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□ビタースイート
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「テミンさん、ケーキとか食べるんですか?」
エステの施術などいらない綺麗な足。
その膝から下にかけて、カモミールから抽出されたオイルを塗る。
きめ細かい肌は、それだけで美味しそうに輝く。
これが男の足なら、尚更だろうなと思いながら、テミンはリンパを流すためのマッサージを施し出す。
「ん〜、食べますけど、頻繁には。ご飯の方が好きですから。甘いものなら、キベム兄さんが好きですよ。トレンド外さないし、大抵のものは食べてますからね」
「キボムさんなら、当然ですよ〜私よりも詳しいもん。この間、話してたら女子として負けたって思っちゃいましたし」
指の感触からでも分かるが、彼女の脚はリンパが詰まっていない。
綺麗な脚をしている人でも、悪いものが詰まってるケースは、よくある。
それは食生活や日々のストレスに、運動不足といった色んな要因のせいだ。
けれど、彼女は完璧だ。
アイドルをしているだけあって、週に一回のペースでメンテナンスと称してる通ってくださるVIP客なだけのことはある。
リンパが詰まっていたら、こんなに彼女はケラケラ笑って話せないぐらい、テミンは力を入れて施術しているのだから。
「ヒョンは、ある意味完璧ですからね、自分の欲求を満たすのに、貪欲だし」
体型を維持しつつも食べる時は食べる同僚のヒョンは、そこら辺の女子よりも確かにクオリティーが高い。
というか、女子でもあの人のクオリティーにまで持って行ける人は、少ないかもしれない。
ファッション、料理、美容にトレンド。
女子が網羅したがる全てをその身に、無尽蔵に取り込んでいる様は、この仕事が天職以外の何ものでもないと言っているに等しい。
「そうですよねー!張り合おうとしたのが、馬鹿らしいですもん。で、テミンさん、あんまりケーキに興味なくても、モン プティトゥ シェリ−には行ってみてほしいな〜」
俯けにベッドに寝そべっていた彼女が、振り返ってテミンの顔を見た。
一見ナチュラルメイクに見えるが、実のとこ派手なメイクよりも、ナチュラルに見せるメイクの方が、時間と手間がかかるというのが、さっきから出てきている同僚で先輩のキムキボムの意見だ。
キムキボム談義曰く、これも丁寧に施されたメイクの類に分類されるのだろう。
フェイシャルの施術をまだ彼女にしたことがないのでテミンはすっぴんを知らないが、丸い彼女のチャームポイントであろう瞳の瞳孔がキラキラと輝いていて、可愛らしさに拍車が掛かる。
テミンはゲイだが、女性が嫌いというわけではない。
美人だったり、可愛い女性を見るのは好きだ。
恋愛対象にならないというだけで。
可愛いとか、綺麗とかいう感情は普通に抱くし、湧いてくる。
「そんなに美味しいんですか?」
「美味しいし、可愛いんですよ!!ケーキも焼き菓子も!!」
へーっと言いつつも、大して興味なさそうなテミンを気にした所もなく、彼女はまだとびきりのエサという名のオチがあるんだとばかりに、にんまり笑って続けた。
「しかも、そこのパティシエがすっごくっっっ!!!かっこよくて綺麗で可愛いんですよ〜」
きゃーっと騒ぎつつも、彼女の目はうっとりとしていた。
今語ったパティシエを思い出したのだろう。
彼女の顔は紅潮している。
「かっこよくて綺麗で可愛いって、男でなかなかいませんよ?」
そう言いつつも、テミンの頭には一人だけその定義にドンピシャで当て嵌まる人物が浮かんだ。
その人物とは高校時代のテミンの初恋の相手である。
三年間ずっと同じクラスで、親友だった。
だったというには、意味がある。
テミンからしてみれば、親友ではなく想い人だったのだが、卒業式の日に秘めていた想いを本人に告げた所、親友としか思えない、これからも親友として付き合ってほしいと言われたのだ。
