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□深く色づく青
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新任教師に担任を任すなんて、芸術高校とは思い切りが良すぎるのか、やけくそなのか?
そんな風に、四月当初は感じていたキムジョンヒョンだったが、人と深く関わることが好きな性格からして、担任という役割に自分は結構向いているのではないか?と思いだしていた。
尚且つ、歳の近さを生かして、生徒と友達感覚で接せられる自分を、気に入りだしてもいたりして、満更でもない感じだったりする。

「俺、結構天職だったかも。教員」
就職して三か月が経ち、仕事にも慣れた頃合いを見計らって、幼馴染のミノが久しぶりに飲みに誘ってくれた。
その席で、ジョンヒョンが甘いカクテルを飲むというよりは、舐めるようにしながら言えば、ミノはあっ!!と声を上げ、大きな目を見開く。
「ジョンヒョンの行ってる高校に、イテミンっているんじゃなかったけ?」
イテミン。
今、学校で一番有名なのは、彼の名前だろう。
理由は簡単。
中学生の頃に、彼はアイドルとしてデビューした芸能人だからだ。

「いる。俺、その子のクラス担任だし」
最初は、ジョンヒョンもミーハーな気持ちで喜んだ。
それこそ彼と一緒のクラスになった女子生徒のように。
けれど、現役バリバリのアイドルは、兎に角忙しいらしく、学校生活なんてないにも等しい。
よって、ジョンヒョンはまだ当の本人に会ったことがない。
このまま一度も会わずに一年が経過した場合、君の担任でしたなんていう過去形の会話ぐらい交わしたいもんだとな〜と、枝豆を口に放り込みながらジョンヒョンは思う。
「でも伝説の動物だからまだ会ってない」
「そっか〜アイドルって忙しいもんな〜大変だよな〜若いのに働いて」
「いやいや、お前も働いてたし、若いころから。何?サッカー選手のチェミンホなら、いくらでも芸能人に会えるだろ?」
「いや、そうじゃなくてさ。俺、中学生の時にボランティアしてただろ?」
子供が好きなミノは、昔から近所にある保育所で、クラブチームの練習が休みになるたびに、子供たちの遊び相手兼サッカーコーチみないことをしていた。
音楽と女の子にしか興味ない日々を過ごしていたジョンヒョンからしてみれば、存在自体が爽やかすぎて違う人種に思えたものだ。


「おお〜。やってたやってた」
昔からクソ真面目だったな〜と改めてジョンヒョンが目の前のスポーツ馬鹿を眺めていると、思いもしていなかった言葉が飛び出した。
「その保育所に、テミンくんが通ってたんだよな〜」
イテミンと自分たちは、十歳差。
合わない計算ではないが、これには予想していなかっただけに、心底驚いたジョンヒョンは、本当かよ?と何度もミノに問いかけては、確認してしまう。
「本当だって。あの子、めちゃくちゃ可愛くて、俺メロメロだったんだよ。んでまた、ユノヒョンがかっこよくてさ〜」
「ユノヒョン?誰だ?それ」
「テミンくんのお父さん」
「イテミンの父親ならかっこよくてあたり前じゃん」
「でもあんまり似てないんだよ。薄い顔だし」
「ふ〜ん」
そう言えば、もうすぐ保護者との二者面談があった。
でもイテミン自体が登校しないのでは、その面談予定すら、保護者の手元にいかない。
会う機会はないだろうな〜と思いながらも、ジョンヒョンはさっきから感じてる違和感を指摘する。
「てか、ヒョンはなくないか?おじさんだろ?」
「いや、あの頃のユノヒョンはヒョンだった。凄く若くて、歳の離れたヒョンって感じだったんだ」
「まぁでもそこから十年経ったら、おじさんだろ?」
「そうなのかな?」
「そうに決まってる。いくら優れた遺伝子でも、そうなってもらわないと、若い俺たちが不憫じゃん」
真顔で言い切るジョンヒョンに、ミノは目を細めて、じとっとした視線を投げた。
「天職っていうなら、生徒には手を出すなよ」
「え〜・・・先生になったからには、夢じゃない?俺ならいい思い出の先生になれる気がすんだけどな」
「確かに。ジョンヒョニは、そういうとこだけ上手いもんな〜」
「おい、そういうとこだけってなんだ」
心外だとばかりにジョンヒョンが睨みつけると、ミノは歯牙にもかけず、寧ろ悪戯めいた表情で愉しそうに更に言葉を足した。
「でも意外とそんなジョンヒョニが、生徒に思い出作られたりして」



