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□彼方の涙
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スタジオ入りしたユノに、馴染みの顔が近付いてきた。
「よ?ユノ、体調は万全か?」
「ヒチョリヒョン!!久しぶりだね?一緒の仕事」
バスローブを着たユノの背中をポンっと叩いたのは、キムヒチョル。
彼は、ユノのデビュー作であり、出世作でもあるブランド広告の写真を撮ったカメラマンだ。
ヒチョルが撮った写真が、街に溢れ出すなり、あのモデルは誰だ?とネット上が、騒然となった。
世界的なブランドが出した新作のブレスットを身につけたユノは、挑戦的な眼差しをカメラに据え、頬杖をついている。
その腕に光るブレスットよりも、人々の目を引き寄せてしまう魅惑の美しさは、チョンユンホの名を一日にして人々の心に刻んでしまった。
アジア一美しい男という形容詞と一緒に。
そこから始まった二人の付き合いは、十年にも及ぶ長さだ。


「肌の調子もいいな?」
ユノの顎を持ち、メイクが施された顔を右に左にと動かして、食材を吟味する料理人のように見るヒチョル。
「うん、今日もかっこよく撮ってね?」
「セクシーでラグジュアリーな男にばっちり撮ってやるよ?モデルが良いと余計な小細工がいらねぇから俺も楽だ。仕事だけに熱中できるからな?」
豪快に笑いながら言ったヒチョルは、そうだったと何かを思い出したように、キョロキョロとスタジオを見渡した。


「テミナ!!ちょっと来い」
レフ板を移動させていた一人の青年を目に留めると、ヒチョルは大きい声で呼び止め、手招きする。
「ユノ、こいつ最近俺のアシスタントになったヤツだ」
パタパタとヒチョルの隣に走って来た青年を見て、ユノは一瞬息を詰めた。
「イテミンです、よろしくお願いします」
ハーフアップされた髪のせいで、気付くのに遅れたが、間違いなくあのホテルでキスをしてしまった青年だ。
彼は気付いているのか、ないのか判別がつきにくいほどに、爽やかな微笑を浮かべ、ユノに頭を下げた。
「気軽に使ってやってくれ。もういっていいぞ」
失礼しますと会釈しながら、雑務へと戻っていったテミン。
「ヒョンって、アシスタントつけるの嫌いじゃなかったっけ?」
「あ〜?ま、俺も若くないしな?ああいう綺麗な奴を一人入れとくとスタッフとのやり取りもスムーズなんだよ」
「相変わらず、綺麗なもんが好きなんだね?」
「当たり前だろ?毎日見る自分の顔がこの世のものとは思えねぇくらい美しいんだからこうなるのも致し方ない」
この美しさは罪にしかならないから、困ったもんだなと面白可笑しく言うヒチョルに、ユノは真面目くさった顔で神妙に頷いた。
「カメラマンがこんなに美形って、生半可なモデルはそれだけで出鼻を挫かれちゃうよ。俺だって最初はヒョンのせいで、更に緊張しちゃったし」
ふっと小さく笑ったヒチョルの頭には、初めてユノと仕事をした日のことが浮かんでいた。


ひょろっと細長い華奢な身体と、まだあどけなさが顔に残っていたユノは、今よりももっと中性的な美しさがあった。
そこに目をつけたヒチョルが、スポンサーの用意した若年層への気軽さを重視したコンテと間逆の発想で写真を撮った。
ユノには、その頃から同世代の人間と一線を画す気品が溢れていたからだ。
これを生かさない手はない。
元から漂っていたブランドの気品を重視して撮った写真は、結果スポンサーもぐうの音も上げられない仕上がりだった。
あまりの写真の美しさに、従来どおりの戦略に戻さざる終えないくらいに、ユノの気品溢れる美しさは、本来のブランドイメージとよく合致していた。
老舗ブランドの体面は、結局ユノによって更に誇示されることとなったというわけだ。

「嘘吐け。お前は最初からポテンシャルが違った。シャッターの音一つで、普通の高校生からモデルに豹変しやがったんだ。俺の指を無我夢中にさせたのは、お前が最初で最後だよ」
「今日はご丁寧に撮影前にモチベーション高めてくれてるんだ?」
「俺が撮りたいって志願したモデルも、お前が最初で最後だからな?んでもって俺のパートナーになってくれないのも、お前が最初で最後だ」
「あれ?もう口説くの諦めたの?」
指でフレームを作ったヒチョルは、ユノをそこに収めて笑った。
「フレームの中のお前は流石に口説けないだろ?」
ヒチョルの言葉に、目を見開いた後、ユノも同じく笑った。
ずっと首っ丈にしてあげると言って。