テミンは、親友としての付き合いを望んだわけではなかったので、自分から関係を潰すように、彼にキスをした。
しかも可愛いものではなく、とびっきり深いやつをだ。
こんな無体をされても縋るような目をする相手に、本当の親友になれる提案を一つだけテミンは残した。
結婚だ。
彼が結婚すれば、自分の恋心は木っ端みじんに砕く以外他にない。
極論に思えるであろうが、そうしないと彼に対する想いは、テミンの中で消えそうになかったのだから、致し方ないのだ。
現に、今でもこうやって簡単に思い出してしまうし、決してモテないわけではないのに、特定の恋人がいないのも、まだテミンが初恋を引き摺っているという雄弁な証拠。
卒業してもう五年は過ぎようとしているのに。
「嘘だと思うでしょう?でもそれがいるんですって!!一回見に行ってみて下さいよ?!テミンさんの好みのタイプかもしれませんよ?」
テミンがゲイと知っているのは、何も彼女に限ったことではない。
この店のエステシャンは全員男なのだが、ゲイの男しか女性客には、施術できないような仕組みが取られており、それを事前に説明されるので客は全員知っている周知の事実なのだ。
反対に男性客の施術は、ヘテロの男しか施術できないのである。
このエステサロンでは、客と店員が恋に発展するようなことはないが、店員が揃いも揃って芸能人ばりの見目ということでも評判だ。
無論、施術の評価も高いので、芸能人の御用達店でもある。
他に、美容整形や韓国式漢方でのダイエット漢方の処方に、皮膚科にと美容関連に精通して、手広くやっているせいもあってか、顧客の信用も満足度も非常に高い。
「僕が恋敵になってもいいんですか?」
ふふっと口元に薄く笑みを作りながら、テミンは膝下だけが見えるように、彼女に掛けていた厚手のバスタオルを一回取ると、今度は仰向けになって寝るように伝えた。
「最初から狙ってないですから。だって高嶺の花だもん。それに彼、芸能人と合コンとかよくしてるみたいだし」
「芸能人と合コンしてるなら、キム様にも出会いのチャンスは盛大にあるじゃないですか。全然高嶺の花じゃないですよ、それ」
「それだけじゃないんですよ〜彼、合コンには顔を出すのに、未だに誰とも噂がないんです!この間も、若手女優トップのユナさんが振られたって。」
あのユナさんが無理なら、私たち下々は手を出せないですよと苦笑を零す彼女は、膝の周りを入念に指圧するテミンの横顔を見ながら続けた。
「もしかしたら、付き合いで顔出ししてるだけで、合コンに最初から興味ないのかもしれないし。なんていうか、仕事してる彼を見ていたら、仕事が一番って風に感じるし、遊び人とは真逆の清楚さしかないっていうか」
「それ、盲目になってるだけなんじゃないんですか?」
「あー、そんなこというの?テミンさん。じゃあ見に行ってくださいよ〜。それにね、モン プティトゥ シェリ−って、フランス語で親しい人に対する可愛いって意味らしくて、どうしてそんな名前つけたんですか?って聞いたら、ケーキしか可愛く見えないからって言う人なんですから!照れながらそう言う彼、凄く可愛かったんですよぉ?!」
テミンさんなら、絶対ケーキじゃなくて彼を食べてる!と自信満々に語る彼女に、テミンは隠すことなく苦笑を返す。
聴いてるだけで、彼女がもう彼の虜でファンになってしまっているのが、丸わかりだからだ。
今もうどうしたって、盲目的にしか見れない時期に突入している。
そんな人間の話を鵜呑みにするのはなぁ〜というテミンの心情を、表情だけで悟った彼女は、むっとした顔で聞いてきた。
「テミンさんの好みってどんな人なんですか?」
「僕?外見?中身?」
「外見に決まってるじゃないですか。それにキボムさんが、あいつは天使の顔して、好みは堕天してるって呆れた顔で言ってたから」
「そこまで聞いてるのに聞くって、よっぽどそのパティシエの人をオススメしたいみたいですね?」
