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□ビタースイート
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制服から私服に着替えると、テミンは久しぶりの早番だったので、街をぶらぶらして食事でもして帰ろうかと、頭の中で計画を立てた。
すると、羽織ったばかりのチェスターコートのポケットからブルブルと振動が伝わってくる。
手を突っ込んでスマホを取り出すと、着信はキムジョンインだった。
キムジョンインとは、二年ぐらい前から店に通っている常連客で、テミンとは同い年のプロのバレエリーナで、かなりの有名人だ。
バレリーナとしては、カイという名で活躍している。
彼は最初、身体の調子を整えるために漢方薬の処方箋をもらいに通っていたが、身体をリラックスさすために、エステにも通いだして、知り合った。
担当こそしたことがないが、受付なんかで何回か話しているうちに仲良くなり、次第にプライベートでも会う親友の間柄へと変わったのだ。
「もしもし?」
「テミン、ちょっとお願いがあるんだけど」
深刻なジョンインの声に、テミンは敢えて何も聞かず、言われた場所へと向かった。
けれど、到着してみれば、そこはクラブで、テミンは、呆気に取られる。
キムジョンインという男とプライベートを共にするようになってから、クラブという場所には一回も足を踏み入れていない。
二人にとっては、縁遠い場所だ。
場所を間違えたのだろうか?
そう思いながら、スホマを取り出そうとした時、テミン?と呼ばれて振り返る。
「え?ユノ?」
こんな偶然があるのだろうか?
エステに来た時よりも、幾分ドレスアップした姿で、姉のボアと腕を組んだユノが立っていた。
「あれ?テミン君も、パーティーに?」
ボアがにこにこと親しみを込めた笑みで聞いてくるのを、テミンは状況が呑み込めていないとばかりに、パーティー?と鸚鵡返しした。
「知らないの?今日は、このクラブ貸し切りでパーティーなの」
集まりは、何だったけな?とクラッチバックから招待状を取り出そうとするボアは、仕事柄こういう席によく出席しているのだろう。
にしても、ここまで連続して偶然の再会が連続すると、誰にか分からないが、仕組まれているような気分になってくる。
きっとユノもそうだろうと、ちらっと見遣れば、前髪をアップしてジャケットだけは、かっちりしたものに変えたユノは、それだけでモデルみたいな品格が溢れている。
困り顔で笑い返してくれる顔も、大人の色香というものを、しっとりと漂わせる雰囲気を持ち合わせていて、時間の流れを改めてテミンに痛感させた。
ユノも、もう二十代中盤に差し掛かった、青年の魅力に溢れる男なのだと。
「分かった。異種職業交流パーティーだ」
招待状を見つけたボアが、内容を確認してからテミンに教えてくれる。
「異種交流?」
「ま、大規模な合コン?でもそれなりの職業の人しか入れないって感じかな?」
聞いた瞬間、テミンの笑顔が引き攣った。
キムジョンイン、あの深刻な声は何だったんだ。
二人に取り合えず挨拶を済ませて、ここから立ち去ろうとしたテミンだったが、後ろから肩を組まれてしまい、錆びた鉄のように、ギギッと首を回して振り返る。
「テミン、待ったか?」
勿論、肩を組んできたのは、キムジョンインだ。
会場からわざわざ出てきて、テミンを探しに来たようだった。
この場合に限り、あまり嬉しくない優しさだ。
逃げるに逃げれなくなったが、素直に行くテミンではない。
「待ってないけど、お前なんだよ、これ?」
「いや、怒ると思ったから、」
口籠るジョンインに、当たり前だと食って掛かろうとしたとき、先に両手を合わせてごめん!!と謝れてしまい、テミンは口を噤む羽目になってしまった。
「うちのバレエ団の協賛が、主催なんだよ。付き合ってくれ」
頼むと必死に頭を下げてくる親友を無碍にできずに、テミンは眉尻を下げた。
この友人には、ゲイであることをカミングアウトしてない自分も悪いのだと言い聞かせて、テミンは渋々頷いた。
「今日だけな?」
「テミナ!!」
サンキュー!!と、大袈裟に抱きついてくるジョンインを抱き止めて、背中をポンポンしていると、ハイヒールのカツカツと歩く音が近づいてくる。
「あなた、バレリーナのカイさん?」
ボアが営業スマイルで聞いてくるのに、カイが、テミンを離して答えてる。
その間に、テミンがユノを見れば、視線が合うなり、ぷいっと素っ気なく外されてしまった。
あれ?怒ってる?
