ゆめ

□n回目の話
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「こんにちは、カイ」

「…ああ」

いつも、話しかけてしまってから考える。いつも通りの短い返事に、変わらない表情、落ち着いた声色を向けられてやっと話しかけない方がよかったかしらと悩むのだ。向こうは何となく私を避けているような気がするし、こっちから声をかけることはあってもかけられることは少ないから。
それなのに私は視界の隅に彼の姿を捉えただけで自然に足をそちらに向け、あえて人のいるところから距離をとるように灰色の街の端で佇むその人にわざわざ挨拶をしてしまう。

「ええと…」

このまま話していいのか離れた方がいいのか分からずに次にかける言葉を考えるこの奇妙な間は、気まずいのが普通なのだろう。しかし私は彼と対照的に落ち着きなく手をもぞもぞ組み替えながらもどこか安心感のようなものを感じている。無視されなかったからだろうか、それとも彼の目がちゃんとこちらを見ているからだろうか。


「…最近、どうだ。調子は…」

「えっ?えっと、頑張ってる。最近ボランティアにも少し慣れてきたような気がするし」

まさか会話を続けてくれるとは思っていなくてどもってしまった。尻すぼみに声が小さくなっていったのは、ふと顔を上げると彼と真っ直ぐ視線が合ってしまったから。気はずかしいようなくすぐったいような感覚。

「慣れた頃が一番危険だ…気を抜くなよ…」

「うん、ありがとう」

無口ではあるけど彼は決して冷たい訳ではない。見てないようで見ていてくれて、無関心なようで励ましの言葉や注意をしてくれる。私が咎人になったばかりで危なっかしく見えるからよくそのようなことを言ってくれるのかもしれないけれど、私はそれが嬉しい。きっと彼とは以前から面識があったはずなのに記憶を無くしてしまって忘れてしまって、すごく失礼なことなのに、それでも愛想を尽かさずに気にかけてくれて、だからきっと嬉しいのだ。
…って、だからカイの気も知らず話しかけてしまうんだわ。

「特にお前は昔からそうだ……物事がうまくいきだすと失敗や怪我をする…気をつけろよ…」

「ふふ、なんだか前々から迷惑かけてたみたいね。記憶喪失になっても本質みたいなものってかわらないんだなぁ」

残念ながら何も覚えてないけれど全部全部がまっさらになるわけじゃないらしい。
…そう言えばカイの口から『昔』というワードが出てきたのは初めてかもしれない。彼の目から見る前の私と今の私ってどうちがうのだろう?聞いてみたい気持ちと、自分のことなのに触れない方がいいような遠慮する気持ちとがぐらぐら動く。

「でも、うん、カイが言うなら気をつける。ありがとう」

少しだけ考えて、結局聞かないことにした。もちろんカイがどう思っているか、どう思っていたかは知りたいけれど、彼がその話題を避けたいから私とあまり話したがらないようなそんな気がしたから。もしかして嫌われてた…訳ではないと思うのだけれど。
気になる思いを引き離すように逸らした目線の先には重たい雲の天井が映る。ゆっくりと東に流れながらも陽の光を通さない分厚い空には閉塞感しか感じない。だけどこの街にはどうしようもないほど似合ってしまう。

「…いつもそう言うが」

驚いて、再び彼の顔を見てしまった。変わらない表情の中で、目だけが静かに複雑な色に揺れている。私から終わらせたはずの話題を、まさか彼が続けるなんて思ってなかった。何も言い返せなくて、その瞳を見つめたまま動けない。

「毎回言っても、毎回忘れるだろ…」

「わ、忘れないもの、今度こそ」

「それもいつも言う台詞だ…思い出す前に、また記憶を失ってくる…」

「…そんなこと、ないもん」

だんだん、怒られているような気分になってくる。だけど彼の声は諦めたように淡々としていて、逆にこっちの方がむきになってしまう。なんで信じてくれないのと。忘れないって言ってるのにと。


「……でもどうせ忘れるなら、何を言っても、何をしても…と、いつも思う…」

反論の為に開こうとした口からは声を発せないままに、空気だけが微かに漏れた。彼の手のひらが私の頭の上に置かれ、指先がふわりと髪の毛を撫でる。
どうせ忘れるなら、何を言っても意味がない?それとも、それとも。カイの予想外の行動に、言葉に、私の思考は乱される。逃げるようにぐるぐると意味を考えて黙り込んでしまう。

「……忘れろ」

しばらくの間柔らかく私に触れていた指は名残惜しむように髪を梳いてゆっくりと離れていった。ちくりと胸が痛む。鈍く刺さったこの記憶の刺はきっと簡単には抜けないと思った。だから私から遠ざかるその手を取って、強く握る。

「忘れないもん」

願うように、誓うようにそう伝えるとカイは珍しく困惑したような表情を浮かべた。

「……やはりお前は、変わらないな…」

腕を引く彼の力は決してそんなに強いものでは無かった。私に選ばせてくれるところが優しくもあり狡くも感じる。こんなカイは初めて見るはずなのに、私は素直に頬を膨らましながら自然に体を傾け、そして。

『緊急事態です。他パノプティコンからの攻撃が確認されました。至急ボランティアに向かってください』

彼とは対照的なものすごい力で襟首を引っ張られ、機械的な音声で命令を告げられる。私達は同じように何度か目を瞬かせた後、示し合わせたように顔を逸らす。


「行くか…一緒に…」

「うん!」

上から吹く温い風が熱くなった頬を撫でる。雨が降りそうだ。こんな閉じた世界で、ロストと隣り合わせで、過去すら無くしてしまったけれど、それでも固く繋いだ手のひらに今を感じることができれば幸せだ。


…なんて、気が緩んでいるとまたカイに怒られてしまうから。


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