「まぁ、それも大ありだよな」
一昨日のミノとのやり取りを思い出したジョンヒョンの手には、クラスで一番美人と名高い女子からのラブレター。
ミュージカル女優を目指す彼女のために、ここ数週間つきっきりでレッスンしてあげていた。
ジョンヒョンの頑張りの甲斐あってか、オーディションの最終選考まで辿り着いたようだ。
そこまで行けば、あの子の容姿なら絶対に合格するだろう。
満更でもない顔つきで、手紙を読んだジョンヒョンは、彼女が来てほしいと指定してきた、いつものレッスン室へと昼休みに向かった。
すると、彼女のものではない男子生徒の歌声が廊下を歩いている最中から聴こえてくる。
発展途上。
そんな言葉が浮かぶ。
上手くなりたくて堪らないという歌い手のひたむきな気持ちが空回りしている。
惜しいな、ちゃんともっと歌えたら、凄く美声でいいと思うのに。
何処の生徒なのだろうか?自分で良ければ、アドバイスをしょうと、レッスン室のドアに手を掛けたジョンヒョンだったが、背後から肩を叩かれてしまい、ドアノブから手を離して振り返った。
約束していた彼女が、はにかんだ笑顔を浮かべつつ、戸惑い気味にレッスン室をちらっと見た。
「先客みたいだね?どうしょうか?先生が、進路相談室、借りてあげようか?」
気を利かせたジョンヒョンが言うのと、彼女の目が大きく見開かれたのは、同じタイミングだった。
レッスン室のドアが開いて、中から生徒が出てきたのは、気配で分かったが、彼女の反応が気になり、ジョンヒョンも生徒をちらっと見た。
そこに居たのは、ジョンヒョン曰く伝説の動物と名付けたイテミン。
彼女が目を見開くのも頷ける。
テレビ越しでしか見たことのなかった少年は、本当に美しかった。
白い肌に華奢な体型、赤茶髪の長髪をくるくると少し巻かれた髪が似合っていて、男でも妙にドキっとしてしまう。
迂闊にもジョンヒョンは見惚れてしまい、イテミンが廊下の角を曲がり、見えなくなるまでその背中に視線を送り続けた。
結果、女子生徒の淡い恋心が急速に魅惑的に見えなくなってしまい、傷つけない優しい言葉で、ジョンヒョンは彼女の告白を断ったのだった。


「あれはヤバイ」
一か月ぶりのミノとの呑みの席で、ジョンヒョンは興奮を隠すことなく、一気にイテミンの美しさを捲し立てるように説明しだした。
あれから一か月も経とうとしているというのに、ジョンヒョンに強烈なインパクトを残し、網膜に焼き付いて離れないイテミンの存在感は、流石は芸能人だ。
「インスピレーションをあんなに掻き立てる子って存在するんだな?」
ああいう子が、俺のバンドメンバーに居たらよかったのにと、心底残念そうに語るジョンヒョンの古傷は、どうやらもう心配には及ばないのだろうと、ミノは思った。
「インスピレーションを掻き立ててくれる人、バンドメンバーに居たじゃんか」
遠慮なくミノが言えば、予想通りイテミンに占拠されているジョンヒョンは、にかっと快活に笑った。
「そりゃ、俺が惚れて、見込んだ声だもん。ジンギヒョンは」
ジョンヒョンが自慢げに語るジンギという人間は、ジョンヒョンがアマチュアのバンドをしていた頃に、スカウトしたヴォーカルだ。
ジョンヒョンは、ベースを担当しながら、作詞作曲を手掛けていたが、イマイチ自分が望む音を紡いでくれないヴォーカルと対立して、結成当初からのメンバーであったヴォーカルが辞めたときに、偶然ジンギという人間と出会えたのだと言う。
ようやく自分が理想とする声と出会えたと喜んでいたのを、ミノは覚えている。
自分自身はその時、韓国のユース代表に選れていたので、互いの夢が一歩また現実へと近づいたと感じた。
そしてジョンヒョンの喜ぶ姿が、嬉しくてたまらなかった。
数か月後、初めて対面したジョンヒョンの理想の声を持つ男は、冴えないあか抜けない印象で、優しそうに笑う人だった。
けれど、ステージに立ち、一度歌えばガラリと印象は変わる。
独特のなんて印象に残る声なんだろう。
もう一度聴きたい。
ジョンヒョンが自分の理想だと自負するだけの、天性の楽器と呼べる唯一無二の声がそこにあった。
思い出しただけで、鳥肌が立っている自分の腕をさすりながら、ミノはずっと気掛かりになっていたことを問い掛けた。
「あれからさ、ジンギヒョンと会ったの?」
ジョンヒョンは、穏やかな表情で首を横に振る。
「ヒョンには、負い目とか罪悪感を感じてほしくないからな」
ジンギは今、オニュという芸名でソロでデビューして、芸能人になっている。
彼らのステージを見て、ジンギをスカウトした大手事務所の社員は、バンドではなく、バラード歌手の方がジンギの声を生かせると言ったのだ。
バンドとしての方向性を変えたくなかったジョンヒョンは、デビューの話を断り、ジンギヒョンだけでもデビューさせればいいと事務所の人間に言ったのだ。
ジンギは、最初こそジョンヒョンも一緒にと言っていたが、家庭状況の苦しい彼には残された時間は少なく、そのこともジョンヒョンは知っていただけに、無理やりバンドを辞めさせる形で、彼を自由にしてやった。
「でも俺は、ジンギヒョンの気持ち分かるよ?というか、ジョンヒョンに触れた人間なら、誰も黙ってないと思う」
贔屓目を抜きにしても、キムジョンヒョンの音楽の才能は、音楽界で天下を取るに相応しいものだ。
熱く語りだそうとするミノに、ジョンヒョンはその話はいいとばかりに、俺のイテミンへのパッションを喋らせろ!と声を張り上げる。
そこでミノは、あのテミンくんがジョンヒョンの眠れるアーティスト魂に再び火を灯してくれる着火剤になってくれればいいのに、と思いながら、お前、テミンの子供の頃の写真とかないのかよ?とすっかりサセンペンのような状態になったジョンヒョンの話を、右から左に聞き流すのであった。