ユノがどうして自分に怒っているのか分からず、テミンはカイとボアの話が終わるまでの間、ずっとユノを見ても意図して視線を合わさないようにユノがしているからか、それ以降全く視線が合わさることがなかった。
二人の話が終わり、テミンはカイと会場に向かいつつも、ちらっとユノを見れば、何処か悲しそうな表情で俯く姿があって、自分の意識の全てが、それだけでユノへと向かってしまいそうになるのを感じた。


会場は予想していた通り、ガンガンと耳に五月蠅い音楽と、男女の欲望の熱気が入り混じったあまり居心地のいい空間とは言えない場所で、テミンは既に早く帰りたいというオーラを全身に纏わりつかせながら、ジョンインに耳打ちした。
「どれくらい居たら、帰っていいんだ?」
すると、一瞬考えたジョンインが、指を二本立てた。
「二十分?」
テミンのボケという名の、本心が入り混じった回答に、ジョンインは苦笑しながら、二時間でお願いしますと頭を下げる。
あからさまに嫌な顔をテミンがしてみせれば、ごめんと言うように自分を抱き締めてくる。
そんなことをしていれば、数人の女性がジョンインが有名なバレリーナと気付いて、取り囲んできた。
「客寄せパンダ頑張れ」
腰を数回たたいて、そう耳打ちをすると、早々にテミンはジョンインの傍を離れた。
引き止めようとするジョンインの手を満面の笑みで交わしたテミンは、オードブルが並ぶテーブルに行き、一人で料理を貪ることに決めた。
別段女性の相手をするのは嫌いじゃないが、今日は数年ぶりにユノに長い時間触れたせいで、気が高まっていて、女性よりも男と話したかった。
本当に男っていうのは、欲望に忠実で嫌になる。
テミンは、料理を頬張りながら、ユノを探した。
案の定、こちらも沢山の女性に囲まれていて、目立つ存在だ。
「やっぱ、より取り見取りじゃん」
ワイングラスを片手に、女性をはべらかす姿が妙に様になっている。
表情から察するに、完全なる営業スマイルだが、あれでも女性はイチコロだろう。
財閥の御曹司のような風格に、テミンはふっと口角を上げて笑う。
「あの子たちよりも、ケーキの方が可愛く見えるって、本当なのかな?」
一人ごちた途端、昼間にボアから聞いた話を思い出してしまった。
テミンが女の子だったなら、そうユノはいつも言っていたという言葉だ。
自分が女だったら、結婚を前提に付き合ったとでも言うのだろうか?
彼女らの中に混じっていても、ユノは自分にだけ長く節くれだった綺麗な指を差しだして、おいで?とほほ笑んだのだろうか?
想像した瞬間、ぞっとして吐き気を覚えた。
「それこそ、親友ですらないじゃないか」
吐き捨てるように言い放つと、テミンはバーテンのとこに行き、ビールを貰うと人気のない場所を探した。
ユノのことになると、冷静になれずに衝動的になってしまうのは、数年経っても変わらない。
普段の自分とは全く違う自分になってしまう瞬間があって、酷くそれにも焦りを感じる。
そう、ユノと居るときだけは、自分が思春期の子供に戻ってしまうのだ。
高校時代に舞い戻って。

やっと一人になれそうな場所を見つけたと思ったら、先約が居た。
色の白いそこそこ綺麗な顔をした男だった。
一瞬、この場に留まるか迷ったテミンを察したように、男は品良く笑みを刻んで、どうぞ?と手で席を示した。
「ありがとうございます」
多分、テミンより二つは年上だろう彼に、礼を言い、座る。
テーブルには、既に空になったグラスが何個も並んでいて、かなりの酒豪だと分かる。
「きみも、こういうの苦手なの?」
「ええ、全然好きじゃないです」
「僕と一緒だね?」
にっこり。
この安心感は、何処かジンギヒョンに似ている。
でも容姿は全く違い、彼の方がぱっちりとした瞳で、目鼻立ちもジンギよりもくっきりしていて、一般的には端正という言葉で形容されるだろう顔立ちだ。
テミンの好みの顔ではないが、性格もあのヒョンよりも癖がなく純粋そうで、口説きやすそうな印象がある。
ただ、こんな場所にゲイは来ないので、彼はヘテロだろうが。
「名前、聞いても大丈夫ですか?」
「ジュンミョンだよ、えっと、君は?」
「テミンです」
「テミンね、よろしくね?」
にこっとまたほほ笑むジョンミョンに癒される。
少しだけ暖かくなった心のままに、テミンはジュンミョンと饒舌に話した。
二時間があっという間に過ぎ、もうここに居なくてもいい時間だ。
ちらっとジュンミョンを見れば、本当に彼は酒が強いのか、色白だというのに赤くもなっていない。
これだけ強ければ、酔いに乗じてというのも彼相手には、通用しないだろう。