テミンが目尻に皺を作って、くしゃっとした笑みを浮かべて彼女の目を見れば、一瞬見惚れたあとに、そっと視線を外して彼女は憮然とした顔つきで言う。
「だって完璧なんですよ?!テミンさんと張り合うんだから」
「ふーん、そこまで言うなら、一度行ってみようかな?僕の初恋を忘れさしてくれるだろうしね?そこまで完璧な人なら」
その場ではそう言ってお客に合わせつつも、テミンは全く件の店に行く気など、毛頭なかった。
自分の初恋以上の人は、きっといない。
本人にしか、この失恋の痛みは癒せないという想いがあったからだ。
「え?テミンさん、初恋をまだ引き摺ってるの?」
一瞬にして興味の対象が、パティシエからテミンへと移ったとばかりのらんらんとした彼女の瞳に、しまったとテミンは思った。
女性が好きそうな恋愛話をうっかりポロっと零してしまったと。
そこから始まった彼女の攻撃という名の口撃の質問攻めを、笑顔でかわしつつも、テミンは心底疲れ果てるのだった。



「自分で蒔いた種とは言え、本当に疲れた」
どんよりした顔つきでビールを煽るテミンに、オニュはよく頑張りましたと、背中を優しく撫でてくれる。
「ご愁傷さま。女の子はそういう話が大好物だからね?特にテミンみたいな美青年が初恋忘れられないって、漫画とかドラマみたいで殊更ドキドキしちゃうんだよ」
だって男の僕でも気になっちゃうよねと、妙にいい声で囁くオニュに、テミンは眉間に皺を刻んで、少しばかり距離を取る。
「それはヒョンもゲイだからですよね?っていうか、艶っぽい声出さないでくださいよ。キベムヒョンとのそういうこと想像しちゃいましたよ、今」
オニュは、テミンとキボムが常連のバーの近くにある会社で働いてるようで、このバーで知り合い飲み友達になったが、今ではキボムの恋人だ。
「テミンのそういうアンニュイな感じ見るの初めてだったから、ついね。美しい人のそういう姿に弱いのは、人間の性さ」
「俺とヒョンじゃ、できても相互フェラぐらいまでですよ。」
無表情でつまみを口に入れながら、あけっぴろげに言うテミンは、いつもの調子に戻ってしまい、オニュは面白くないというように、カクテルに手を伸ばす。
「いや、弱ったテミンなら」
「絶対ない」
最後まで言わさずに、会話を終了させるテミンに相変わらず頑なにタチを譲ろうとしない。
オニュは笑いながら、腕時計にふと視線を落とす。
「もうそろそろじゃないかな?」
キボムが急遽遅番を任されてしまったので、彼が来るまでの時間、キボムにお願いされてテミンは付き合っていたのだ。
キボムが来れば、今日はテミンは大人しく帰るつもりだ。
彼らが付き合ってからも、三人で呑むことはあっても、久しぶりに会う恋人同士の邪魔をするほど、テミンは人に飢えていない。
「テミンの初恋話を聞きたかったのにな〜」
そう言いつつも、久しぶり会える恋人がもうすぐ来ることが嬉しいのを、オニュは隠せてない。
「幸せの絶頂期にあるような人たちに話せるほど、まだ傷も癒えてないんです」
にっこりと笑い、テミンが立ち上がりながら、マスターに勘定をお願いしょうとした所を、オニュにいいと手を掴まれる。
「今日は、付き合ってもらっちゃったから。それに今度は予告編だけじゃなくて、本編も聞きたいから、その前払いってことで」
茶目っ気たっぷりに言うオニュは、テミンに勘定を遠慮させないようにという気づかいで言っているだけだ。
本気で初恋話を聞き出そうとは思っていない。
テミンもそれを分かっているからか、俺の恋はこんなに安くないよと笑って、店を出た。
店の前でキボムと鉢合わせ、待ってるよとだけ言い残して、テミンは一人ふらふらと地下鉄の乗り場へと向かおうとした。
けど、気が変わった。
春の匂いをわずかに含んだ夜風と、歩道に植えられている蕾を沢山つけたソメイヨシノのせいで、センチメンタルな気分に浸らされたからだ。



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