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□予期せぬエンドロール
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何不自由なく育ったシムチャンミンは、今まで苦労して何かを手に入れたことも、手に入れようと思ったこともなかった。
あれが欲しいと思えば、チャンミンが口にするまでもなく、両親は買い与えてくれたし、この恵まれた環境に反骨心を抱くほど、馬鹿でもない。
というより、逸脱することに酷く臆病な性格が功をそうしたのだろう。
思春期の真っ只中というのに、そう言った類のものとは無縁だ。
自分の友人たちも、みんな既に良い意味でも悪い意味でも、達観した保守的な人間ばかりで、類は友を呼ぶとは上手く言ったものだと、チャンミンは感心する。
交友関係ですら、冒険とは無縁。
非日常が、ない日常に満足して骨を埋めている。
一般人とは比べ物にならない豊かな環境を享受してくれる両親への感謝の念を込め、勉強も頑張った。
なので、チャンミンの成績はトップクラスだ。
容姿にしても、全く不服はない。
金さえあれば、簡単に美貌を手に入れることができる整形大国である母国の恩恵にも、チャンミンはあずかる必要すらなかった。
186センチという高身長に、韓国人ばなれした彫りの深い顔立ち。
財界のトップクラスの才女子息が通う高校でも、王子と持て囃され、女子生徒たちと女性教諭からの注目を一身に浴びた。
同学年に、二人の転校生が来るまでは。


「またかよ」
女子生徒たちの歓声が昼休憩の教室に木霊す。
もはや、ここ数週間でだいぶ聞きなれた日常の音になったが、騒音は所詮騒音だ。
耳障りでしかない。
「そろそろ飽きが来る頃なんじゃないのかよ、たく」
はぁと溜息をついて吐き捨てるように言ったのは、四六時中ゲーム機を手離さない癖に、成績はチャンミンと変わらない位置をキープしつづけるチョギュヒョンだ。
「気が散るからやめてほしいんだけどな〜」
豪華な食事よりも、専らゲームのキュヒョンは、食堂で腹を満たしたチャンミンが更に食後のデザートとして、母親が手作りしたクッキーをぼりぼりと貪り食らうのを、ちらっと見てげんなりする。
「お前、ブタの生まれ変わりのくせに、王子面って、スペック恵まれすぎだろ?」
「両親には、感謝してもし尽くせないと日々思ってる」
親友の実に面白味のない返しに加えて、ギャーっと女子生徒の一際大きい歓声が響き渡り、キュヒョンは高速に動いていた指を止めた。
やる気が削がれる環境が揃いすぎていて辛いと、深い溜息を再び零すと、歓声が聞こえてくる中庭へと視線を向ける。
「まぁ、お前もあいつに掛かれば、まだ一般人だよな?上には上がいるもんだ」
キュヒョンが言うあいつに、チャンミンも視線を向ける。
サッカー部のやつらとリフティングで、勝負をしているのは、一ヶ月前に日本から転校してきたチョンユンホだ。

チャンミンよりは頭半分ぐらい低いが、背も高い。
何よりモデルと見紛う頭身のスタイルの持ち主は、顔の小ささから九頭身とまで言われている。
切れ長の目に、高い鼻梁と細くシャープな輪郭。
ここまで揃った形容なら、字面だけ見ても理知的で冴え冴えとした美形を想像するだろうが、彼は男にしては、やや扇情的すぎる赤くふっくらした可愛い唇を持っている。
その上に、小さな黒子まであり、イケメンだと百パーセント言い切れるのだが、何処かハッとした中性的な美しさが漂っていて、男臭くない。
時に、かっこいいよりも美しいという言葉がしっくりきてしまう。
そのせいか、女生徒だけじゃなく、同世代の男からも綺麗だと言われるチョンユンホは、転校してきてすぐに、学年一の人気者になり、貴公子というあだ名までつけられた。
運動神経もよく、顔や雰囲気からは予想できないくらい人懐っこく、社交的だ。
ミスターパーフェクト。
同級生だけではなく、上級生や下級生までもが男女共に口々に噂している。


