんだけど。

ていうか、今は本当に殴り飛ばしたい気分なんだよね。


目的地であるベッドの前で、立ち止まる。

そこには、ベッドにうずくまる様に丸まった姉の姿があって。

「……服ぐらい着替えればいいのに」

溜め息混じりに呟いた。

電気も点けたまんまで布団もろくに被れていないまま眠っている姉は、所謂寝落ちってやつをしたんだと思う。

姉はお気に入りの、あいつ好みで僕好みの服を着たまま、疲れ切ったように眠っている。
大して寝相の悪くない姉のことだから、眠ってしまう直前までこんな体勢だったんだろう。

背中が痛くなりそうだし、心配だ。いつもは横を向いて寝てる癖に、いきなり変わるのは良くない。

直してあげようかな、なんて思って、その体に触った。
別に、他意はない。

ダイエットでもしてるのか、それとも別に理由があるのか、少し軽くなった姉の上半身を抱き抱えて、ちゃんと寝かしつける。

姉の今日の夢見は悪いだろうし、パジャマに着替えさせてあげた方が楽かなーとも思ったけど、流石にそれは駄目だと思った。

そういうのってすごい興奮するけど、流石に今の姉にやる自信はなかったから。


「…………泣いてる」


正確には、泣いてた、の方が正しいんだろうけど。
そういうのは、どうだっていい。

姿勢を変えた事で見えた姉の顔。

目元が腫れていて、頬には渇いた涙の痕が残っていた。
睫毛は、まだ濡れている。
枕にも染みがあった。


「……今日は、あいつと出掛けるって言ってたよね」


……今日、日付けを考慮するなら昨日だけど、その日はあいつと会う予定だったんだっけね。

いいんじゃないかな、付き合って日も浅いカップルだし、たくさん会ってたくさん遊んで、倦怠期来る時期早めれば良いよ。

まあでも、日が浅いっていうのは僕が気付いてからって意味だから、実際はもう少し長いのかもね。
ということは二カ月とか、もしかしたら三カ月くらい経ってるかもしれない。


デートは何回したのかな。キスはしたんだろうか。それより先は?

……あんたの全部あげた結果が、この仕打ちだっていうのかな。


「今日はやけに短いデートだったんだね。……この前は、朝になっても帰って来なかった癖に」


日も高い内に帰ってきたと思ったら、何も言わずに部屋に篭って、ご飯とかも食べようとしなくて。
どれだけ心配していたと思ってるんだろう。

肝心なときに、あんたは何も話してくれない。
関係ない、関係ないの一点張り。
この時ばかりは弟の皮も役に立たない。

できることなら僕だって関わらないでいたいよ。

馬鹿みたいじゃん。何が悲しくて好きな人と自分と同じ顔した奴の恋人風景見ないといけないんだよ。

でも、あんたが泣くのは見てられない。
それだけは許せない。

「……っ……」

ぎり、と歯を噛み締めて、携帯を握り直す。

そして、携帯の電話帳に埋もれたその名前を探した。
一応何かあったときのためにと調べておいてあったけど、まさかこんな事に使うとは思ってなかった。

見つけると、手早く電話を掛ける。
深夜だとかは気にしなかった。
どうせ眠りの浅い奴だし、すぐに起きる。

けど、コールがいくら周ってもそいつは出ない。痺れを切らして、もう一度掛け直す。

けれど、やっぱり出ない。
今日に限って、姉を泣かせた今日に限って、まさか安眠しているのかとかそう考えただけでも軽く殺意が芽生えるのだけど、それを押し留めて携帯を下ろす。

……寝てる訳がない。
どうせあいつのことだ。無視してるんだろう、面倒くさいから。


さらに苛々して、大きく溜め息を吐く。

そうして視線を下げて目に入ったのは、机の上にある姉の携帯。

「…………」

行動に移すまでは早かった。

姉の携帯のロックを開けて、電話帳で一番使ってるであろう項目を探す。

ていうかパスが好きな人の誕生日とか、単純すぎない。
それってつまり僕の誕生日でもある訳なんだけど。気付いてんのかな。

前いじった時、駄目元でやってみたら普通に入れてすっごいびっくりしたし。……一瞬、僕の誕生日にしててくれたんだとか感動したけど、まあそんな訳なかったよね。
うーん、悲しいなあ。


