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□ビタースイート
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ユノの唾液の味が、テミンの口一杯に広がる。
余すことなく、口内を舐めまわすような深いキスをしているのだから当然だ。
無意識に逃げる舌を捕まえ、離れようとする唇を隙間なくぴったりと覆えば、ユノの瞼がぎゅっと何かを耐えるように、一層強く瞑られて皺が浮かぶ。
誘う言葉を口にしておきながら、こういう態度で言外に心情を語るユノは、昔からの性質の悪さというものは、変わっていないらしい。
自分もそれなりに歳を取ったせいか、こういうユノの厄介部分も含めて、受け止められるような気がテミンはした。
その証拠に、今現在可愛くて虐めたくなる気持ちの方が勝っている。
わざと喉の奥のくすぐったい所を舌で擽れば、ぎゅっと瞑られていたユノの瞼が持ち上がった。
そして、テミンと目が合うなり、キスをしている間中ずっと見られていたことに気付いたようで、気恥ずかしさと気まずさでか、ユノの目は満月のように真ん丸になるなり、次の瞬間には長い睫毛を強調する伏し目になった。
長い睫毛の合間から見える黒く濡れた瞳を見つめながら、テミンはわざとリップ音を響かせて唇を離すと、ユノの顔を下から覗き込んで優しく微笑む。
「魔法、効いたかな?」
勿論、ユノからの返事はない。
テミンにも、そうなることくらい予想はついた。
「来週の火曜日、十時に店に行くから」
これ以上今、ユノを混乱させることはしてはいけない。
それだけで言い残して、テミンは車を降りた。
降り際に、ちらっとユノを見れば、やっぱり何とも言えない顔をしていて、一人苦笑を滲ませた。
困らせたくないと思っていたが、あんなこと言われて、押さないでいられる男がいるわけない。
そんな男がいるのなら、そいつは男ではないとテミンは言い切る。



宣言通り、六日後の火曜日にユノの店にテミンが行くと、クローズの看板がぶら下がったドアの前に、マスクをしたユノがより掛かって、テミンを待っていた。
義理堅いユノのことだ。
待ってくれているだろうとは思っていたが、マスクだけは想定外で、驚いたテミンは、小走りに駆け寄る。
「風邪?」
風邪をひいてるなら、予定はなしにしょうと思ったテミンが、心配顔で訪ねれば、そっぽを向いたユノが、ぼそっと不機嫌そうに呟く。
「これ以上魔法掛けられたから困る」
その言葉に、きょとんとした後、テミンは目尻に皺を刻んで笑った。
笑えば笑った分だけ、ユノの纏うオーラが不機嫌なものになっていくのが分かる。
けど、それはそれで笑うのを止められない。
ユノが至極真面目に言ったのだと思えば、とてつもなく可愛くて堪らないからだ。

これ以上機嫌を損ねないためにも、笑うのやめなければいけない。
テミンは自分の意識を逸らすために、何がしたい?とユノに聞いた。
え?という目で見やってくるユノに、テミンは穏やかな笑みを差し向けながら、マスクを奪い取る。
「デートすんの。魔法が掛かった試すために」
マスクを盗られたユノは、慌ててテミンの手から取り戻そうとするが、テミンはひらひらとユノの手を交わして、にこにこと笑う。
「大丈夫、キスはしないよ?ユノの顔を見る方が大事だから」
ずっと不機嫌さを漂わせていた切れ長の瞳が丸くなったかと思えば、すぐにまた不機嫌な色を灯した。
尖った唇が愚痴めいたトーンで不満を溢す。
「そもそもお前がキスなんかしなきゃマスクだってしてない」
おやおや、かなりご立腹の様子だと、テミンが眺めていれば、ぷりぷりと怒りつつも、ユノは歩き出した。
マスクを革ジャンのポケットに捻じ込んだテミンも、隣に並んで歩く。
「何する?」
もう一度聞けば、ユノは前を見据えたまま、ボーリングと答えた。
「俺が勝ったら、ちゃんと魔法解けよ?」
まだそれを言うかと、テミンは内心苦笑しつつ、ユノが勝ったらね?と返した。
だいたい魔法を掛けたつもりのないテミンが、ユノの言う魔法を解けるはずがないのだが、今は言わないでおく。
「で?」
「え?」
「俺が勝ったら、何がもらえんの?」
ポカンとした顔で立ち止まったユノに、テミンは勝負にするなら、俺にもご褒美いるじゃんとしれっと言い放った。
素の表情で困惑するユノの顔を見ているだけでも、テミンは既に楽しい。
いや、楽しすぎるくらいだ。
嗜虐心がむくむくと沸き上がり、もう少し困らせてみたくなった。
「俺が行きたいとこ行くって、どう?」
「いいけど・・・。どこだよ?」
テミンの顔には、心情を現したような、いきいきとした満面の笑みが浮かぶ。
対するユノは、そんなテミンの表情に何処か不安そうだ。
「いいとこだよ?」
言いながら、思わせぶりにテミンは、ちらっと大通りに建つ高級ホテルのビルへと、視線を向けた。
ユノも当然釣られてそちらを見ると、次の瞬間カチンと凍ったように固まり、全身から緊張と言う緊張がにじみでだす。
テミンは、そんなユノを見て、笑いをかみ殺して、鼻歌交じりに、ご機嫌で先に歩き出した。