「どうだ?一般人に戻った感想は?」
親友が持て囃されるのを、幼稚舎から見てきて、長年面白くなかったのか、キュヒョンが嬉しそうに問い掛けてきた。
チャンミンは教室にいる数人の女子からの熱い視線をちらっと確かめてから、皮肉めいた笑みを乗せて、親友の嗜虐心を一瞬で萎えさせる言葉を口にする。
「これくらいの視線の方が、丁度いいだろ?好きに女の子を選んでも、悪い噂をたてられる心配もない。チョンユノには感謝してるよ。後、イテミンにも」
イテミンの名前に反応して、キュヒョンは一番後ろの席で、腕を枕にして机に顔を伏せる形で寝ている頭を見た。
イテミンもチョンユンホと同じ時期に転校してきた生徒で、チョンユンホとは違い、内気な性格なのか、まだクラスにも学校自体にも馴染めていない。
一部の積極的な女子生徒は、イテミンに話しかけるが、ほとんどの生徒が妖精や天使と言った透明感に溢れた架空の固体を彷彿とする彼の雰囲気に、気圧されてしまうせいか、近づけないようだ。
しかし、観賞用に適した人間には、必然と人間は興味を惹かれてしまうので、彼もまた一日にして話題の人物となった。
チョンユンホとイテミン、あんな美形が一遍に転校してくると、神に不公平だと抗議したくなるのは同性に生まれたからには当然だと、だいたいの男は口にしていた。


「うへー、本当にどこまで行ってもとことん最低な男だな?お前の餌食になる女の子には、同情しかないね。ま、でも次期生徒会長はもう無理だろうな?チョンユンホで決りだ」
ざまあみろと笑って、再びゲーム機に意識を移したキュヒョンに、それだけは困るな〜と、チャンミンは再び中庭で飽きもせずに、リフティング勝負に勤しむチョンユンホを眺めた。
チャンミンの父も母も、息子には生徒会長になって欲しいと願っているのだ。
それにはれっきとした理由があり、代々この学園の高等部過程で、生徒会長を勤め上げた人間は、将来的に代表取締役に就任しているせいか、ジンクスができてしまったのだ。
生徒会長になった人間は、王座に座るに値する人間だという。
チャンミン自身は、ジンクスを一切信用していないが、大事に育ててもらった両親に、馬鹿正直にそうは言えないのが、悲しい所だ。
「辞退してくれるように仕向けるしかないよな。本人に恨みはないんだけど」
「ゲスがここに居ますよ〜お巡りさん捕まえて〜って、そのお巡りさんが可哀相な目に遭うからやっぱり自滅しなきゃいけない人間だわ、お前」
淡々とポータブルゲーム機のボタンを連打しながら、キュヒョンが笑う。
「そういう人間って相応にして生き残るもんだろ?ストーリーはできてるんだよ」
「ドラマでは、ロイヤルファミリー負けるけどな?」
「あれは、一般市民の理想郷を作り上げなきゃ視聴率が取れないテレビ業界の立派なお仕事。だから、だいたい内容被ってるんだろ?」
「ま、せいぜい頑張れよ?ドラマみたいにならんことを祈っとくわ」
「ああ、すぐにあいつの親友になってみせるよ」
根拠のない自信を見せて立ち上がったチャンミンを、キュヒョンは同情と呆れが混ざった顔つきで見上げた。
「腰が軽いのは、若者の特権だけど、お前に関してはちょっと違うよな?家のためってのが若さが感じられないわ」
「勧善懲悪がいかにフィクションか教えてやるよ」
中庭にチャンミンが出て行くと、奇声のような女子生徒の歓声がキュヒョンのデリケートな鼓膜を貫く。
なんだ?と周囲に目を向ければ、イテミンが眠りから目を醒ましただけだった。
やっと顔が見える!!と教室の周りにできた下級生と上級生が入り混じった野次馬たちが、歓喜したのだ。
同じクラスの女子たちは、そんな野次馬たちの間をすり抜けて、イテミンのクラスメイトというだけで、何かしらブランドがあると言わんばかりの勝ち誇った顔で、教室に入ってくる。
その様子があまりに馬鹿らしくなったキュヒョンは、視線を中庭へと移した。
すると、一人だけ目立って回数が少ないリフティングをするチャンミンに、チョンユンホが笑いながらコツを教えてやっている。
「悪人面じゃないのも、得してんだよな〜」
しみじみ呟くキュヒョンの背後で、イテミンもそんな二人の姿をじっと見ていた。







