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□Is this Love @
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「シントゥアンに動きがあったのか?」
ジョンヒョンの問い掛けに、静かに頷くミノ。
「店の名簿が流失しました」
ジョンヒョンは、額を押さえて深い溜息を零した。
というのも、中国という国は他の国の追随を許さないぐらい不正な利権と金が、日常的に動いているのだ。
幹部にのし上がれれば、自分が便宜に費やした十倍の金が、懐に戻ってくる。
そんな汚職にまみれまくった腐敗した世界だったのだが、現中国国家主席が大々的に展開している腐敗一掃キャンペーンは、悪しき慣例であったはずの、党の幹部は処罰されないというものを撤廃し、蝿でも虎でも叩くと豪語する強行で、庶民の支持を獲得している一方、富と権力の傘に守られてきていた共産党の幹部や企業幹部は、一旦目を付けられると逃げられないという想いからか、心を入れ替えたように煩悩を引っ込めた。
そのせいで、アポストロデディーオが経営している高級会員クラブも閑古鳥が鳴いているが、今まで通いつめていた常連たちに、口止めの意味も込め、一人につき数十億ウォンの会費と名ばかりの金も集めたので、首席が交代するまでの間は、開店休業中でも何ら問題はない。
だが、資金源のお得意さまの情報が漏れたとあっては、見過ごせない事態だ。
しかも、相手がシントゥアンとあれば、尚更である。
シントゥアンとは、今や上海に置けるマフィア組織の最大級規模を誇る組織だ。
ここ五年の間に急成長し、上海一体の組織を片っ端から呑み込んでいった。
表向きは、ただのフロント企業を装っているが、裏では何をしているのか未だ未知数で、分かっていることは、シントゥアンの組織が年々大きくなっているということだけだ。
そういうわけで、今上海に残っている組織は、アポストロデディーオとシントゥアンという両極端な組織だけになってしまったと、市民は嘆いている。
温情派で、人情味のあるアポストロデディーオは、本来なら忌み嫌われるマフィア像というものを壊したと、取り仕切っているシマからの人望が厚い。
方や、シントゥアンは間逆だ。
未だ、そのトップが誰であるかすら分からない謎に満ちた組織だが、冷酷非情という言葉を地でいく恐怖で人々を従わせる組織だという認識は、市民の間でも既に根付いてしまっている。
マフィアの見本や手本とまで同業者に言わせてしまう程に、シントゥアンは同業者にも恐れられている。
それだけに、アポストロデディーオは対立したくなくても、シントゥアンと対立を余儀なくされた運命なのだ。
シントゥアンがこちらを邪魔だと思っている事実もあるだけに、事態は深刻だった。
情報が漏れるということは、どう料理されても文句は言えない。
しかも、相手は中国の最高峰の権力者ばかりとくれば、こちらの命だって危ない。

「キャストの誰かが薬漬けにでもされたか?」
「調べましたが、そういった事実はありませんでした」
ちっと舌打ちを打ったジョンヒョンは、窓際に置かれた一人掛けの椅子に座ると、苛立ちを表情と声に乗せて言い放った。
「ユノヒョンのペットの身元は分ったか?」
「至って普通の一般人です」
「家族は?」
「調べた限りでは、残念なことに引っ掛かりもなく。ただ、偽装されていなければの話ですが」
相手は、上海を牛耳るマフィア組織だ。
見ず知らずの人間をその男の家族に仕立て上げるなど、造作もない。
「相手が一枚上手か・・・」
溜息をついて、深く椅子に身体を沈めこませたジョンヒョンの頭上に、思いもかけない言葉が降って来る。
「ヒョンに聞くのが一番早いかもしれませんね」
ん?と不思議そうに視線を寄越してくるジョンヒョンに、少し悲しそうにミノが微笑んだ。
「ユノヒョンは、そういう人です。自分の身に危険を及ぼすと知りながらも、手元に置くような」
その言葉は、ミノ自身の兄であるチャンミンのことを指し示しているのは明白だ。
あの出来事で、ヒョン大好きブラコンのミノが傷付かなかったわけがない。
自分が置いて行かれただけでも、身を切り裂かれたような大きな傷ができたはずだったのに、恩人であるユノにまで、深い傷をつけた兄を許せるはずがなかった。
義理堅く純朴という言葉は、ミノのためにあると周囲の人間に言わしめさせる。
それが、ミノという青年の性格なのだ。
彼が苦しまなかったわけがない。