テミンはそれほどボーリングが上手くない。
昔からボーリングがあんまり好きじゃないからかもしれないが。
しかし、変に力の入ったユノが、ガーターかストライクかの百かゼロみたいな成績を上げていれば、ストライクを出せなくても勝てるというもの。
結果、ピン一本の差でテミンが勝ってしまった。
負けが決定的になると、ユノの顔には悔しさよりも焦りが色濃く漂いだして、負けず嫌いなユノらしからぬ態度を目の当たりにすれば、流石にテミンでも可哀想になってきた。
「め、飯!!」
食べなきゃと、腕時計に視線を落としたユノの声は、変にどもっていて明らかにテミンが行きたい場所を、ホテルと勘違いしている。
「俺が行きたい場所、飯も食べれるから大丈夫」
途端に、ユノの顔がひきつり、あれ?と不思議に思ったテミンだったが、そう言えばホテルでも飯は食えたと思い出し、意図せずホテルを更に強く印象付けてしまったかと、笑いながらも、まいっかと正す気のないテミンは、身体を硬くするユノの腕を引いて、ボーリング場を後にした。



「・・・。来たい場所って、ここ?」
「そうだよ?何?どこだと思ったの?」
駅からほど近いモールの正面入り口で、ぽかーんと口を開いているユノに、テミンは意地の悪い笑みを浮かべて聞く。
「へっ?!べ、別に。あ〜お腹空いたなぁ」
お腹を摩りながら、モールの中へと入っていくユノに、ついて行きながらテミンは、こっそりと笑った。
二人でフードコートで、色んな料理を頼み、それらをシェアしてお腹を満すと、上の階にある映画館へとテミンはユノを誘った。
テミンが最初から行きたかったのは、映画館だ。
上映時間的に、アクションものか、ホラー、恋愛ものの三つ。
テミンは、恋愛ものを観る気はなかったが、ユノがじっと映画館に置かれたポスターを眺めていたので、恋愛ものを選んだ。
高校時代も夢見がちな感動ものの恋愛映画を、ユノが好んで見ていたのを、ふいに思い出したからだ。
飲み物を買って席につけば、平日ということもあって、ガラガラだ。
二人以外には、付き合いたての高校生のカップルと、一人で観に来た男女の客が、三人ほど。
ほぼ貸し切りに近い中、映画が始まった。
幼馴染の二人は、互いに想い合っているというのに、すれ違いが続き、恋人になれない。
正直、ありきたりで退屈な映画だったが、映像が綺麗なのが救いだった。
でもきっとユノが、この映像の景色に溶け込んだのなら、もっと綺麗だろうなとテミンは思う。
そんな思考に捕らわれるなり、初恋の相手であり、片想いの麗人が気になってしまい、横目にちらっと見遣れば、ユノは真剣に映画を見ていた。
鼻筋のラインと直毛の長い睫毛が、いつも見ても綺麗だ。
それに顎も細くて小さい。
妙に女性的なラインがユノには、沢山ある。
なのに、髭は濃かったりして、アンバランスな魅力で溢れているのだ。
これ以上見つめてしまうと、映画に集中しているユノの邪魔になる。
テミンは、そっと視線を外し、退屈な映画の世界へと戻った。
しかし、退屈だと感じていた映画に、いつしかテミンの方がのめり込んでしまっていた。
二人が結ばれた瞬間、戦争が始まり、二人の運命が引き離されてしまったからだ。
前のめりになってスクリーンを見つめていたテミンの手と腕に、唐突に重みが伸し掛かる。
何だ?と夢中になっていたスクリーンから視線を隣に移せば、ユノが空いてる方の席へ頭をはみ出すようにして、眠っていた。
