2

□Rainy BlueB
1ページ/4ページ


ソロ歌手のオニュとして、ステージに立つジンギをこんなに近くで観るのは、初めてだった。
デビューが決り、初めて音楽番組のステージに立つ時、俺は勿論応援に行くつもりにしていた。
けれど、ジンギがそれを良しとはしてくれなかった。
俺の名前が先行して、有名にはなりたくない。
理由を聞けば、納得はできた。
ジンギは嘘をつく子じゃないから。
でも、少しだけ寂しかった。
もうジンギは、俺の庇護下から抜け出して行ってしまう。
弟の成功を喜ぶよりも、ジンギの世界の中で俺自身の存在が薄れていくことを懸念し、真っ先に悲んだ。
自分だけが、不毛な愛に身を投じていると思い込んでいた俺は、結局は自分ばかりで、ジンギのことをよく見ていなかったんだろう。
だからこそ突然の出来事が、夢のように思えて追いかけることもできなかった。
雨が降るたびに、唇に残ったジンギの感触が、一向に衰える気配のない想いと一緒くたになって、古傷のように疼く。
中途半端のままになった想いは、まるで残骸だ。
誰にも回収されないまま、心の中で涙の雨に打たれ続ける。
ジンギへの想いに沈み込んでしまう日は、皮肉にも、いつだって窓の外も雨だ。
唯一、綺麗に全てを一掃できる人間は、何の言葉もくれずに、別の道を歩むことを決心してしまった。
早々に見切りをつけて、現実の世界を着々と歩み出している。
なら、もう俺に残されている選択は、一つしかない。
たった一人鳥籠の世界に引き篭り、暗い闇の中で身代わりの人肌だけを頼りに、生きていく。
そう思えば、ジンギが居た時と、結局何も変わってないんじゃないかと笑えた。
ただ、唇に残る感触だけは、知らなかった頃に戻れないだけだ。
でもそれが何よりも、今の足枷になっている気がする。
もっと早くジンギの気持ちに気付いていられればと、自分を許せずに、心が蝕まれていってしまう。
何もかもがどうでもいいと。
けれど、こうも考える。
何かが変わっていたかもしれないと思いたいだけで、気付いていたとしても、俺はあの子に対して何か出来たのだろうか?と。
それこそ、鳥籠の中で二人だけで永遠に生きていけたのだろうか?
ジンギを閉じこめたままで、俺は本当の幸せを感じられたのか?
人間は納得できなければ、いつまでも答えを弾き出すために、考え続けられる生き物だと思っていた。
けど、考えることにすら疲れてしまうことを、今回の件で俺は初めて思い知った。
精神が磨耗し、身体もそれに伴って疲弊すれば、勝手に頭の回線はショートすることを選ぶのだと。
自暴自棄とはまた違う、無防備とも言えない、まっさらな放心状態のような今、このライブを観覧することで、果たして何かが変わるのだろうか?
それとも、さして仲が良くもない後輩が言うように、変わらないことが未来への何かしらの促しになるんだろうか。


