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□ビタースイート
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思えば、テミンの異性との交流は少しばかり逸脱していた。
ストーカーという言葉を知らない頃から、幼い少女たちは、テミンを追い回していたし、中学に入ってからは、他校の可愛い女の子からも度々そういった行為をされ、友達たちからは羨望の眼差しを向けれたが、テミン自身は友達との感情の差を目の当たりにしただけだった。
異性に欲情できない理由を、テミンが自覚し、理解したのは、高校に入学してからである。


大雑把で顔に似合わず男っぽい性格のテミンだったが、桜を愛でるのは嫌いじゃなかった。
風情を五感で感じるそう言った情緒は持ち合わせていた。
まだ四分咲きのソメイヨシノをじっと眺めていると、少し離れた所でテミンと同じように桜を眺めてる姿があった。
自分と同じ制服を着た細長いシルエット。
モデルのような比率の身体は、まだまだ少年の面影を残していて、標準体型よりも細いテミンが思うのも可笑しな話だが、華奢で薄っぺらい。
現実離れした体型を観察するように、気付けば凝視していたテミンだったが、視線を縫い止められ、見惚れてしまったのは、桜を見上げる横顔だった。
まるで一つ一つを手間暇を込めて職人が作り上げたかのように、美しさだった。
桜ですら、彼の美しさを引き立たせる脇役に徹している。
寧ろ、桜の妖精なのだろうか?
テミンは、自分の視線をここまで釘づけにする人間と出会ったことがなかったから、彼を同じ人間だと最初思えなかった。
近付いていき、滅多に自分からは話しかけることがないテミンなのに、自然と彼には話しかけていた。
「綺麗だね」
何も考えずに発していた。
間近で見る彼は、さっきよりもずっとずっと綺麗だったからだ。
「うん、満開が待ち遠しいな」
だけど、話しかけられた彼は男の自分が、綺麗と称賛されているとは、爪の先ほども思わなかったのだろう。
綺麗とテミンが言ったのは、桜のことだと思って疑っていない。
「名前、聞いてもいい?」
何に焦っているのか分からなかったが、衝動のままにテミンは聞いていた。
すると彼は、嫌な顔一つせず、寧ろ人懐っこい笑みまで浮かべて、ユノと名乗った。
無防備な笑顔が、胸に突き刺さるような錯覚を起こす。
春の柔らかい日差しのように、ユノがまた笑みを深くして、名前、教えてくれないのかよ?と言った。
不思議と心が温かくなるユノの笑顔に、見惚れてしまいそうになりながら、テミンは人好きする笑みを浮かべて返していた。
「テミン」
自分の欲情を刺激する人間とテミンが出会った初めての日だった。
この日からテミンは、自分がマイノリティな人間で、ゲイなのだと自覚して生き始めた。



まだ固い蕾を指先で突っつき、テミンは夜道をフラフラと歩く。
酔ってるわけではなかったが、春の訪れを感じただけで、高校時代を思い出して、家に真っすぐ帰りたくなくなる自分は、少し酔ってるのかもしれない。
ボーっとしながら歩いていたせいか、いつもは縁のない駅まで来てしまっていた。
時間は、22時を過ぎたあたりで、まだ終電には余裕がある。
探索してみようかと、またフラフラと行く当てもなく、テミンが歩いていると、可愛い店構えの店が先の方に見えてきた。
しかも、電気がついている。
何屋さんだろうと、テミンが近づいていくと、甘い匂いが夜風に運ばれてきて、鼻先を擽ってゆく。
そして店内が見えるとこまで来ると、ケーキ屋だと分かった。
立ち止まって看板を見上げれば、今日聞きかじったばかりの店名で、テミンは驚きに目を見張る。
