空谷の跫音

□『俺と王太くんの朝。』
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 ベランダの柵に止まった小鳥達が朝を知らせるようにチュンチュンと鳴いています。
 カーテンの隙間から射し込んだ日射しは今日も暑そうで、天気予報を見なくても今日が真夏日だという事が分かりました。
 今年で、王太くんと一緒に過ごす五回目の夏です。
 何年一緒にいようと飽きる事はありません。
 毎日が幸せです。
 こうして目覚めた瞬間に王太くんの顔が一番最初に映る事だけで今日一日がすでに最高の物に思えるのです。
 こんなに幸せで良いのかな?
 なんて、贅沢な悩みを持ってしまう程、俺は王太くんに大切にされています。
 死にたいと毎日のように願っていた日々がまるで長い悪夢だったようです。
「……王太くん、朝だよ」
 王太くんの頬に触れながら、声をかけるのが俺の朝一番の日課です。
 朝に弱い王太くんは俺が起こさない限り寝続けます。ライオンは日中はゴロゴロして過ごす生き物なのだと以前教わりました。
 頬に触れて、そのまま手を滑らせて癖のある琥珀色の髪に指を絡めます。
 俺はこの柔らかい鬣のような髪の毛が本物のライオンのようで格好良くて好きです。
「王太くん」
 俺を抱えるようにして眠っている王太くんの腕の中から抜け出して、ベッドの上に座り直しました。
 膝の所で眠る王太くんの頬に唇を寄せます。これをするには横になったままでは中々難しいのです。
 唇を寄せながら髪に触れていた手を首筋を通って、男らしく太くて筋肉のついた肩へと滑らせました。
 王太くんは俺には服を着て寝るように言うくせに、自分は上半身裸で眠ります。
 そのため、両腕に彫られた唐獅子牡丹が丸見えなのです。普段は夏場でも長袖で隠しているのに、俺の前では良いと言う事なのでしょうか。
 もしも、そうならば特別のような気がして嬉しい限りです。
 俺はこの刺青が男らしい王太くんに似合っていて大好きなのです。
「……好き、です」
 最後に、王太くんの薄い唇に唇で触れました。
 何度も触れているくせに、いまだに緊張で唇が震えています。
 顔が近いからかもしれません。ヘタレだからかもしれません。格好良すぎるからかもしれません。
 何にしろ、俺の心臓は早鐘を打ち体温を上げて指先も唇も震えさせているのです。
 好きというこの気持ちが自分の一方的なモノじゃなければ良いなって、貴方の気持ちが俺だけに向けば良いのになって。
 貴方と一緒に過ごして、貴方の優しさに包まれて、恋を知って、愛を知って、不安になりました。
 終わりがある事。独りになる事がこんなにも不安で怖くて堪らない物なのだと、幸せであるほど思い知りました。
 俺は、弱くなりました。
 終わりを望んでいた自分や独りだった自分にもう戻る事は出来ません。
 知るってこんなに怖い事だったのだと、思いもしませんでした。
 独りぼっちが、あんなに怖い事だったのだと知りませんでした。
「……泣いてるの?」
 王太くんの大きくて広い手が俺の頭を撫でました。
 ゆっくりと、ゆっくりと、まるで「大丈夫」だと言っているように何度も撫でてくれました。
 何だか堪らなく泣きたくなって、顔を見られないように王太くんの首筋に顔を埋めました。
 ああ、違うな。
 王太くんの首が濡れていました。
 泣きたくなったんじゃなくて、王太くんの言う通り泣いていたんだと気が付きました。
「大丈夫だよ、大丈夫だから。俺はここにいるからね」
「王太くん……」
 きっと貴方は知らないのでしょう。
 俺が今どれだけ幸せなのかを。
 きっと貴方にはお見通しなのでしょう。
 俺の思っている事も、この不安も。
 ねえ、後何回貴方と共に夏を過ごせますか?
 ねえ、後何回貴方とこうして朝を迎えられますか?
 ねえ、後何日貴方と過ごせますか?
 貴方よりも短い寿命。
 日に日に身体が衰えていくのを感じます。
 貴方を置いていく事をどうか許して下さい。
 俺がいなくなった後はもう俺を愛さなくて良いから、だから、どうか、
「王太くん、……愛してます」
「うん。俺も愛してるよ」
 どうか、息絶えるその瞬間までは俺の事を愛していて下さい。
 後数回、幸せな朝を迎えさせて下さい。


『俺と王太くんの朝。』


「裏路地へ」
一周年記念「空谷の跫音」番外編。
2015.05.19
 

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