短編

□面影
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いつも人に囲まれて


誰からも信頼され


羨ましいと言われ


輪の中心で笑んでいる人間ほど





孤独である










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天下を統一された家康様は、こうして夜になると一人月を眺めている。

酒を嗜むわけでもなく、女を侍らせるわけでもなく、ただぼうっと空を眺めておられるのだ。

雲一つない空に浮かぶ満月が家康様を照らし、まるでこの世界に彼しかいない様に見えた。




誰もが欲する天下を手に入れ、人望もある彼を誰もが羨む。

だから、沈んだ家康様を見ると誰もがこう言うのだ。




全てを手に入れたというのに何が不満なのだ




……孤独なお方



彼は不満など抱いていない


全てを手に入れてなどいない




彼は誰もが持っていて、一番尊ぶべきものを失ったのだ。

そう、だから彼はこうして毎晩、あの満月にその面影を見る。





『家康様、お身体が冷えます』



「っ、初香。居たのか」



『はい』



「一体いつから……?居たならば声をかけてくれれば良いのに。」



『半刻ほど前から……声をかけてよいのか分からなかったので、待たせて頂きました。』



「そうか…お前こそ体が冷えてしまうな。先に床に入っても構わないんだぞ?」



『妻が旦那様より早く床に着くなど聞いた事がありませぬ。どうぞ私の事は気にせず、まだ月をお眺めになって。』





笑顔でそう言うと、家康は首を横に振った。そして立ち上がると、自身の肩に掛けていた羽織を初香の肩に掛けてやる。




「嫁をほったらかすほど落ちぶれてはいないよ。部屋に戻ろう。」




違う、そうじゃなくて…

肩を抱き寄せ部屋に向かおうとする家康を思わず押し退けた。




「!?」



『い、家康様が此処にいたいならば、構いませぬ。』



「いや、しかし……」



『その代わりに……私を側に置いてください。一人で月見なんて、寂しゅうございましょう?』



「初香……」



『今の貴方様をお一人にしたくないのです……静かにしてます、ですから、今宵はどうか側に……』




そう言うと家康は困った様に笑った。そして初香の肩を抱き寄せると、再び元の定位置に戻る。

横に人がいる暖かさが、陽だまりの様な心地良さがとても懐かしく感じた。大阪にいた頃はよくこうしてあの男と杯を交わしていたのを思い出す。





…なぁ三成。お前は、自分の為に生きられないのか



…唐突に何だ、質問の意図が分からん



正直、先の戦でのお前は見ていてヒヤヒヤしたぞ…いくら秀吉公の為とはいえ、お前が死んでしまっては元も子もないだろう?



…私の望みは秀吉様に永劫にお仕えする事だ。十二分、私は私の為に生きている



はは、お前らしいな



貴様が言えた義理か。貴様こそ、いつまで己を犠牲にすれば済む?



と、唐突だな…。それはどういう意味だ?



……忘れろ





「っ…」



『……。』



「あぁ、すまない、昔を思い出してな…。最近惚けてしまう事が多いな。これから世に絆を広めなければならないというのに、今一度気を引き締めなおさないとー…」



『家康様。』




初香が家康の手を優しくとった。




『貴方様は、一体いつまで自分を犠牲になさるのですか…?』





言葉も問いかける瞳も、初香の全てがあの時の三成と重なり、一瞬蘇った光景に言葉を失った。




「それは……」



『貴方は他人が自分の犠牲になる事を許さないのに、自分が犠牲になる事は厭わない…なぜ……』



「…違う、ワシは、ワシは自分の欲望の為に、あの男を…」



『石田三成、ですか』



「……」




図星だったらしく、家康は険しい顔のまま俯いた。

気に障ってしまっただろうか。何も知らぬ私が、二人のことに口出しすることが。

だが、家康は咄嗟にどこか困った様な偽りの笑みを貼り付けた。苦しげに、切なげに笑うその姿に心が締め付けられる。




『私ごときが、お二人の事に口出しするなどどれだけ無神経な事か、分かっております…ですが……きっと、石田殿は、今の貴方様の姿を一番望んでおりません。』



「………」



『…偽る事を厭う方だと、聞き及んでおります。』



「…あぁ、偽りと裏切りを、誰よりも嫌い憎む男だった…。」



『…きっと、己の心を偽り続ける貴方様を、石田殿は許さないでしょう。』



「いつ、わる?ワシが…?」



『…苦しみを奥深くに仕舞い込み人々に笑んでいる貴方は、大嘘つきです。何故、辛いと仰ってくださらないのですか…?』




涙を滲ませた初香に思わず目を見開く。自分は気付かない内に、彼女まで傷付けてしまっていたらしい。

ワシが苦しみを隠す事が、初香を傷付けているのだろうか。


だが、天下を背負う者として覚悟を決めたのだ。ワシが弱音を吐く事は許されない。立ち止まる事も、涙を流す事も許されない。




「ワシは、甘んじて受け入れるべきなんだ。苦しみを、偽り続ける覚悟を……。」



『なればこそ、私には弱音の一つや二つ吐いてくださいませ。貴方様の肩に負ったそれを、私にも半分背負わせてください。』



「……初香」



『私ぐらい貴方の犠牲になったって、バチは当たりませぬ。』




悪戯に笑ったその顔に、胸が締め付けられた。

自分は、嘘の衣を被り続けてきた。だが、結局はそれも中途半端だったらしい、彼女に全て見透かされていたのだから。




「…それは、許されるのだろうか。アイツは、それを許すだろうか。」



『それはもう問うても仕方のないこと。もう分からぬというのならば、どの道を選んででも、果たすべきではないでしょうか……?』



「……あぁ、そうだな。」




救われる事は無いかもしれない、それでも初香の言葉にかつての面影を感じた。


透き通った瞳に、曇りの無い素直な言葉。何もかもが重なって見えて、彼女はまるであの男の生まれ変わりではないのか、と。




「ありがとう、初香。」




全てを理解されてしまったからこそ、一人では無いのだと思えた。


きっとアイツも、ワシの本当の姿を知っていたのだろう。



あぁ、これからは後ろを振り返らず前に進まなければいけない。それこそが、せめての手向けになるのだから。




「裏切るな。」




そんな声が聞こえた気がした。












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舞台「咎狂わし絆」を見て衝動書き。権現切なすぎる…( ; ; )関ヶ原切ない…
 

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