腕だけが、ひじ掛けから落ちてテミンの方へ乗り出してきたようだ。
テミンは小さく笑うと、ユノの頭を自分の肩へとゆっくり慎重に乗せ、顔を覗き込む。
口だけは開いているが、目が開く気配がないので、熟睡しているんだろう。
仕事がもしかして忙しい時期に、誘ってしまったんだろうか?
それなら申し訳なかったなと思いつつ、テミンはじっとユノの顔を眺めた。
理想的な唇が、半開きで間近にある今、キスをしないと言った約束を反故にしてしまいそうだ。
ポケットに捻じ込んだマスクを取り出して、苦しくないように、鼻先は完全に出した状態で唇だけが隠れる状態になるようにマスクをユノにつけると、テミンはそっとマスクの上からユノの唇にキスをした。
鼻先がぶつからないように、慎重に顔を離すと、テミンはユノの髪を撫でて、スクリーンに視線を戻した。
映画が終わり、エンディングが流れても、ユノは起きない。
テミンは、マスクの隙間に指を一本突っ込み、マスクを引っ張って限界まで伸ばして、指だけを抜いた。
すると、耳に引っかけるゴムがまた縮み、ユノの鼻の下をそう強くはない力で叩き、その衝撃で気付いたのか、おもいっきり寝起きの顔でユノはテミンを見てきた。
「おはよう」
「・・・おはようございます」
指先で目をごしごしと擦るユノに、さっき気にかかったことをテミンは口にする。
「仕事、今忙しいの?」
「ん?そんなことない。でも新作のケーキを考えたりしてて」
その言葉だけで、ユノが徹夜している姿が、テミンには浮かんでしまう。
妥協を許さない性格なのは、お互いさまだ。
だから余計にユノの行動は、テミンにとって想像に容易い。
もう今日はユノを店まで送って帰ろう。
そうテミンが思っていると、ぐっと伸びをしたユノが、すっきりした顔つきで溌剌と言葉を紡いだ。
「よし。次の勝負、何にする?」
「え?」
「勝ち逃げは許さないからな」
目を眇めて挑発的な笑みを浮かべるユノ。
それは高校時代によく目にした表情だ。
どうやら負けたときのテミンの要求が、自分にとってそう無体なことではないと分かり、ほっとしたと同時に安心仕切るなり、元来の勝負欲というか、負けず嫌いの根性に火がついたと言ったところだろう。
こういう所は、本当に可愛いけれど、心配なとこだとテミンは思う。
思わずため息をついてしまったテミンに、ユノはむっと眉を寄せると、魔法を解いてもらうまで俺は帰らないからなと、テミンにとっては嬉しい限りの宣戦布告までする始末だ。
「そうだね?二つの魔法に掛かってる状態なんだから、ユノにあとはないね?」
可愛さ余って何とやら。
ぎゅっと形のいい鼻をテミンがつまみ上げれば、ユノは息苦しさにマスクをずり下げた。
現れた赤い唇に、ちゅっとキスをして、テミンは鼻先から手を離すと、にんまりと笑う。
「おまっ!!」
一瞬何が起こったのか分からなかったユノだが、数秒後には目を見張り、マスクを勢いよくずり上げて、唇を隠した。
テミンは叩かれる前に素早く席を立ち、ユノを残して歩きながら、無理難題を押し付けてやらない自分の惚れた弱みも確信して、呆れてしまう。
そして悔し紛れの言葉を口にした。

「今のは、魔法を甘くみた罰だよ?」



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