モン プティトゥ シェリ−と間違いなく書いてあることを確認しつつ、中をじっと覗き込んだ。
ケーキ屋が、こんな夜中まで営業していると思えない。
だが、テミンが見える範囲だけでも、ここのお菓子は可愛い。
店名が可愛いと言うだけのことはある。
キボムが喜びそうなものが沢山溢れていて、テミンは明日のおやつでも買って行こうかと、ダメ元で店内へと入った。
静まり返った店内には、甘い匂いと可愛いお菓子たちだけで、人がいる気配がしない。
それにメインのショーケースには、ケーキが一つも入っておらず、営業してるとは到底思えなかった。
出直すかと、テミンが踵を返した時、酷く懐かしい声がしたのは。
「あ、すみません。営業時間終わちゃってて」
咄嗟に振り返ったテミンは、今日散々聞かされて信じていなかったパティシエが、完璧なことにもう異議は唱えられないと思った。
今流行りの丸い眼鏡をしているが、自分の初恋の人であるチョンユンホに、そのパティシエは瓜二つだった。
ユノに双子はいなかったので、他人の空似かもしれない。
なんせ、この世の中には、自分に似た人間が三人もいるというのだから。
けれど、そんなテミンの往生際の悪すぎる思い込みも、自分と同じように顔を見て、固まっている男を見ていると、偶然の再会という言葉で簡単に片づけられそうだと思えてくる。
そう自分の都合良いように世の中はできていないのだ。
にしても、久しぶりに会ったユノは、やっぱり可愛くて可憐だと思う。
驚きすぎたせいで、ポカンと間抜けに開かれた唇と丸くなってしまった目。
視力のいいユノが何故丸い眼鏡をかけてるのかは知らないが、その眼鏡も妙に似合っていた。
鼻の造形美に秀でたやつだから、サングラスでも眼鏡でも、何でも似合うのは分かっていたが。
「・・・テミナ?」
恐る恐る紡がれた自分の名前に、やっぱりユノかと妙に冷静に俯瞰している自分を不思議に思いつつ、テミンは久しぶりと笑った。
それだけ言うと、すぐに店を出て行こうとしたテミンの腕を、ユノが駆け寄って掴んできた。
「ユノの店って知ってて来たわけじゃないんだ」
ユノが何かを言う前に、牽制するようにテミンが言えば、腕を掴んでたユノの手の力が弱まるのを感じた。
視線を指に向け、確認する。
安堵する感情が、怒涛の如く押し寄せてきて、無性にため息をつきたい気分だった。
「結婚してないなら、会えない」
甘い匂いが立ち込める中にあっても、身近にいるユノの匂いを必死で感じ取ろうとしている自分が、惨めに思えてならない。
一刻も早く立ち去りたいのに、ユノが掴んだ手を離してくれない。
「お前に会いたいから、早く結婚したいのに、彼女すらできないんだ」
ちらっと視線をユノの顔に向ければ、黒目がちの瞳が揺れていた。
あの日、告白した日と同じ目をしている。
どれだけ友情に厚く、人が好きな男なんだと呆れてしまう。
しかし、呆れつつも寂しがっているユノを見ていると、嬉しい気持ちにもなってしまうんだから、堪ったもんじゃない。
「嘘つけ。より取り見取りだろ?相変わらずムカつくくらい可愛い」
昔から可愛いと言えば、ユノはお前に言われたくないだとか、カッコイイって言えとテミンを叱った。
けど、今日は何も言わない。
テミンがわざとそう言ってるのが、分かってると言わんばかりだ。
鈍感な癖に、こういうとこは嫌になるぐらい敏感なやつだと、テミンは思う。
「テミン、結婚しないと俺たち一緒にいれないのか?もう六年だぞ?卒業して。」
流石にこれには、テミンも我慢ならなかった。
テミンとユノは考え方や性格が少し似ている節があった。
一度口にしたことを、守らない人間では二人ともない。
分かっていながらそれを言うのか?
