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□Rainy BlueB
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「ヒョン、打ち上げにも勿論来てくれるよね?」
ぎゅっと両手で手を握って、上目遣いにおねだりするジンギに、どうやっても拒絶の言葉は口にできなかった。
それだけじゃなく、ステージで思いの丈をぶつけた歌を最後に、もう本当の兄弟としての道を歩み出そうと決心したジンギの心情を優先してやりたかったのもある。
ここで断れば、普通の兄弟に戻ることすら、拒絶していると取られてしまいそうで、怖かったのだ。
「明日は丁度オフだから行けるよ」
空いてる方の手で、ジンギの頭をぐしゃぐしゃと掻き乱して言えば、ふふっと楽しそうに笑い、キョロキョロと辺りを見渡して、ジョンヒョナ?!と自身の恋人を呼んだ。
「どうした?」
人と人の隙間をすり抜けてやってきた本人は、きょとんとした表情でジンギの顔を見ている。
その顔に優しく微笑みかけたジンギは、ジョンヒョンの腰を抱くと、改まった口調で切り出した。
「ヒョン、改めて紹介するね?恋人のキムジョンヒョン。今、一緒に暮してるんだ」
ジンギに紹介されて、目を見開いて驚くジョンヒョンは、まさか恋人として紹介されるなんて思ってもいなかったのだろう。
爪の先ほどもそんなこと考えてなかった様子だ。
「初めましてじゃないけど、改めて初めまして?ジョンヒョンさん、ジンギのことをお願いしますね」
そう言って俺は、状況が把握しきれずに目をパチパチさせている彼を抱き締めて、離れる間際に、ありがとうと囁いた。
彼がどうしてしきりにライブに来させようとしていたのか、理由が分ったからだ。
俺とジンギのためと言った彼の言葉に、嘘は何一つなかったから。
すると彼は嬉しそうに笑った。
俺たちの間にあった大きな誤解が解けたことを純粋に喜ぶ表情に、何故彼がジンギに選ばれたのかが分った気がした。
また打ち上げ会場でと言って、彼は俺とジンギを二人にするために、何気なさを装って離れていく。
何処までもスマートな立ち振る舞いに、俺は感心して去って行く背中を眺めた。
「ヒョン、僕の歌どうだった?」
「全部良かったけど」
「けど?」
「レイニーブルーが一番心に残ったかな?」
トレードマークであるくしゃくしゃの笑顔を浮かべたジンギは、一生忘れないでね?と言った。
「もうあの歌はきっと歌わないだろうから」
「え?」
あんなにジンギの歌声に合った曲はないのに。
まさに名曲と言われるであろうものを、何故?と俺は純粋に驚く。
「あの曲にもう僕の想いは篭もらない。今日、一番聴いてほしい人に聴いてもらえて、全部出し尽くしたから。二度と歌わない」
決して想いが通じ合ったわけじゃない。
それでも、清々しく微笑んだジンギに、幸せという文字が透けて見えた。
「そうか」
手を伸ばしてジンギの汗に濡れた髪を触れる。
瑣末な日常のやり取りですら、呻る波のように乱れていた感情が、今日は凪いでいた。
何も意識していなかった子供の時分に戻ったように、ジンギの頭を撫でれてる事実に、一番戸惑ったのは何を隠そう俺だ。



宴もたけなわ。
そんな言葉が頭を過ぎる。
二次会の会場となったバーは、しっとりとした落ち着いた空間で、ジンギの声がよく映えた。
「ヒョン、愛してるよ」
けれど、泥酔していなければの話だ。
ふにゃりと笑うジンギのご機嫌な顔だけが、場に似合わない。
「分った分った」
聞き飽きるくらい何度もジンギは、愛してると俺に言う。
どれだけ俺は、この子に気を使わせてしまっていたんだか。
思い返せば、随分と長い時間聞けていなかった言葉だ。
言われて気付く俺も俺だ。
自分の不甲斐なさを改めて痛感していると、酔っ払いと化したジンギを心配したのか、ジョンヒョンがテーブルを移動してくるのが、目の端に映り込んだ。
俺は、彼のために隣の席をあけやることにした。
立ち上がって、ジョンヒョンの肩を叩くと、俺の行動を理解したように彼は、恐縮した様子ですみませんと言いながら、ジンギの隣に座り、もう呑むなと諭している。
当のジンギは、本格的に酔っ払っているのか、ジョンヒョンの忠告には耳も傾けず、へらへらと笑ってしな垂れかかり、甘えている。
我が弟ながら、こんなに酒癖が悪かったのかと、溜息を混じりの苦笑を漏らしながら、俺は別の席に移動して、一人になるとタバコを取り出し、ライターを探す。
「一人?」
声と共に火がすっと目の前に滑り込んでくる。
「ありがとうございます」
誰だったろうか?