まだ止血すら済んでない傷をわざわざ抉って、自分に言葉を投げかけたミノに、やはり自分の片腕はこいつしかいないと、ジョンヒョンは思い、痛感する。
ミノの忠実さは、犬のそれよりも遥かに上回りそうなスペックを携えている。
心強いと思う反面、無茶をしないかという心配もいつだってついて回る。
「兄弟の俺ですら、ユノヒョンの未知数さには、毎回調子を狂わされてるからな?確かに、分っててペットにしたっていうのは、十分にありえる。ただ、この勘がもし当たってんなら、今回は心配だな」
自分の兄に絶対の信頼を寄せるジョンヒョンらしからぬ言葉に、ミノの大きな目には自然と疑問符が乗ってしまう。
それに対して、ジョンヒョンはお前を責めているわけじゃないからな?と前置きして、椅子にきちんと座りなおすと神妙な面持ちで、話し出した。
「人間って、罪悪感だとか、負い目だとか、後悔っていう感情が大きい出来事ほど、どうにかしてその過去をやり直そうとしたくなるだろ?」
ジョンヒョンの言葉を聞いて、はっとミノの目が大きく見開かれた。
「まさか・・・ユノヒョンは、チャンミニヒョンのときにしてあげられなかったことを、今回やろうとしていると?」
「ああ。勘が当たってればそうなる。ヒョンにしてみれば、犬や猫と人間も一緒だ。あの博愛主義の精神に勝てる人間は、いないじゃないかって最近思うね」
そんな兄の姿を見ていると、いい意味で人を魅了してしまうあまり、いつか誰かに殺されてしまう人生の終わり方しか見えないと、勿論ユノ本人にも言ったことはないが、ジョンヒョンは内心思ってしまうのだ。
ろくでもない人間という言葉は、皮肉にもユノにも使えてしまうんだと。
「どうりでチャンミニヒョンが去るわけですね」
兄の行く末を一人案じていたジョンヒョンの目に、苦笑の見本のような苦笑を浮かべたミノが映った。
その表情は兄、チャンミンが出て行くことは、遅かれ早かれ避けられない事態だったと苦渋と呆れが滲んでいる。
「ん?あー・・・まぁ言いたいことは分かる」
でしょう?と更に苦笑を深めたミノの苦笑が、ジョンヒョンの顔に伝染するのは、必然だった。
「チャンミニヒョンって、品行方正という文字通り忍耐強くて、物静かで理知的に一見見えてしまいがちですが、人一倍欲深いですから。自分だけの愛情欲しさに、奪う側に回ってしまったんでしょう」
「ユノヒョンって、生半可な性質の悪さじゃないからな〜。癌と一緒っていうか。身構えずに触れたら最後。ヒョンは意識してなくても、その人間の全てをヒョンに塗り替える勢いで呑み込む」
「そういう人が、意識してやり出したら、本当に恐ろしいですよね」
「ああ。そう思うと、ペットで遊んでる方が健全だったりするんだろうな」
「それも分ってて、ご自身でそうしてるんですかね?」
諦めに似た苦笑が、髪が抜け落ちるが如く、ごく自然にジョンヒョンの唇に溶け落ちていく。
「どうしたんですか?」
「いや、皮肉な話だなって」
自分が兄を、知らない間に重たい鎖で繋いでいた真実が見え、酷く打ちのめされたような気分に陥るジョンヒョンに、ミノは目だけで先を話すことを促す。
「寂しがり屋のユノヒョンが、ペットで我慢しなきゃいけないなんて。なんか、今しっくり来ちまった。あの人、そういうの全て分った上で、覚悟を承知でやってんだ。チャンミニヒョンが癇癪起すのも今なら分るし、何なら同情すらできちまえる」
「・・・ジョンヒョニヒョン」
「ユノヒョンが優等生すぎんのは、どうせ俺のためだ」
あの愛に溢れた人を思えば、簡単に分ったはずなのに、今まで気付けて居なかった自分に失望以上の絶望をジョンヒョンは感じた。
「ヒョンが居たから頑張れてるんだ、ユノヒョンは」
そんなジョンヒョンにありきたりだが、正論だと肯定できる言葉で、ミノは励ましてくる。
その好意を無碍にするほど、ジョンヒョンは子供ではない。
「分ってるよ。だからブラコンなんか一生卒業するもんか」
お得意の言葉選びで、深刻な雰囲気を孕み出した場を収集すれば、ジョンヒョンの気持ちを敏感に汲み取ろうとミノも、目を眇めて突っ込みを入れた。
「こじつけでいい話が、一気に崩壊した」
ジョンヒョンは、満足気に微笑むと、手を一回パチンと叩いて椅子から軽快に立ち上がる。
「さてと、そろそろ仕事すっか?クリスマスだってのにな〜本当なら、サンタしか仕事してねぇんだろ?今日って」
「何歳の人の言い分ですか」
「えー?お前、俺の歳も忘れたの?」
いつまで経っても終わりそうにない会話を終わらすために、ミノはクロークインクローゼットからスーツを一着持って、ジョンヒョンに渡した。
