ゆめ

□贈り物の話
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目が覚める度、何かが欠落していないか確認する作業が苦痛で仕方ない。ならばいっそずっと眠ったままでいたいくらい。不毛な想起の時間は続けば続くほど深みに嵌る。昨日のことを、大事な仲間を、今の自分を、覚えている自信が無いことが情けない。重たい頭を持ち上げ、体を起こす。
…アクセサリがボランティアを勧めてくるのも右から左で膝を抱えてそのまま顔を埋めた。ここ最近毎日こんな調子だ。身近な仲間のロストから、急に全部が恐ろしくなってしまった。腐ってる。このままでは腑抜ける。分かっているのに動くのが怖い。動いた振動で記憶が零れそうな気がして怖い。だけど動かずに失うことも怖いから中途半端な心のまま最低限の貢献活動は続ける。人に会えば元気な私を振る舞わなければならないのが辛くて数日はアクセサリとだけボランティアに出ている有様。これじゃ次にロストするのは確実に私だ。

『マティアス・"レオ"・ブルーノより、伝言があります。モザイク街広場で待っているそうです』

身じろぎし、視線を上げるといつもと何一つ変わらず昨日もその前も同じ伝言を伝えるアクセサリの姿。咎人を監視する為の目玉が私を見下ろしている。ああ、と深くため息を吐いた。今日は行かなきゃ、これ以上心配をかけるわけにはいかない。引きずるように体を動かして外出申請を出した。

ロウストリートの重苦しい空気を抜け、絶対的な監視下から少し外れた灰色の街に出るだけで少しは気分が晴れた気がする。もしかしたら私に必要だったのは無理やりにでもとる気分転換だったのかもしれない。私が気付くより前に広場の真ん中でこちらに向かって大きく手を振っているマティアスを視界に入れただけで今までの気怠さが嘘のように自然に口元が綻んだ。

「やっと来たか!めちゃくちゃ待ってたんだぜ!」

「ご、ごめん」

ここじゃなんだから、と説明も無く手を引かれて寂れたベンチのある街の端へ連れていかれる。何日も返事もなく待たせていたのに、彼は全く怒った様子じゃないことに少しほっとした。それ以上にすまない気持ちでいっぱいなのだけれど。
まあ座れと言う彼の奨めの通りにベンチに腰掛け、これまで避けていたことについてどう言い訳しようかと考える。ちょっと体調悪かったというのも貢献活動はしていた事実から苦しい言い訳だし、そもそも人に会いたい気分じゃなかったなんて重い話はしたくないし…とぐちゃぐちゃな思考を遮ったのは目の前に差し出された一輪の小さな花だった。本物の、生きた花。少し萎れているけれど造花でないみずみずしさがある。どうして、こんなものを彼が。

「これ、お前にあげたかったんだ」

「なんで、これ、本物の…」

近年、生きた植物がそれなりに貴重な物であることは言うまでもない。驚きを隠せないままそうっとそれを受け取ると、マティアスは頭を掻きながら笑った。よく晴れた空のような色をした瞳が細められる。

「昔の人って、お見舞いとか贈り物に花をプレゼントしたんだってよ。それって超shazだと思ってさ。お前、最近元気無かったみたいだし」

「…これ、手に入れるの大変だったんじゃ」

千切ったり取ったりしてしまわないようにゆっくりふんわり薄紅色の花びらに触れる。本物の花ってこんなに柔らかくて鮮やかで儚いものだったんだ。昔の人はこんな素敵な贈り物を日常的にしていたのかしら…。共に何を伝えたくて、何を感じて欲しくて。

「まあ、それなりにな…って、どうした?」

花びらの上にぽとりとひとつ落ちた水滴を見た後で、自分が泣いていることに気付いた。こんなに嬉しくて、この花も、この幸福でいっぱいの気持も大事にしまっておきたいのに、花は枯れてしまう。残るのは思い出だけなのに、今の自分にはそれさえも定かでないことなのが悲しくて仕方ない。ずっとずっと覚えておきたいのに自信が無い。忘れたくない。ロストしたくない。

「…こんなに、すごく、嬉しいのに。忘れるかもしれないのが、悲しい」

切れ切れの言葉が涙と一緒に零れていく。一つ、二つ、三つ。やがて堰を切ったように流れ落ちる不安を、マティアスはしばらく黙って聞いてくれて、そしてその後にいつものようにからっとした笑みを浮かべる。

「何だ、そんなことで悩んでたのか」

そんなことって。こんなに感情をむき出しにして吐露したのに分かってくれなかったのかと絶望にも似た感情を抱きながら反論しようとする私の手を彼はそっと握る。そしてゆっくり花を抜き取り、私の髪の毛を少しだけすくって撫でた。

「大丈夫だよ。忘れたらまた同じことしてやるって。そんで何度でもお前に付き合ってやるよ」

もうこれ以上忘れたくない思い出を増やしたくはないのに、彼は容赦がない。屈託のない笑顔で今まで触っていた髪の毛を指差し、「やっぱり、こうしたら似合うと思った」なんて何てことなく言うのだ。泣いたためか照れのためか分からない真っ赤になってしまった顔を今すぐ覆いたい気持ちでいっぱいだ。だけどちゃんと目を見て言わなきゃいけないことがある。


「…ありがとう、マティアス」

「改まって言うなよな、くすぐったいから。てか、お前は俺の大事な相棒なんだからこういうことすんのは当たり前なの」

ぐしゃぐしゃと頭を撫でまわす大きな手。花いたんじゃうから、と言うと途端に優しくなる。
彼と一緒なら心強いなとほんの少し楽になった反面、絶対失いたくない変な重圧で苦しくもある。…それに、ついさっきまであんなに忘れることを恐れていたのに、この感情を勘違いしないうちに真っ新になれば切ないなんて感じなくて済むのかしら、なんて。



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