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□メランコリックな指先
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「ユノ、本当にいいんですか?」
気遣わしげにチャンミンが、何度目か分らない問い掛けをしてくるのを、笑顔で本当に大丈夫だとユノは肯定する。
友人のキュヒョンと今日の夜は、もともとチャンミンは出かける予定だったのだ。
それが、午前中のレッスンでユノが主役から外されるという事態に陥ったせいか、チャンミンは落ち込んでいるだろうユノを慮って、予定をキャンセルしょうとした。
それをユノがこれくらい平気だし、よくあることだし、自分の実力が足りないせいだと言って、予定通りキュヒョンと遊んで来いと言ったのだが、出かける間際になっても、まだ心配してくるので、ユノは内心苦笑する。
「俺、落ち込んでないって。またテミンと踊れる状況になって、寧ろ喜んでるくらいなのに」
テミンに嫉妬しているチャンミンの気持ちを、逆撫でするようにわざと言えば、ユノの思惑通りチャンミンは憮然とした表情となって、ユノの唇に触れるだけのキスをすると、低い声でいってきますと言い、ドアを閉めてしまった。
ドアに遮られていると分っていながら、ユノは明るい声で、いってらっしゃい!!と言い、すぐに溜息を零した。
一人になったリビングに戻り、ソファに身体を沈める。
確かにテミンと同じ舞台でまた踊れることは嬉しいが、それと主役を降ろされることは別だ。
天下のパリオペラ座のエトワールとしてのプライドが、潰されたのは言うまでもない。
それでも指導者イレールが、テミンが踊る前に言った言葉が、的確すぎて反論は何も出来なかった。
『ユノ、君のエロティシズムはセクシーさと無垢さが重ね合わさった絶妙なものだと思うんだ。まさに誘惑する者の象徴のようだ。固体を誑かすことの方が向いている。君の自慰の踊りには、情欲に耽るようなものが感じられない。清廉さがありすぎて、つい義務めいた行為に見えてしまう。牧神とは、半分獣だ。獣がそれではいけない。どうだろう?妖精の方を演じてみないか?今までは女性が演じてきたが、君みたいに美しい男が演じるのも、斬新であり、コンテンポラリーの真髄だと思うんだ』
表現力の乏しさを指摘されたと思い、ユノはもう一度踊らせてくださいと、イレールに頼んだが、イレールはにっこり笑い、では、テミンの踊りを見てから、もう一度その気があるならいいなさいと言った。
ユノは、勿論言うつもりだった。
テミンの踊りを見るまでは。
踊りを見てからは、イレールの言葉が氷が溶けるように、簡単に溶け出して心へと染み渡って行った。
結局、ユノはイレールに踊らせてくれとは言えなかった。
それに義務めいた自慰に見えると言われた通り、チャンミンと恋人になってからは、彼の性生活に付き合わされるせいか、自慰をする必要はなくなってしまったし、恋人がいないときも、そろそろしなきゃいけないなと、義務めいた思いで指を動かしていた。
ただの生理現象を解消するための行為にしか思えていなかったのだ。
それこそトイレや食事と同じか、それ以下だ。
何かを頭に思い描いて、達することなんてなかった。
それがいけなかったのかもしれない。
ユノは、徐にスエットの中へと手を突っ込み、下着の中へと指を侵入させる。
でも、このまま手を動かせば、いつもと同じになる。
なら、情欲に耽るためには想像が必要だ。
牧神も妖精の一人を相手に妄想して、自慰をするのだ。
となると、やはりここは恋人のチャンミンを思い描こう。
昨晩、テミンが帰ってから、できたての料理に手を伸ばすこともできずに、激しく口付けられないがら、キッチンであまり前戯もされずに、後ろから激しく突かれたことを思い出す。
けれど、下肢が熱くなるどころか、疼きすらしない。
自分は、性的に淡白なんだろうか?とユノは真面目に不安になった。
自分から、チャンミンにしたいと強請ったことも、そう言えばまだないかもしれない。
愕然とした。
これでは、いつまでも牧神の午後を演じられないのではないのだろうか?と。
不安が一気に押し寄せて、ユノは堪らずクッションをぎゅっと抱き締める。
テミンは、どうしてあんなに扇情的に踊れていたのだろうか?
見ていた団員全員が、あの瞬間はテミンに釘付けだった。
しかも、テミンが踊り終わった瞬間、ユノの振り付けをみんな絶賛しだしたのだ。
ということは、今までユノは自分で振りつけしておきながら、振りを生かしきれていなかったことになる。
益々どつぼに嵌って落ち込みそうになる自分を叱咤し、ユノはテミンの踊りを思い出す。
本来なら、スカーフの所を今回は、コンテンポラリー(現代)を意識して、妖精たちが落すものは、ストールにした。
ストールを拾ったテミンは、唇に銜えてそのまま上体を綺麗に反り、右足を後ろと前に上げるアティチュードをする。
そこから、高く跳躍して、音もなくつま先で着地すると、ストールに鼻先を埋め、抱き締める。
股関節を撫でるようにストールを這わすと、そのまま緩やかに腰を動かす。
その時の目が、ぞくっとする程快楽に没頭する雄と言わんばかりに肉欲に溺れていて、初めてテミンにも性欲があるのかと、ユノは思った。
長く一緒に生活していても、テミンから性の匂いを感じたことはなかっただけに、ユノの知らないテミンの顔だった。
あんな眼つきで、テミンはニューヨークで女性を抱いてきたのだろうか?