「髪も上げてくださいね?」
「あいあい」
言われなくてもわかってらという顔をして、別の部屋に着替えに行ったジョンヒョン。
ミノはジョンヒョンがいなくなると、ユノのことを考えていた。
ジョンヒョンは知らないが、ユノは国家主席からの依頼で、大きな利権を手にして、不正に関わっている電気閥、通信閥、石油閥、鉄道閥、という国有企業のトップと側近の海外に保管している裏金や、その不正取引の内容を独自に調べ上げ、調査しているのだ。
今、巷で大物党幹部が次々に逮捕されていってる影の功労者は、ユノと言っても過言ではない。
そのことが、今回バレてしまったのではないか?とミノは疑っていた。
店の客のリストがシントゥアンではなく、他の組織に流れたとしても痛いが、その深刻度は、天国と地獄との差があるくらい歴然としていた。
本当にシントゥアン流れていたとしたら、シントゥアンが首席の行いを疎む党幹部からの依頼で調査し、これを機会にしてアポストロデディーオを潰しに掛かる口実が、できたとばかりに、名目戦争に打って出る可能性も否定できない。
「こういう時、俺にもチャンミニヒョンぐらいの頭があれば」
ぐるぐると考え込んでいるうちに、意識せずに零れ落ちた本音に、ミノは眉間に皺を寄せた。
裏切られたと糾弾していても、心の奥では兄を渇望している弱い自分を情けなく思うのは、もう数え切れない。
ジョンヒョンとユノ、二人のために強くなれ!ミンホ!と自分を奮い立たせれば、いつかのユノの言葉が過ぎった。
‘ミノ、強い人間にだけはなるな’
その言葉を聞いた時、ミノはまだ中学生だった。
当然、強い人間にならないとマフィアという組織では生きていけないと知っていたミノは、どうして?とユノに訊ねた。
‘弱い人間の気持ちが分からなくなるからだ。弱い人間が一番強いんだぞ?ミノ’
そう言うユノに、思春期だらこその訳の分らない腹の底から湧きあがる怒りに任せて、ミノは叫んでいた。
なら、ユノヒョンから逃げたチャンミニヒョンは、一番強いの!?
すると、ユノは悲しそうに微笑んでこう言ったのだ。
‘俺が弱い人間じゃないばっかりにお前のヒョンを傷つけた。チャンミンに寄りかかってやれなかった俺が悪いんだ。一人で立つことばかりを意識してしまったから。だからお前のヒョンは俺よりも強いんだ。弱さを知ってるから、ずっとずっと’
チャンミンがいなくなってしまった遣る瀬無さを、ミノは誰かに自分の代わりに受け止めて欲しかった。
だから余計に、そんな無防備な言葉をぶつけてしまったのだ。
不躾でしかない態度だったにも関わらず、まだ二十歳だったユノは、ミノの複雑な心情を察してか、悪者に徹するような言葉を返してくれた。
ユノが悪くないと知りながらも、ぐちゃぐちゃになった感情を整理するには、こんな方法しか知らない自分に、ミノは嗚咽を漏らして涙を零した。
そんなミノを優しく抱き締めてくれたのは、やはりユノだった。
ごめんな?と優しく囁きかけてくれた声に、力強く抱き締め続けてくれた腕の温もりを、22歳になった今も、ミノは忘れていない。
そして今なら分る。
弱かったのはユノではなく、チャンミンだったのだと。
二十歳や、そこいらの年齢の青年が強くあろうとするのは、当然だ。
虚勢を張っていないと生きていけない。
普通の世界で生きるには、いらないであろう虚勢も、この世界では重要なのだ。
それすらも汲み取って、チャンミンはユノの傍にいなければいけなかった。
なのに、若さゆえか、チャンミンは自分の熱情を優先してしまった。
ジョンヒョンは、チャンミンに同情すらできると言ったが、ミノはそうではなく、寧ろこう思う。
ユノが自分を制御して完璧であろうとするのは、チャンミンの要因が大きいのではないかと。
そう、まだ未熟であったチョンユンホという青年のリミッターを振りきり、頑なまでの博愛主義へと展望を遂げさせてしまったのは、シムチャンミンに違いなかった。
今のユノの現状を知れば、それすらも自分の兄は喜ぶだろう。
自身の存在が、チョンユンホの人生に何らかの影響を及ぼす。
それが影であれど、チャンミンは喜ぶのだろうなとミノは思った。

「チャンミニヒョン、メリークリスマス。毎年、毎年ヒョンの喜ぶプレゼントがあることに、俺は最近憤りを感じてるよ」
視線に夜景を捕えながら呟けば、より一層その輝きが増したように見え、ミノは窓に背を向けて、ジョンヒョンの入って行った部屋へと足を向けた。



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