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□カタルシス
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その人物に似合わない衣装はない。
遠目からでも、そんな印象を抱かせざるを得ない人物は、カジノの一角に設けられた広いとは言いがたいステージで、一般人と一線を画した長い脚で華麗なステップを刻む。
モード界の帝王と呼ばれたジョルジオアルマーニのサムエル型の黒のパンツスーツに、光沢を纏ったシルクの黒いシャツが、パンツの遊び心をきゅっと引き締めたと思えば、首元を飾る蝶ネクタイは、豹柄。
パフォーマー自身の、クールな美貌に相反するそのチョイスが、最後のスパイスとばかりに絶妙なまでにマッチしていた。
完璧主義なデザイナーが呻って満足するであろう着こなしを披露する彼は、決してモデルではない。
そのことを知れば、尚、件のデザイナーが目を見張るだろうことは間違いない。


賭けの手を止めて、自分に見惚れている観衆に流し目を送り、ふっと唇の端を少しだけ持ち上げる。
それだけで、忽ち観衆たちは賭けどころではなくなることを、このパフォーマーはよく知っていた。

人を寄せ付ける魔力を持った魅惑的な美丈夫の男。
そんな感想をジョンヒョンは抱くと共に、ひたすら厄介だなと、ただただ深く息を零す。
全身黒ずくめの服装とは、対照的に五月蝿いくらいの輝きを放つ銀髪は、彼のトレードマーク。
職業が職業だけに黒い服しか着れないのだから、髪の色くらいは自分を出したいというジョンヒョンの拘りだったりする。
年齢よりも若く見える青年らしさに、繊細で感受性豊かな彼は、仕事を一つ終えるたびに滂沱の涙を零す。
その度に、お前はこの仕事向いていないと言われながらも、ジョンヒョンは自ら選んで、この仕事を続けている。
でも今回は、違う意味で最初から不安で不安で仕方ない。

「どうすればいいのやら・・・」

誰に聞かすともないジョンヒョンの呟きは、忽ち歓声に掻き消されていく。
ジョンヒョンがちらりと相手方に、気付かれないように、控えめに焦点を合わせた先にいるのは、先輩であり、実年齢では弟分にあたるテミン。
そのテミンが、ただひたすら見つめる先に立つのが、先程ジョンヒョンが見ていた人間の男だ。

誘導的な微笑と色香を漂わせ、一瞬にして人の心を攫ってしまう彼は、チョンユンホと言う。
何故、ジョンヒョンがチョンユンホの名前を知っているかというと、ジョンヒョンがユノの担当だからである。
なのに、現場に来て見れば、担当ではないテミンがいるんだから、首を傾けた。
まだまだ仕事を始め出して、日が浅い自分が持ち場を間違えてしまったのか?と手帳を見直してみても、間違ってはいなかった。
それが、もう二週間前の話だ。
となると、嫌でも気付いてしまうというものだ。
テミンが、ユノというパフォーマーに恋をしているという事実に。





「テミン、今日も来てくれたんだ?」
ステージを終えたユノが、控え室の化粧台の前で、メイクを落としていると、丁度背後にあるドアが開くのが鏡に映り、そこから黒いハットのつば先が見えただけで、ユノは笑顔を浮かべて、言葉を口にしていた。
「もしかして二週間も同じ顔見て、飽きたなって思ってますか?」
ユノが言った通りの人物が、ひょことドアから顔を出す。
全身黒で統一された服装のテミンは、目に掛かるか掛からないかの前髪を、ふわりと軽くウェーブをして纏めてあって、よく見ないと彼の目はちゃんと見えない。
けれど、彼が人を惹きつける優れた容姿であることは、誰の目にも明らかだ。


「俺の飽きたは他人の感覚よりも、すっご〜〜くっ!!遅いんだけど」
そう思うまで来てくれる?とユノが問いかけるよりも早く、背後まで来ていたテミンが、そっと座っているユノの左耳に、手を伸ばした。
「ユノヒョンが飽きても、僕は絶対飽きないから、それこそ嫌がらせみたいに観にきますよ?」
ピアスが落ちてしまいそうな縦に長いユノのピアスホールから、慎重にピアスを抜き取ったテミンは、不思議そうに自分を鏡越しに見ているユノに笑いかけながらピアスを渡すと、皮のベストジャケットのポケットから、正方形の小さな箱を取り出した。
「それ嫌がらせでも何でもないぞ?俺からしたら、って、テミナ?何してんの?」
「出た、ユノヒョンの常套句。そんなものに騙されるほど、安くないんですよ?僕は」
箱を開けると、赤い石がついたシンプルなピアスがユノの目に映った。
テミンは注意深く、ユノのピアスホールにピアスを刺していく。
真っ赤な美しい石は、ユノの耳に飾りつけられた。

「綺麗」
うんうんとピアスを付け終わったテミンは、納得した様子で満足気に、ユノの耳を親指でイジイジと弄りながら笑った。
「テミニ?」
何を隠そうユノとテミンは、出会ってまだ二週間ほどしか経っていない。
だからこそユノは、突然のプレゼントに戸惑ってしまうのだが、それだけではない。
何しろ、カジノに毎週来れるような観光客以外の客は、それなりの金持ちと相場が決っている。
なので、高額なプレゼントは貰いなれているわけだ。
にも関わらず、今回は変に胸がざわつく。
見るからに年下のテミンだから申し訳ないだとか、そういうわけではなく、ただ本当に嬉しいと思ってしまう自分に、自分でも驚いていたのだ。