「本当、罪づくりというか、拷問の達人というか」
そっとテミンは、ユノの頬へと手を伸ばした。
仕事に精を出しているせいか、昔よりも荒れた肌だが、ユノに触れているという事実だけで、テミンの胸には愛しさがこみ上げてくる。
しかし、そんな想いは微塵も表情に出さずに、テミンはにこっと笑った。
「俺とセックスしてくれたら、普通に会うよ」
テミンが何を言ったのか、最初理解できずにいたユノだったが、言葉を咀嚼した途端に、眉間に皺を刻み、剣呑な雰囲気を滲ませる。
そして次の瞬間には、怒りや軽蔑と言った様々な感情を灯した双眸で、きつくテミンを睨みつけた。
「って、ことと同じだよ。ユノが俺に求めているものは」
真っすぐユノの視線を受け止めていたテミンは、そう言って冷笑を浮かべると、怖いぐらいの真顔で言い放ち、ユノに触れていた手を引っ込めた。
「ユノは俺に友情しか求めてない。それは俺だって同じだ。ユノには愛情しか求めてない。これがイコールで結ばれることは、決してないよ。ユノが結婚でもしない限り」
さっきまでのピリピリとしたオーラは、一瞬でユノの周りから消え失せた。
代わりに、傷ついた小動物がちょこんと身を置いている。
テミンだって、何もユノを困らせて傷つけるために、こんなことを言ってるわけではないのだ。
「ほら、今の俺にはユノをそんな顔にしかできないから、会いたくないんだ」
テミンが切ない顔で言えば、ユノも同じような表情で目を伏せる。
こんなユノを見て、何も言わずに去れたならば、今とは違う関係を築けたのかもしれない。
テミンはユノを抱き締めると、諭すように優しく言葉を掛けた。
「早く結婚してよ。そしたら、ユノの好きだった親友のイテミンは戻ってくるから」
そっと身体を離して、ユノの顔を見上げれば、黒い瞳はまた揺れていた。
飼い主に置き去りにされてしまう子犬のようで、胸が締め付けられる。
また当分は、この顔が頭を埋め尽くすのだと、諦めの境地でテミンは店を出た。
もうこの駅には、これから先近づいてはいけないと誓って、ホームに飛び込んできた電車に乗った。
それが昨日の出来事だ。
偶然の再会から一夜明けて、今度はテミンも昨夜のユノ同様に、口をぽかーんと開けて、目を丸くして突っ立っている。
目の前のユノも、隣で受け付けをしている姉のボアとキボムのやり取りそっちのけで、昨夜と全く同じ表情で間抜け面を晒していた。

「担当のキムキボムです、宜しくお願いしますね?お部屋に移動しましょうか?あ、弟さんのユノさんは、また別の者が担当しますので」
一人残されたユノは、意識をやっと取り戻すと、ヌナの付き合いでと居心地悪そうに呟いた。
テミンに合わせる顔がないと言わんばかりの、ぎこちないユノの態度を見る限り、昨日の発言をよっぽど悪いと思って気にしているのだろう。
こういう素直で純粋なとこが、テミンから言わすとビジュアルだけではなく、ユノを可愛いと言いたくなる理由でもある。
「火曜日が定休日なんだ?」
「う、うん」
テミンが昨夜の出来事がなかったかのように、普通に話しかければ、ユノは戸惑いながらも返事を返す。
「ヌナ、雑誌関係の仕事してる人だったもんね?取材がてらうちに来ても不思議じゃないよ」
「うん、でも俺の肌が汚くなってきたからって無理やり連れて来られたんだ。あと、お腹も摘まめるって」
ユノもテミンが普通に話しかけてくるので、次第にいつもの調子で、話をしだした。
「あ〜、そうだね?昔はつるつるだったから、余計目立っちゃうんだろうけど、これぐらい男なら普通だよ?でも」
目を眇めて、ユノのお腹周りに視線を止めたテミンは、それじゃあ彼女できてもねぇ〜とニヤニヤと少し嫌味な笑みを浮かべて言った。
すると、唇を尖らせたユノは、テミンの肩をバシバシ叩きながら、いいんだよ!ケーキしか可愛く見えないんだからと、答える。
あのお客が言っていたことは本当だったのかと、目を丸くしたテミンの表情に、ユノはまた小馬鹿にされたと思い込んだようで、拗ねるようにそっぽを向いた。
「だから、暫く結婚はできないよ」
何処か怒った口調で言うユノに、テミンが言葉を返そうとした時、ユノの担当を務めるシムチャンミンが迎えにきてしまう。
ドアの奥にユノの背中が消えていくと、テミンはため息を零した。
「ケーキしか可愛く見えないとか・・・。もう天才的な可愛い攻撃やめてほしい。」
両手で髪を搔き乱して、テミンはレセプションルームで一人項垂れるのであった。




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