火を貰いながら顔を見たが、ピンと来ない。
俺よりも三歳ぐらいは、年上か。
ぼんやりとした垢抜けない印象の男。
でも、寂しさを紛らわすには、丁度いい相手かもしれない。
「あれ?お邪魔だったかな?」
どうやってホテルに連れ込もうか、そんな算段を立ててる間に、控えめな印象通りに彼は、苦笑を漏らして立ち上がった。
理由が分らずに、彼の背中を見送っていると、ふわりと甘い香りと共に、空いた隣の席に座ったのは、宝石のようにキラキラした後輩。
こいつに来られたら、誰だって席は立ちたくなるわな〜と俯瞰していれば、無造作に目元を指先で撫でられる。
「お前って、いつもそんなんなの?」
「そんなんって?」
タバコを消しながら、同じことをイテミンにもしてやる。
「誤解されるぞ?」
「先輩は、スキンシップ嫌いじゃないでしょう?」
「何?わざわざ俺好みにマイナーチェンジしてくれたのか?」
からかってもイテミンは、無視したようにじっと俺の目を見つめてくるだけ。
瞳の真剣さに根負けした俺は、触れてた手を離した。
「もう泣かなくても平気なんですか?」
問われた瞬間、さっき客席の俺にばかり見ていたと言った言葉が蘇る。
となると、泣いていた所も見られてしまっていたということだ。
羞恥心から、上手く言葉を言えず、視線を泳がせていると、目の周りをほぐすようにテミンの指がぎゅっと力を込めた。
「遊んでんのか?痛いよ」
もうっと手を振り払えば、今度は違う方の目の辺りを指圧してくる。
「一滴残らず、貴方の涙を搾り出してあげようと思って」
再び振り払おうとした俺は、真顔でそう言ったテミンに、脱力しながらも笑っていた。
「とことん見た目と違う奴だな?」
「そうですか?」
「自覚ないのか?」
「っていうより、そう言えるくらい先輩は僕のこと知らないでしょ?」
確かにそうだ。
でも少し剥きになって言い返していたのは、きっと酒が少し入ってたから。
「そんな奴に、俺が涙なんか見せると思うか?」
テミンにソッポを向いて、タバコを取り出そうとした手に手を重ねて、阻まれる。
「先輩に涙を流させるの、今の僕には簡単かも」
にっこり微笑んだテミンは、見惚れるという言葉そのものだったが、好戦的にも取れる言葉に意識の半分が持って行かれていた俺は、本当に見惚れることはなかった。
「やれなかったら、どうすんだ?」
「先輩に泣けない選択肢はないですよ」
今度は無邪気に笑ったテミンは、俺の手を取り、スツールを下りると、店の奥へと強引に引っ張って行く。
奥まった部屋は、そこだけが個室になっていて、小さなピアノが一つ置かれていた。
グランドピアノとは言わない、飾り物みたいなピアノ。
音が本当に鳴るかも危うそうに見えた。
テミンは俺に一度笑いかけると、ピアノの前に立ち、何度か音を確認するように鍵盤を叩く。
調律がされていないのは、俺の耳にも明らかだった。
「天才ピアニストでも、その調律じゃ人を泣かすなんて無理だ」
いくらナバースになっている人間であってもとは、付け加えずに内心でだけ思っていると、テミンは躊躇うことなく、鍵盤に指を添えて軽やかに叩きだした。
紡ぎ出されていく音と、テミンの真剣な横顔は、瞬く間にさっきのステージへと俺の心を連れて行く。
比べ物のにならないくらい雑な音色だというのに、俺の耳に届くのは澄み切ったあの空間に流れていた音色。
グランドピアノが今ここにあって、ジンギがテミンの隣に立っているような錯覚に陥る。
そして、音色と溶け合って一つになったようなジンギの心地いいだけじゃなく、圧倒的に心に滲みこんで感情を奪っていく熱い歌声が、勝手に頭の中で再生されていく。
堪らず天井を見上げれば、間接照明がもう歪んだ形にしか見えなかった。
やられた。
ずっとずっとこの後輩が一枚も二枚も上手だった。
「だいっきらいだ。俺のことあんまり知らない後輩の癖に・・・ずるい」
ずるすぎると、テミンの肩口に顔を埋めながら呟けば、単純な告白よりも甘く胸に響く言葉が聞こえて来た。
「雨に濡れる準備はしたくないけど、先輩の涙にならいつでも濡れる準備はできてるから・・・おもいっきり泣いてください。」
テミンは、俺が顔を上げるまで、ずっと肩を貸し続けて、レイニーブルーを弾き続けた。









「ピアニストって絶対音感があるんだろ?」
頭が痛くなるくらい泣いた俺は顔をあげると、気恥ずかしさを隠すために、質問していた。
「ありますよ」