「何でそんな困った顔してるんですか?嬉しくない?」
鏡越しではなく、横から自分の顔を覗き込んでくるテミンに、ユノはにっこりと笑った。
「嬉しいに決まってるだろ?今まで貰ったプレゼントで一番嬉しいよ?」
「また出た。常套手段」
「ううん。本当だよ?それに俺の言葉もそんな安くないんだからな?」
言葉通り本当に嬉しそうに、赤い石を親指と人差し指の先で、愛おしげに触るユノの人差し指に、テミンは触れるだけのキスをした。
「ヒョンの言葉を信じて、お礼頂いときますね?」
指先に唇が触れた瞬間を、鏡越しで見ていたユノの目が真ん丸く見開れると、テミンはその目に向かって、はにかんだような照れ笑いを差し向け、ドアから何事も無かったとばかりに、呆気なく去っていってしまった。
「いっつもすぐにどっか行っちゃうんだから」
名残惜しそうに呟やいたユノの目に、ピアスが入ってた箱が映る。
テミンがここにはっきりと存在したことを伝えている証人となる箱を手に取ると、自分の鞄に大事に仕舞った。
再び、化粧を落とすために顔を持ち上げれば、鏡にはテミンとは違う人物が映っていた。
危なかった。
ドキリと、心臓の脈を早くしたユノは、内心ではそんなことを思いながらも、表情にはおくびにも出さずに、にこりと笑みを浮かべて、控え室に入って来た人物を歓迎した。


「チャンミン?来れたんだ?」
チャンミンと呼ばれた青年は、モデル体型のユノと遜色ない恵まれた体型に、一目でそのステータスが分る身なり。
極めつけは、優れた容貌だ。
コンプレックスとは、無縁の生い立ちだと誰もが本音とも嫌味ともつかない言葉を零すことは、間違いない。
「ええ。でも折角の貴方のステージは見逃してしまいました」
心底残念だと言わんばかりに、溜息を吐きながら、ユノの項に鼻先を押し付けて、抱きついて来るチャンミン。
首元に絡まった腕を手のひらで擦りながら、ユノは吐息を擦り付けた甘い声で囁いた。
「何なら、家で踊ってやろうか?お前のためだけに」
「非常に嬉しい申し出ですけど、貴方なら俺がもっと喜ぶこと知ってるでしょう?」
今度は鼻先に変わって、唇がユノの項や首筋にちゅっと吸いつき、彼が言う喜ぶことが、容易く想像できる。


「それって、お前が気持ちいいこと?」
横を向き、首筋に顔を埋めるチャンミンの視線に合わせて、斜め下に目線を落とせば、ユノの視線に気付いたチャンミンも上目遣いに見上げ、視線を合わせた。
「その言い方だと、貴方は気持ちよくないって言ってるように聞こえますね?」
「何気に自信ないんだな」
くすっと小さな笑みを零したユノの鼻先に、自分の鼻を突き合わせたチャンミンは、ユノの額から顎までを指先で、すぅーっと撫ぜた。
「そうなんです、実は小心者で。だから今すぐ男としての自信を取り戻させてくれませんか?」
そう言って、誰もが見惚れるであろう端正な顔に、笑みを浮かべてユノの唇に自身の唇を重ねるために、距離を縮めた。

「お預け」
しかし、チャンミンの唇はユノの唇と重なることはなかった。
ユノの一本の人差し指が、距離を詰めることを阻んだからだ。
艶然と微笑むユノの余裕溢れる色香に、当てられながらチャンミンは、自分を阻む指に舌を這わせる。
「ファンに見られたら困るから」
「これは失礼」
しょうがないと溜息を吐いたチャンミンは、これで我慢だと、ユノの人差し指にちゅっとリップ音を響かせるキスを一つ施し、ユノの支度を手伝った。





「浮気しないで下さいね?」
「え?」
枕に顔を埋めていたユノは、唐突に掛けられたチャンミンの言葉に、声がした方へと顔を向けた。
「これ」
何も身につけずに未だベッドに寝転がるユノとは違い、既に青年実業家としての身なりへと、完璧に整え終えたチャンミンが、ベッドに腰を下ろすと、ユノの左耳を指先で摘んだ。
「このルビーのピアスは、天然物で相当高価なものですよ?庶民じゃ到底手が出ない代物です」
「ルビー自体がそんな高価なもんじゃないだろ?」
ダイヤモンドじゃあるまいしとユノが笑えば、チャンミンは片眉を下げて笑った。
その表情から、贈り主を不憫に思う同情が見て取れ、ユノは目に疑問符を浮かべた。
「貴方は知らないでしょうが、ルビーって本当はこんなに最初から綺麗な赤じゃないんですよ?だいたいは薄い紫っぽいんです。でもそれじゃ売れないから加工して、赤くしてるんですよ」
「加工にお金が掛かるってことか?」
「いいえ」
ますます意味が分からないユノの眉間には、皺が寄った。
「天然物って言ったでしょ?これ」
パチンと憎らしげに、指先でピアスを弾いたチャンミンは、これ以上敵に塩は送らないとばかりに曖昧に笑って、寝室から出て行ってしまう。
けれど、流石のユノも、ここまで言われてしまえば、理解できた。
天然物でここまで綺麗に赤く発色しているルビーは、下手すればダイヤモンドよりも高価なものだということを。

「本気なんだろうか?」

一人では持て余す広さになったベッドに、ここぞとばかりに大の字で仰向けになって、寝転がったユノは、指先でルビーのピアスを弄りながら、天井を見つめた。
テミンと言う名前しか知らない青年の笑顔を思い浮かべれば、知らずユノの唇は綻び、それだけで幸せな夢が見れるそうだ。
その気分のままに、ユノは深い眠りへと落ちていく。




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