……あ、見つけた。
彼、とまんまなネーミングで纏められたそれ。
即座に電話を掛けた。

大好きな彼女の電話なら出るんじゃないの、あいつも。


『……もしもし』
「…………」


しかし、流石に露骨過ぎて笑ってしまう。
あいつからだって分かった途端出るのか。やっぱり起きてるし。

あーあー本当に呆れてしまう。
溜め息を吐きたい気持ちを抑えて、なんとか適当に言葉を紡ぐ。

「……久しぶり」
『…………』
「切るなよ」
『……何の用』

電話越しでも分かる気怠げな雰囲気を隠しもしないで、そいつは訊いてきた。

平坦な声からは、早く終わらせろとでも言うような感じが滲み出ている。

どうして姉の携帯を使ってるのか、とかは訊いて来ない。本当にさっさと終わらせたいんだろう。
だったらもう、回りくどい言い方をする必要もない。

「あいつと別れて」
『……用はそれだけ? もう切るよ』
「今日はどこで何してたんだよ」
『お前には関係ない』

返答は悲しいくらいに姉と一緒だ。
関係ないだのなんだの、口裏でも合わせてるのかと疑ってしまう。

人の姉泣かせといてよくそんな事が言える。
関係あるから言ってるんだろうが。

呆れ果てて、言葉を探すのに時間が掛かる。

『……今、彼女は?』

すると、向こうから声が聞こえて。
それがさっきとは打って変わって甘ったるさを孕んでるものだから、余計に苛ついた。

「寝てる、それがなに」
『……今日はごめんって、伝えておいて』
「生憎僕はお前の伝書鳩じゃないんだよね。自分で言えば」

やっぱり、何かしたのか。
無意識に、手を拳にして握り締める。
沸々と湧き上がる怒りを、口に出して発散した。
直接会ってたら何してたか分かんない。

『……そうだね、じゃあ、明日直接言おうかな』
「……明日?」
『そうだよ、今日じゃなくて明日会うことになった。だからそれだけ』

そいつはしらじらしくそんな事を言う。
やっぱり、会わなかったから早く帰ってきたのか。

でも、ただ明日に引き延ばされただけで、泣きはしないと思う。
……絶対におかしい。


「……あいつは何も言ってなかった」
『部外者に言う訳ないよ。もういい? 切るから』
「は? おい……」

止めようとしたら、途切れるような音と共に通話終了の文字が映った。
思わず舌打ちをする。

掛け直そうかとも思ったけど、あいつのことだ。どうせもう出ないだろう。
言いたいことは山ほどあるけど、なんとか押し留めて、姉の携帯を元あった場所に置く。

まあ、あんまりうるさくして、姉を起こしてしまうのも申し訳ない。
渋々諦めて、ベッドに腰掛けた。
静かに寝息を立てて、時々身動ぎをする姉を横目に、小さく息を吐く。

動いたせいか、少し布団は捲れてしまっていて。身を屈めて、それを掛け直した。
時計を見ると、それなりに時間が進んでいる。
……もう、僕も寝ようか。あんな奴の言ったことをいちいち気にするのも癪だ。

そうは思っても、なかなか体は動いてくれない。
ただなんとなく、もう少し姉の傍にいたかった。
少しだけだから、触れていたかった。

言い換えるなら、魔が差した、とでも言うんだろう。

ベッドの脇に置かれたリモコンを手に取って、照明を消す。

暗い中で、それでも姉の気配はよく分かった。
その顔の横に腕をつく。ベッドが音を立てて軋む。
もうずっと触れていなかったその髪に、頬に、指を滑らせた。

……少しだけ、ほんの少し、触れるだけだから。

今まで抑え込んでいたものを、少し自由にする。それだけだから。

大好きな大好きな、僕の姉。

ずっと我慢していた。いつか伝えようと思って、でも、そんな感情を見せたら、臆病なあんたは逃げてしまいそうで。だから怖くて。

このまま姉弟としているのも、それはそれでいいかなあ、って。
そんな甘いこと言っているから、盗られてしまうんだ。


「……どうして、僕じゃないの」


か細く呟いて、その体をそっと抱き締める。
頭を抱えるように腕を回して、力を込めた。


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