テミンは俺の方を見ずに、まだ鍵盤の上で優雅に指を踊らせている。
「なら、歌って」
え?と言う顔をして、やっと俺の顔を見たテミンの喉に指を這わせながら、笑いかけた。
「テミンの声もかっこいいから、お前のレイニーブルーも聴いてみたい」
「絶対音感があったら、歌が上手いってわけじゃないんです。先輩が頭の中で再生してるオニュヒョンの歌声の邪魔はしたくないです」
その困り顔のテミンが無性に可愛く思えて、余計歌わせたくなった。
「この曲を聴いて泣くのは、今日が最後にしたいんだ。いつまでも泣いてたくない。だから、お前の声をちょっと貸してくれないか?」
それだけ言うと、テミンは何も言わずに、歌いだしてくれた。
思った通り、テミンの声はジンギとまた一味違った優しくて綺麗な声で、この曲にとても似合っていた。






「先輩、僕帰りますからね?」
家まで俺の車を運転して、律儀に送ってくれたテミンは、ベッドに俺を寝かせると、呆気なく帰ろうとした。
咄嗟に服を掴んで引き止めれば、またじっと顔を見つめられて、困惑する。
「もう泊まれば?てか、バーでも思ったけど、顔見すぎ」
思わず枕を引っ掴んで抱き締めると、目から下を隠した。
「先輩があんまりにも好みの顔なんで、つい見ちゃうだけです。許してください」
にっこり。こいつ意外と小悪魔か?
「の割りに、あっさり帰るんだな?」
口をついて出たのは、愚痴めいた言葉だった。
スマートさ皆無の誘い文句。
美人に弱い男みたいで何だか情けない。
あんな大号泣見られた後で、かっこも何もないかもしれないが。
「だって、今日例え抱き合えたとしても、僕はオニュヒョンの代わりってことになるんでしょう?僕はチョンユンホに触れようとしているのに。そんなの嫌です」
ベッドに頬杖をついて、穏やかに笑いながらも話す内容は辛辣で、さっきまでの優しさが嘘のようだ。
いきなり突き放されてしまうと、どうしていいのか分らなくなって、つい子供じみた言葉を使ってしまう。
「ケチ。あんなにさっきまで優しくしてくれてたくせに」
すると、テミンの目尻にこれでもかというくらい皺が刻まれ、くしゃくしゃの笑みが顔一杯に広がる。
彼の笑顔をかわいいと思っていたが、何だかその笑顔はやたらとかっこよく見えた。
「モデル業界は、一夜限りの関係の人もどうせ多いんでしょう?でも芸術家にその文化はないんで、求めないで下さい」
ベッドに登ってきたテミンは、俺の額に軽いキスをした。
「芸術家には、一途な恋しか無理なんです」
要するに恋人になれば、泊まっていくということか。
でも今の俺にそれを迫るって。
「脅迫みたいだ」
「身代わりにしょうとしていた人が言う台詞ですか?でもね、先輩が初めてオニュヒョンというフィルターを通さずに、恋をするのならイテミンが打ってつけだと思いますよ?」
「なんで?」
「僕が貴方に心底惚れてるのと、オニュヒョンを忘れさす自信があるからです」
そこまで腹を括られると、何も言えない。
枕を手離すと、テミンの首に手を添えて唇を開いた。
パクっと上唇を甘噛みされ、そのうち吸い上げられて、じれったく感じ出した俺が、舌を捻じ込もうとすると押し戻されて、咥内を嘗め尽くされる。
口と身体全体の神経が直接繋がれたような感覚が広がる中、テミンの指先がいつの間にか胸のてっぺんを摘んでいて、びくりと身体が震えた。
顔を横に振ってキス止めれば、テミンはきょとんとした顔で、俺を見ている。
「まさか、お前・・・俺を抱くつもり?」
ああ〜と低い声で呻ったテミンは、俺の手を徐に掴み、爪が伸びてることを指摘した。
「最近、遊んでなかったから、爪が伸びっぱなしだったんですね?ピアニストは深爪が基本だから」
「なら、爪切ればいい話だし」
ベッドから起き上がろうとした俺は、軽くまた押し戻された。
「雰囲気壊す年上の恋人なんて初めてです」
楽しそうに言い放つテミンを押しのけようとするも、意外にも力が強くてビクともしない。
「ピアニストって、筋トレ欠かせないんです。一日八時間は、鍵盤を叩くのがザラなんで、体力いるんですよ、実は」
言われてみれば、足の華奢さに比べて、肩や腕に掛けてのラインががっしりして見える。
「お前、本当に嫌い!」
クスクス笑う唇が俺をあやすように、何度も何度も優しく啄ばんだ。







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