一夜限りの関係とか、テミンは本当は好きじゃないが、今夜だけは無性に誰かの体温に縋りたい気分だった。
その相手に、彼がいいなと思っているのも事実で、テミンは指先を伸ばすと、彼の唇のふちを戯れに触れてみた。
「残念だけど、綺麗な恋人が怒ってるよ」
しかし、彼は笑ってそんなことを言う。
訳が分からず、テミンが振り返ると不機嫌顔のユノが立っていて、目を見張る。
「ちょっと、来い」
強引にテミンの手を掴んで、椅子から引き上げるように立たせると、大股でどんどん歩いていく。
状況が理解できないままに、引き摺られながら歩いてテミンがついていくと、車に乗せられた。
どうやらボアと二人で車で来たのだろう。
運転席に乗って来たユノは、やはり怒っていて、テミンは首を傾ける。
ユノが寂しそうな顔をしているよりは、怒っている方が、テミンはホッとできるが、なんでこんなに怒ってるのかが、分からない。
それでも夜の闇に紛れていて、例え殺気だった横顔ですらも、ユノは綺麗だ。
見飽きることもないので、テミンは少し酔った感覚を楽しみながら、ユノをじっと見つめていた。
何分か経過した時、漸くユノがテミンの方を見て、口を開いた。
「俺には、友達としての価値はないのか?」
いきなり何を言い出すかと思えば、また平行線を辿る殺し文句に、流石にテミンも嫌気が差した。
「またその話?ユノ、分かってくれたんじゃないの?」
うんざりした気持ちを隠さずに、テミンは嘲笑を浮かべて、ユノから視線を逸らすと、車の窓の淵を指で辿った。
駐車場の目の前の建物のライトアップの光が、車に差し込むせいで、窓にもユノの姿が映る。
自分の言葉を咀嚼した途端、酷く傷ついた顔をするユノが、映りこんで胸が痛んだ。
だけど、もう引くには引けない。
今日は感情が上手くコントロールできない状態だった。
「俺が女だったなら、こんな面倒な話もしなくて済んだだろうにね?」
それだけ言うと車から降りようとしたテミンの肩を、ユノが強い力で押し留めた。
「テミナ!!違う!」
振り返ったテミンは、複雑そうな表情をするユノの額をそっと撫で、切なく笑った。
「いいよ。俺だって、結局最初から親友になりたくて近づいたわけじゃないんだから、一緒だよ。っていうか、もっと酷いよね?それに結婚しなきゃ、親友にはなれないとか言ってさ。自分ばっかなのは、分かってる。」
「テミナ・・・」
ユノの吸い込まれそうな黒い瞳を見て居られなくて、テミンは瞼の上に軽いキスを落としてユノの瞳を見えなくした。
「ごめん、諦めきれなくて。」
ユノも目を開けようとせずに、長い睫毛を震わせた。
テミンの声だけで、その辛い心情が十分に察せられたからだろう。
「だから俺は、ユノの親友でいる価値もない男だよ?」
今日がテミンにとっての本当に別れだ。
決意を固めて言うなり、車を降りようと思ったのだが、ユノがぎゅっとテミンの手を握りしめて離さない。
「ユノ?」
「なら、魔法だけ解いてくれ」
「え?」
「ケーキしか可愛く見えないようにしたの、お前だろ?」
ユノがそっと目を開き、長い睫毛に縁取られた澄んだ瞳を向けてくる。
いつもよりも潤んだように見えるその瞳こそが、魔法のようでテミンはただただ動けずに、じっとユノの瞳を見据えた。
「お前が卒業式の日にキスしてから、女の子が可愛く見えなくなったんだから!!今日だってそうだ!お前が一番綺麗とか思っちまうんだよ、可笑しいじゃんか。こんなの」
目を彷徨わせつつも、自暴自棄に叫んだユノの言葉に、テミンは目を丸くする。
このハイリスクでノーリターンな男は、意味を分かって叫んでいるとは、到底思えない。
しかし、考えることが面倒だった。
もうどうでも良かったと言える。
キラキラ光る目の前の黒い瞳の魔法で、テミンの思考も蜃気楼のようにぼやけていた。
魔性の魅力というべきユノの魔法は、自分には一溜りもないのだ。
テミンは、ユノの首を片手でがっつり掴むと、もう片方の指先でユノの耳たぶを弄りながら、顔を近づけた。
「今度は、かける魔法を間違いないでおく」
え?と目を丸くしたユノが、距離を取ろうとドアへと背をつけるも、テミンはサイドブレーキを乗り越えて、ユノの太ももに片膝を乗り上げると、また顔を近づける。
「俺のこと、好きになる魔法にしとく」
真顔で言うなり、テミンはがぶりとユノの唇を覆うように吸い付き、角度を変え、茫然とするユノの口内へと無遠慮に舌を捻じ込んだ。




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