公安課

□願わくは花の下にて
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願わくは、花の下にて春死なん…その如月の望月の頃・・・

もしも願いが叶うならば、春の頃、花のように美しい人と逢瀬をかさねてから死にたいものだ・・・

なんて、西行法師に怒られそうな解釈をした事があった(古典のテストでやらかしたのだ)模範的な解答は「願いが叶うならば、望月の頃満開の桜の下で死にたいものだ(お釈迦様と同じ命日になりたいものだ)」てな感じだったと思う。
只、当時の担当の先生からは「艶やかで面白い解釈だ」と、少々オマケをして頂いた事も覚えている。


いや、桜の季節は当の昔に終わってしまっているし、のんびりとお花見なんて最後にしたのは一体いつの話やら…
ただ唐突に、ふっと思い出してしまった。



「そんな曖昧な情報しか手に入れられないのか!」



鋭く突き刺さるような上司の声に我に返る。
顔を上げると、後藤さんと目が合った。一体何があったんだろう?あれこれと思いを巡らせていると、電話が終わった石神さんが俺を見据えて低く告げた。

「・・・・・・」

透明な何かで耳を塞がれた様だった。どうしたんだ、しっかり聞かないと…頭の中で反芻しようにも、その言葉がバラバラと零れ落ちて

「黒澤、聞いているのか?」
後藤さんの声に、漸く我に返る。
「・・・すみません、大丈夫です」
綾さんの通う大学の最寄りの駅で無差別殺傷事件が発生した。
死傷者十数名。その中に彼女の名前が確認されたという。
石神さんは搬送された大学病院の名前を告げ、
「現時点での確実な情報は此処までだ。今すぐ行ってやれ」
「・・・・・・」
何も言えないまま二人に頭を下げ、俺は本部を後にした。

急がなきゃ・・・

早く、行かなきゃ・・・

何かが崩れてしまいそうになるのを堪えるように奥歯を噛み締める。そして努めて冷静に、何度も大きく息を吐きながらハンドルを握った。






夕方だというのに、病院のロビーは人でごった返していた。普通に面会に来た人たち。



それから、


事件に巻き込まれてしまった人達。


その家族。



警察関係者、マスコミ関係と思われる人達・・・


事件に巻き込まれた人たちの中でも犯人に襲われ負傷したもの以外にも、逃げる途中エスカレーターで将棋倒しになり負傷した者、押し合いになり線路に落ちてしまった者・・・・・・死者1名・重軽傷者14名。


そして彼女は…橘綾は、恐怖の余り足が竦んでしまったおばあさんの手を取り、逃げる途中犯人に襲われ左腕を刺されながらも、おばあさんを守ろうと犯人と揉み合い転倒、そこで意識を失ってしまった。
そこに馬乗りになり、ナイフを振り翳した瞬間、駆け付けた警官に犯人は取り押さえられたらしい。
それが目撃情報等を元にした、大まかな出来事だった。



近くにいる若い女医さんに声をかける。綾さんの名前を告げる。と、先生は俺の顔を見て一瞬目を細めた。
「橘さんなら大丈夫よ。さっき一般病棟に移った所。それよりもあなたの方が酷い顔色だわ。大丈夫?」
心配そうに覗き込んでくる先生に返す言葉もなく、口元だけに薄らと笑みを浮かべて応えるしかなかった。



最上階の個室に案内された。青白い顔で横たわる綾さんの枕元に、思わず駆け寄る。頭から右眼にかけて巻かれている包帯が痛々しい。
「腕の傷はそんなに深くないけど、転倒した時に肋骨にヒビが入ってしまって。それから詳しい検査は明日以降になるけど、今の所は大きな心配はないと思います。」
彼女の寝顔を覗き込み、頬にかかった髪を直しながら彼女は言葉を続けた。
「後ね、おでこと瞼の上をちょっとだけ切っちゃったの。でも失明の心配もないと思うけどその辺も含めて、明日改めて検査しますから」
大丈夫。と微笑んだ先生の声に、少し安心して力が抜けたように腰を下ろした。
「ここにいても大丈夫ですか?」
「ええ。もし何かあったら近くにいる看護師に声をかけて頂戴」


病室の中は、不思議な位静かだ。

眠っている綾さんに触れる事もできず、祈るような気持ちで寝顔を見つめていた。





ゴンッ!