伝説の動物とすれ違ってから、一年が経過してしまった。
結局、伝説の動物がふらっとジョンヒョンの目の前に現れたのは、あの一度きり。
でもジョンヒョンの執念が手繰り寄せたのか、またイテミンのクラス担任になっていた。
と言っても、伝説の動物はテレビでしか今年もまだ見れていない。
久しぶりに昨日つけてみたテレビには、また成熟したイテミンが長い髪を緩く束ねて、中性美をこれでもかと具現化した姿で、力強く華麗に踊るさまは、アイドルの鑑のようだった。
歌も少しだけ上手くなっていた。
頑張っているんだな〜と思うと、益々ジョンヒョンはイテミンの虜になった。
健気な人間に、人一倍弱いのだ。
自分が担当するボイストレーニングの時間になり、自分の担任する教室に向かっていると、何やら騒がしい。
他のクラスの子たちが、授業が始まっているというのに、教室に移動していなかった。
それだけでピンと来た。
ジョンヒョンは、浮かれる心を落ち着かせながら、臆面にも出さずに静かに生徒たちに、自身の教室に向かいなさいと窘めて、クラスのドアを開けた。
背後にいた生徒たちが、少しでも中を覗こうと、必死になって群がっているのを感じながら、後ろ手にドアを閉めたジョンヒョンが顔を上げれば、一人だけ明らかに周囲と一線を画したオーラを放つ美少年が座っていた。
ジョンヒョンは内心ガッツポーズを決めながら、授業を始めた。



その日から、イテミンは珍しく一週間ほど学校に来ていた。
昼までの時もあるし、一時間だけの時もある。
一日ずっと学校にいる日はなかったが、伝説の動物となっていた彼にしてみれば、稀有なことなのは確かだ。
しかもだ。
イテミンは、絶対ジョンヒョンの声楽の授業だけは受けてくれていた。
これほど喜ばしいことはない。
たまに質問される内容が、業界人だけあって、専門的なのもまた嬉しかった。
大学教授が、自分の専門分野に秀でた教え子を特別視して、可愛がる気持ちが本当によく理解できた。
ジョンヒョンは今まさに寸分の狂いもなく、同じ気持ちだ。



「ジョンヒョニ、本当に天職だったんだ〜」
生き生きとした表情で、仕事の話ばかりするジョンヒョンからしてみれば、今更すぎる言葉をミノは零す。
「一年前に宣言したはずですけど?」
「それ覚えてたから、言ったんだよ」
「ははーん。真面目で優しいミノくんのことだ。どうせ俺が強がりで言ってると思ったんだろ?」
ぐっと言葉に詰まったミノに対して、お前の図星を刺し殺すなんて簡単だと、ジョンヒョンは上機嫌でケラケラ笑う。
「そんな風に心配してくれる友達がいるのは、有難いことだけどな」
珍しいことを言うなと思っていれば、やはりそこには理由があったらしい。
「テミンくんには、友達がいるのかねぇ」
本当に分かりやすく一つのことに嵌るジョンヒョンらしい思考回路に、ミノは思わず笑ってしまった。
「保育所時代は居たけどね。俺が気に入ってた可愛い女の子も泣かしてた」
途端、ジョンヒョンが身を思いっきり引き、体を抱き締めた。
「イケメンサッカー選手ランキングナンバーワンで、爽やかな好青年のチェミンホが、実はロリコンだったなんて!!」
「違う違う!!その女の子が可愛かったから覚えてるのもあるけど、泣かした理由がまた可愛くて」
「言い訳とは見苦しい」
「いや、マジで!絶対ジョンヒョナも、これ聞いたら目尻下がるから」
同い年の女の子が、テミンに結婚しょうと言った。
最近のおしゃまな女の子にはよくあることだ。
けれど、テミンはできないと言ったらしい。
「その理由が、お父さんと結婚するからでさ〜可愛くない?俺、息子にそんなこと言われたら、ちゅうしちゃいそう」
ミノは当時のことを思い出したのか、可愛い可愛いと連呼していたが、今のクールなイテミンしか知らないジョンヒョンからしてみれば、想像がつかず、何だか無性に悔しい。
「でも俺、そのお父さんにもうすぐ会えるんだった」
「え?そうなの?」
「うん。保護者との面談があるんだ」
「へ〜、今ユノヒョンは何歳なんだろ」
「確か、三十後半かその手前だったような?」
「やっぱり若いじゃん。俺らからしたらヒョンだろ?」
言われてみればそうだとジョンヒョンも思った。




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