無償の愛を。
□その一
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ドンッ、ドンドンっ!
こんな夜更けに誰だろうか。葵は布団から体を起こすと、戸に向かった。
空はまだ暗い。
戸をわずかに開け放つと、そこには一人の少年がいた。こんな時間に…と口を開きかけたが、それは遮られた。
「これでおいら達を泊めてくれ!頼む!」
片手に銭を持ってそう叫ぶ。
『…誰?』
随分と汚れた服を着ているのだから、旅人か何かだろう。少年のあまりの剣幕に、葵は警戒心を解いて戸を全て開けきった。
そして、目に入って来た光景に思わず目を丸くする。
馬にグッタリとした男が乗っていたのだ。腕と脇腹に傷を負っており、馬の体を伝って血が流れ落ちている。そして、馬の横に舌を出して座っている犬。
イマイチ状況が理解出来ないが、怪我人が重症なのは見て分かった。
『…貴方は馬を其処の木へ繋げて。私はあの人を運ぶから。』
葵は寝巻きのまま馬に駆け寄ると、男を馬から下ろす。そして男の腕を自身の肩へ回すと、そのまま歩いた。
やはり、男だけあって重い。まだ頑張って歩いてくれているから幸いだ。
「……すまねぇな。」
今にも消え入りそうな低い声でそう呟く。傷の具合から、急いで手当をしてやらないと手遅れになりそうだ。
『話さないで、安心して眠って。』
「……………あぁ。」
男は葵の甘い香りに誘われるように、そのまま瞳を閉じた。
男の髪をほどいてやると、自分の寝ていた布団に寝かせる。馬を繋げて来た少年と犬が続いて小屋に入ってきた。
「名無し!!」
「ワンッ!」
『…名無し??この男の名前?』
奇妙な呼び名に、思わず眉を寄せる。
「あぁ、そうだ!怪我をしてて、もう馬で走れそうにないんだ…」
『怪我をしてどれくらい経つの?』
「一日は経つ…と思う」
『………すぐに手当をしましょう。貴方は疲れてるだろうから、もう眠って。そこの犬も。』
「クゥーン」
葵は棚から手当の道具を出すと、急いで男の着物をはだけさせたのだった。
ーーーーーーーーーー
仔太郎は眠れずに、飛丸を抱いていた。久しぶりに囲炉裏で温まった体は疲れているのか、鉛の様に重い。
チラチラと手当を施されている名無しを見ては、部屋の中をキョロキョロと見回すことを繰り返していた。
部屋が手入れされているためか、、小屋自体古いのにあまり寂れたものを感じさせない。
羅狼との戦いを終えた二人は、宿を見つけ手当をするべく馬を走らせていたのだが、道に迷ってしまったのか、街に辿り着くことは出来なかった。そこで山の中でこの小屋を見つけたのだ。
ふと、部屋の隅に刀が立てかけられていた。名無しの物ではない。きっと、あの女の物。
突然鼓動が早くなり、もしかしたら名無しが怪我をしているのを良いことに、襲われるのではないかという恐怖が仔太郎をおそった。
だが、丁寧に包帯を巻いている女の後ろ姿は、そんな悪そうな人間には見えなかった。何より飛丸が大人しくしているのだ。きっと襲われることはないだろう。
しかし。幾度も人に裏切られてきた仔太郎は、それだけの根拠ではやはり信用することは難しかった。
「……アンタ、随分と手厚くおいら達を迎えるんだな。何か企んでるのか?」
いつもの癖なのか、刺々しい口調でそう言い放つ。だが女は動じることなく返した。
『なにも、企んでない。ただ、怪我が重そうだったから、手当をしなきゃって思ったの。』
「……ふぅーん。」
さらりと言われたので、それ以上はなにも言えなかった。今は頼る伝がないのだから、信じるしかないのだ。でなかれば、名無しが死んでしまう。
『…貴方、名前は??』
女は包帯を巻く手を止めずに尋ねる。仔太郎は眉を寄せながらも、渋々答えた。
「………仔太郎。こっちは飛丸。…お前は?」
『私は葵。好きに呼んでね。』
振り向き笑顔でそう言う葵に、仔太郎も思わず頬が緩んだ。そして、銭を払っていなかったことを思い出し、懐に手を入れる。
「…………そういえば、銭を渡してなかったな。さっき受け取らなかっただろ?」
『……銭?いらないよ、そんなの。ここは宿じゃないし。』
「タダで泊まる訳にはいかねぇだろ!?」
『だから、別に宿屋をやってるわけじゃないから、いらないって。』
解せぬ、と不機嫌そうに顔を歪める仔太郎に葵は笑った。
まだまだ子供なのに、どこか大人びていて、無邪気さが見えないと言うか、先程までは警戒心も剥き出しだった。
そして、男の傷。
いったい彼らに何があったのだろうか、と気になるところではあるが、今は聞かないでおこう。きっと聞いても仔太郎は答えないだろう。
「名無しは、大丈夫か…?」
『……何とかね。』
「……っ……そうか…。」
安心した様に笑う仔太郎に、『でも』と葵は続けた。
『油断は出来ないかな。暫く安静にしないと。』
「暫くって、どれくらいだ?」
『…んー、一週間とか、かな??』
「………」
『その様子だと、伝がないんだよね?なら、治るまでここに居ていいよ。』
「っ、ほんとか!?!?」
『ほんとほんと。』
笑顔でうんうんと頷く葵に、仔太郎も笑顔になる。そして、目尻に僅かばかり涙を浮かべながら、ほっと溜息をついた。