鈍い音と、後頭部に衝撃。
「・・・殺す気ですか、後藤さん」
「何辛気臭い顔してんだ。それにパジャマ野郎と俺を間違えるんじゃねぇ」
予想外の声に顔を上げると、ステンレスボトルを手にしている一柳警部補が不機嫌そうに俺を睨み付けた。
「・・・すみません、己の不甲斐無さと未熟さをひしひしと噛み締めていたもので・・・一柳警部補は今日は非番ですか?」
何言っているんだ。ひしひしと噛み締める以前に思考回路が停止してた癖に。と、心の中で思わず自分に毒づいてしまう。
「あぁ。桂木さんから連絡があってな。皆動けないから、様子を見に来た」
持参した紙コップにコーヒーを注いで、俺に手渡した。それだけじゃなく、ホットサンド(勿論保温状態は完璧の)迄用意されていた。噂に聞く、一柳お手製なんだろうなぁ。などとぼんやり思った。
「…それに、後藤からもな」
「とにかく、食っとけ」と、促した。
「…一柳警部補…」
「なんだ?」
「お母さんみたいって言われませんか?」
警護している時よりも鋭い眼差しでボトルを振り上げた一柳警部補に、
「やだなぁ、冗談ですよ」
力なく肩を竦めた時、不意に袖口を引っ張られた。
「・・・・・・」
「目、覚ましたのか?・・・待ってろ。先生呼んでくる」
部屋を出る前に、一柳警部補は俺の背中をコツンと叩いて行った。
「・・・透さん?」
伸ばされた右手を、ぎゅっと握りしめる。
「はい・・・」
「透さん、泣かないで下さい・・・」


「え?」


言われて初めて、自分が涙を流している事に気が付かされた。


「いや、安心したら・・・」


声が詰まってしまった。違う、本当に言いたいのは・・・



「良かった・・・」



その声を聴く事が叶って。その手に触れる事が出来て。



綾さんが生きていてくれて。



「本当に、良かった」
「ごめんなさい、心配かけて・・・私なら大丈夫ですから・・・」
俺の涙を拭おうと身体を起こそうとした綾さんは「イタタ・・・」と、顔を顰めた。
「駄目ですよ、大人しく寝てて下さい」
手にしているホットサンドへ視線をうつした。
「まだ駄目ですよ。これから先生が来ますから・・・お赦しが出たら、一緒に食べましょう」
目を覚ましてすぐそれですか?綾さんらしいといえば、らしいけど。
「・・・お腹空いちゃいました」
「だから、そんな可愛いおねだりしても駄目ですって」
そんな拗ねたように、上目使いで見られても・・・


                     
「あぁ、起きたのね?」
さっきの女医さんが颯爽と入ってきた。
俺は軽く会釈して、廊下に出る。と、面会室から出てきた一柳警部補と目が合った。
携帯の電源を切りながら、苦々しい表情をしている。

「・・・桂木さんですか?」
「・・・・・・いや」
ふぅ。と、息を吐く。
「いずれお前の耳にも入るだろうからな・・・・・・容疑者がな・・・『死ぬ勇気がなかったから、死刑にしてほしくてやった』と供述したそうだ」
すっと、全身から血の気が引いていくような感覚。
警察組織に所属しているというのに、思ってはいけないモノが沸々と湧いてきそうになる。
「大丈夫か?」
「・・・・・・」
勿論、そういった犯行理由を耳にした事はあった。
「・・・すみません、今の俺には冷静に受け止められないです」
「無理はするな。俺も同じような事を思ってる・・・多分、な」
一柳警部補は眉間に皺を寄せて、すっかり暗くなった中庭に視線を移した。
「・・・それなのに・・・」
「ん?」
「目を覚ました綾さんは、先ず俺の事を心配して・・・それから『心配かけてごめんなさい』って・・・泣き言一つ言わないんです」
「あいつらしいな」
その様子が容易に想像できたのか一柳警部補の表情が、ふっと柔らかくなった。お腹すいた騒ぎは内緒にしておこう。
                            
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