そう思った瞬間、踊っているテミンの情欲的な姿がユノの頭をフラッシュバックした。
二年という空白の期間の間に、随分と逞しくなった背筋がテミンの腕が風を切るたびにしなり、それすらもエロティシズムの匂いを感じさせた。
ストールを持っていない別の手の指先が、きわどい箇所に触れるたびに、団員が息を呑む音がした。
踊りが中盤に差し掛かったときには、流れ出した汗すらも、情事を彷彿とさせるものがあって、親友の見てはいけない、知ってはいけない部分を垣間見た気分で、背徳が背筋を走りぬけた。
また、思い出しただけなのに、ユノの背筋が得体の知れない何かが走り抜けていく。
唐突に踊り終わったテミンの表情が、頭を過ぎり、じわりと腰に微熱が広がったのをユノは感じて、心底戸惑った。
「なんで?」
抱き締めていたクッションをそっと退け、下着に手を差し込む。
すると、やんわりではあるが、熱が溜まり、力を持ち始めていた。
自分の身体の反応に、更にパニックになるユノに輪をかけたかのように、頭は踊り終わって虚ろな表情をするテミンの顔で一杯になる。
あの時のテミンの表情は、まさに欲望を吐き出して恍惚と余韻に浸る男の顔だった。
どんどん熱くなっていく下肢に、ユノは怖くなり、服を脱いでバスルームに飛び込んだ。
冷たいシャワーを頭から被るも、下肢の熱は引いてはくれない。
「なんで?なんでなんだよ?」
その初めて体験する感覚に、戸惑いながらも、ユノはそっと下肢に手を添えた。
「あっ」
触れただけで、ビリっと電流が流れたような快感が走り、初めて自慰で声を上げた。
驚きの感情よりも、この快感に浸りたいという感情が湧き上がり、必死にユノは自身をしごき上げた。
高まる快感の波に伴って、大量の体液がだらだらと小さな窪みから零れ落ちていく。
その蜜で濡れた指先を、無意識のうちにユノはいつもチャンミンを受け入れている箇所へと、埋め込んだ。
昨日、乱暴に開かれた身体は、喜ぶように指先を呑み込んでいく。
一本、二本、三本と。
荒く息を吐きながら、その指をバラバラに動かして、自分がいつも感じる場所を探った。
すると、すぐに見つかった前立腺の場所を、抉るように押しながら、もう片方の手で自身を激しくしごき上げた。
すぐに襲って来た一際大きな快楽に、ユノは身体を震わせた。
「ひゃぁ、あっテミンっ!」
九の字に折り曲げた身体が、快感を解放した瞬間、脱力しきってタイルに崩れ落ちる。
今までに感じてきたものとは、比べものにならない快感の余韻に身を委ねながらも、ユノは達する瞬間にテミンの名前を呼んだ自分に、愕然とした。
それだけではない。
行為の最中、何を自分は考えていたのだろう?
快感が去るなり、やってきた理性によって、ユノは罪悪感に打ちひしがれた。
その時、玄関のドアが開く音がした。
ユノは、シャワーを止めると、そのまま玄関へと飛び出して、後ろ手に鍵を閉めているチャンミンに抱き付いた。
「ユノ?どうしたんですか?」
真っ裸のびしょ濡れのユノを、体勢を崩しながらも抱き止めたチャンミンは、困惑しつつもユノを抱き締め返す。
「チャンミナ、忘れさせてくれ」
顔を上げたユノの黒い瞳は、少しだけ涙に潤んでいて、今まで見てきたベッドで乱れるどんなユノよりも興奮を煽られた。
思わずチャンミンが見惚れていると、濡れたユノの髪から顔に雫が落ちた。
その流れていく雫すらも、一つの芸術のようにユノの美貌を引き立てる。
何の言葉もなく、時間を忘れてじっとユノに魅入っていると、珍しく粗暴な仕草で唇を合わせてきたユノに、踏ん張ることができずに玄関へと崩れ落ちたチャンミン。
そんなチャンミンに馬乗りになったユノは、忙しなくチャンミンの服を剥ぎ取っていく。
常日頃とは違うユノの様子と、忘れさせてくれという言葉で、チャンミンは主役を降ろされたことが今になって相当堪えてきたのだろうと思い、積極的に自分を誘惑するカワイイ恋人の耳に、そっと囁いた。
「全部、忘れさせてあげます」
その言葉に安心しきった様子で笑ったユノは、子供のように屈託のない無防備さで、チャンミンは我を忘れて、その身体を朝まで貪り食らったのだった。


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