「何か欲しいものありますか?」
休憩中に、スタッフと話しながらも何かを探している様子のユノに気付いたテミンが話しかけてきた。
「えっと、常温の水ないかな?って」
「僕、買って来ますからちょっと待っててもらえますか?」
「ないならいいよ」
「どうせ、今は暇ですし」
ユノが止める前に、テミンは笑みを浮かべてスタジオから出て行ってしまった。
走って買ってきてくれたのか、テミンはすぐに帰ってきた。
「どうぞ」
冷えてないペットボトルを受け取って一口飲むと、ユノは立ち去ろうとしたテミンに声を掛けた。
「ミノの恋人だったんだ?」
「ミノヒョンと知り合いだからモデルさんだろうとは思いましたけど、ユノさん有名な人なんですね?そりゃ綺麗なはずだ」
驚きもせず、すらすらと言葉を返すテミンは、やはりあの日に間違えてキスをした相手が、ユノだと分かっていたのだ。
「景色しか今まで撮ってきてなかったんで、この業界に疎いんですよ、僕。世界で活躍するモデルに対して一目惚れって、身の程知らずもいいところですね?すみませんでした」
頭を下げたテミンは、ユノの口から漏れた僅かな笑い声に、頭を上げた。
「ごめん、仕事がスムーズに行くためだけに謝ってんだろうな?って思って。別に気にしてないから大丈夫だよ」
ユノに挨拶したときでも、見開かれなかったテミンの大きな瞳が驚きに見開かれる。
「図星だろ?」
ばつが悪いとばかりに、眉を寄せたテミンにユノは悪戯っ子みたいな笑顔を浮かべる。
「だってお前の目って、自分に自信のある人間の目だよ」
テミンの目を見据え、愉しげに言葉を重ねたユノは、撮影再開の声に応じて、立ち上がった。
「でも俺、そういう男嫌いじゃない」
自身の背中に突き刺さるほどの視線を送ってきてるテミンに、振り向き様にユノがそう言えば、その数秒に満たない刹那のユノの残像を、テミンは自分が漠然と追いかけていたことに気付き、一人笑った。

「見る目あるな、俺」
カメラに向かって、猫のようにしなやかに身体を動かしてポージングを取るユノを見つめながらテミンは、満足気に目を細めて一人ごちていた。


撮影が終わったのは、深夜。
機材を片付けるスタッフに、頭を下げて一足早くユノはスタジオを後にした。
地下の駐車場に降りて、車へと足を進めた時だった。
「ユノヒョン!!」
どんっと勢いよく自分の背中に飛びついてきた人物を、声だけで誰だか分かったユノは、身体をゆらゆら左右に揺する。
すると貼り付いてた人物が、ずるずると自分の背中から落ちていくのが分かった。
「ミノ、テンション高すぎ」
「だって、この間から偶然続きですよ?何か感動しません?」
大きな目を輝かせて笑うミノに、ユノも釣られて笑ってしまう。
無邪気なこの後輩が、ユノは可愛くて仕方なかった。
「じゃあ偶然に乾杯でもしてみるか?」
「はい!!俺、丁度明日休みだったんですよ。ヒョンは?」
「一本CFの撮影入ってるけど夜からだから大丈夫って、思ったんだけど。やっぱり止めとくか?」
「え!?」
あからさまに肩を落とすミノに、誤解すんなとユノは苦笑する。
「だって休みなら、恋人と一緒に居たいだろ?テミンだっけ?お前の恋人だろ?今日、撮影一緒だったんだ。もうすぐ仕事終わるんじゃないか?」
ちらりとスタジオの方に目を向けながら言ったユノに、ミノは首を横に振った。
「大丈夫です。家に帰れば、会えるし。行きましょう?ヒョン」
「同棲?若いっていいなぁ〜」
囃し立てるユノに対して、ミノは曖昧に笑うのみ。
その時、酷く違和感を覚えた一瞬のが、まさか後の状況を一変させる意味を持ち合わせていたなんて、ユノには気付けるはずなどなかった。



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