「お前もよくやるね?」
汗だくのチャンミンの横で、涼しげな顔をしたキュヒョンの手には今日もしっかりゲーム機が握られている。
球技大会には、まず不必要なものだ。
「好き好んでやってるわけじゃねーよ」
体育館の壁に身を委ね、頭にはタオル被ったチャンミンが忌々しく吐き捨てれば、隣に同じ体勢で座っているが、全く汗は掻いていないキュヒョンが、くくっと喉を震わせて笑う。
「梃子摺ってんな?やっぱりドラマはそれなりに信憑性があったってことか?」
「あってたまるか、クソ」
チャンミンは、自分とチョンユンホの距離が確実に縮められていると、実感していた。
今日だって、別段こういうスポーツごとにそこまで熱くなりたくないのに、チョンユンホが馬鹿みたいに真剣に取り組むから付き合っている。
その甲斐あってか、次はもう決勝戦だ。
目の前の試合で、勝ったほうがチャンミンたちのチームと対戦する。
バスケットボールの跳ねる音と、体育館の床とシューズが擦れ合う音を朦朧とした意識の中で聞いていたチャンミンの顔を、キュヒョンが下からいきなり覗きこんだ。
「おーい、聞いてるか?つか、お前の顔!!ブサイクすぎる!!キモイ!」
ぶは!!っと噴き出して笑うキュヒョンを、長い足でチャンミンは蹴った。
「なんだよ?休んでんのに」
「だから、もうすぐ試合終わるけど、大事な主役いなくない?」
憔悴しきった顔を持ち上げて、目だけでざっと体育館内を見渡すが、あの目立つ人物が見当たらない。
しょうがないなと、スホマを手にとって連絡してみるものの、電波が繋がらないというこういう時に聞くと、非常に神経をイラつかせる無機質なガイダンスが流れるのみだ。
「たく、無駄に優等生だな。」
重い体を叱咤して立ち上がったチャンミンを、意外そうにキュヒョンは見上げた。
「探しにいくのか?」
「当たり前だろ?貴重な努力を水の泡にするやつが何処にいるんだよ?お?目立つんだから、誰か知ってるだろ?何処にいるか」
「いやぁ〜従者は大変ですね?尊敬しますわ」
全く心の篭っていないキュヒョンの言葉を聞き流して、チャンミンは決勝が始るのを待っているクラスの女子生徒に、チョンユンホが何処に行ったか知らないか?と訊ねる。
「ユノ君なら、体育館の裏の方に行ったかも。涼みに行くって言いながら」
その言葉を頼りにチャンミンは、体育館の裏手に回った。
パッと見は、誰もいないように感じたが、グラウンドに併設された形で建てられている野外スポーツの部室と、体育館の壁に隔たれてできた奥まった行き止まりの空間がある場所から、ここ数ヶ月で急速に聞き慣れた声が聞こえて来た。
間違いない、チョンユンホの声だ。
自分の労力は無駄にならなかったと、安堵しながら足を進めたチャンミンは、ひょいと顔を覗かせた。

「ユ、」
ノという音は続かなかった。
チョンユンホが、体育館のコンクリートの壁に手をついて、目の前にいるイテミンを閉じ込めるようにしていたからだ。
けれど、チャンミンの声に気付いたユノは、壁についていた手を離すと、にこりと笑いかけてきた。
「なに?もう始る感じ?」
「え、あ、うん。そう、後十分ぐらいかな?」
「分った。じゃあもう体育館入っておかなきゃな?」
爽やかに笑うユノは、チャンミンが知ってるいつものユノだ。
学内一の優等生なチョンユンホ。
けれど、一瞬だけさっき見てしまったユノの険しい横顔は、初めて目にするものだった。
凍てつくような鋭さする感じられて、思わず声を掛けるのを、憚れたぐらいだ。
あんな表情をするユノは、見たことがない。
「行こう、チャンミン」
ポンと肩を叩かれて、イテミンとの間に何があったのかを気にしながらも、ユノの促しに従って、チャンミンは歩き出した。
試合は結局、ユノとチャンミンの活躍で優勝。
女子たちは、これを口実に打ち上げをしょうと既に躍起になっていた。
勿論、躍起になる理由は、チョンユンホと少しでもお近づきになりたいからだ。
チャンミンは、チームメイトたちと抱き合って純粋に喜ぶユノを見ては、さっき見た険しい表情が脳裏をちらつき、気になってしょうがなかった。
じっと自分のことを見ているチャンミンの視線に気付いたユノは、いつもは切れ長の目をクリクリと丸くして、次の瞬間には満面の笑みを浮かべて飛びつくように、抱き付いて来た。
あまりの屈託のなさに、チャンミンも自分の画策や思惑を、何もかもその瞬間は忘れて、思いっきり笑って抱き締め返していた。
「やったな?チャンミン!お前が遠くからシュート決めてくれたお陰だ!」
嬉しさを身体全部で表現するユノは、言うなりまたがばっと抱き付いてくる。
その背中を擦りながら、チャンミンは非常に心地いい充足感に浸って、本心を口にしていた。
「ユノが、いたからですよ?みんなユノの熱意に引っ張られて、ここまで来たようなもんですから」
その言葉に、周りもそうだそうだと言い、チームメイト全員で、最後はもみくちゃになって喜んだ。


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