会場の照明が消された。
腕時計に視線を落とせば、開演する時間を長針はいつの間にか追い越していた。
スポットライトに照らされたジンギは、久しぶりに見るからというわけではなく、輝いて見えた。
本当に普通の子なのにステージに立つと、ソロ歌手としての風格がオーラとなって滲み出す。
身内の欲目を抜きにしても、ジンギはオニュとして、眩いばかりの輝きを放っていた。
眩しさに思わず目を細めてしまうぐらいに。
父さんと母さんも誇らしげに、今のジンギを見ているに違いない。
順調にライブは進み、残すはアンコールのみとなった。
あれだけ観に来るのを拒んでいたライブだったのに、嘘のように普通に楽しめていた。
学内一有名な後輩に、純粋に感謝しないといけないな。
こんなに心穏やかに、ライブを見つめられるとは思っていなかったから。
きっと観に来ていなければ、兄としてライブを見届けられなかった後悔もしていたと思う。
本当に今日は来れて良かった。
そう思えるだけ、案外自分は強いのかもしれない。
あんなに愛しく可愛い存在のジンギを、弟して愛せないはずがないのだから、世間一般の兄弟の関係を紡いでいけばいいだけだ。
吹っ切れたように答えが出た瞬間、暫し暗転していたステージが、照明に再び照らし出される。
さっきまではなかったグランドピアノが登場し、そこに座るのは勿論先ほど思い出した件の後輩だ。
二次元のようだと言われるルックスと、正確な演奏を武器に、世界を渡り歩くピアニストの後輩が、メインステージに設置されたスクリーンに映し出されると、会場内が阿鼻叫喚じみた歓声に包まれる。
何の飾り気もない白いシャツの胸元を、無造作に開けてピアノを奏でる金髪の後輩は、まんま少女マンガに出てくる王子のようだ。
ほぼ女性客が占めるこの会場で、歓声を浴びないことの方が不自然な美形は、実はモデルの業界でもファンは多い。
初めてゼミで一緒になって、その顔を間近くで拝んだ時は本当に実在するんだなと、芸能人を初めて見た一般人とさして変わらない感想を俺ですら抱いた。
後、勿体無いくらい姿勢が悪いとも。
これは職業病なので、仕方ないのかもしれない。
すぐに他人の姿勢に目がいってしまうのだ。
ジンギにも、姿勢だけは厳しく言い聞かせてた。
その甲斐あってか、ピアノの側に立ち、後輩の奏でる美しく繊細な前奏を目を瞑って聴くジンギの背筋は、真っ直ぐ伸びていて綺麗だ。
前奏が終りに近付き、Aメロが流れ出すと、ピアノを回って、ステージ正面に立ったジンギは、額を見せるように髪をアップにし、腰の部分から下に向って、黒の差し色が入ったバイカラーの白いロングコートに身を包んでいた。
中に着込んだシャツも黒地に、白の線で縁取られたもので、ぐっと大人っぽい雰囲気になったジンギは、実年齢よりも若く見られがちな幼さが影を潜めている。
歌いだす前に、珍しくジンギはすぅっと息を吸い込んだ。
呼吸をするように軽く歌を唄うジンギが、今日だけは緊張してる?
ジンギの些細な違いを敏感に感じ取ったのか、緊張が観客にも伝染していく。
固唾を呑んで、ジンギの喉が声を音色にするのを待つ瞬間の静寂は、神に祈りを捧げるときのように、神聖な空気で満ちている。
完全にオニュとなった今のジンギに寄り添えれるのは、彼の声と同じく柔らかく心に響き渡る美しい音色を紡ぐピアノだけだ。
それだけで世界が完結する。
選ばれし者だけが持つ最高の歌声、その声を思う存分生かせれる精確なタイミングでのピッチ。
それは、ジンギの努力で手に入れた紛れもない誇れるものだ。
まざまざと弟の成長を肌で感じると、滲み出した言葉は、一つ。
ジンギは、ジンギだけで生きて行けるということ。
俺はもういらないんだ。
昔なら、涙が出そうなくらい悲しかっただろう現実が、今は何故か穏やかに笑えてる自分がいた。
流れるメロディーの優しさが、ジンギの歌声と溶け込んでいくことによって、何の違和感もなく自然と心に入り込んできたからだろうか?
凄く優しい気持ちになれている自分に気付いた。
この曲は、テレビで見たときからいい曲だと思った。
ジンギの声の良さを知り尽くした恋人が作っただけのことはある。
でも今日は、テレビで見た時と比べものにならないぐらい感情が篭ってる気がした。
ライブなんだから当然か?そう思った矢先、ジンギとしっかりと目がかち合った。
じっと俺の目を見据え、視線を外さないジンギは、視線を絡めた状態で、更に激情を歌にぶつけるように、歌い出す。
今までは、美しすぎるメロディーに囚われて、耳に入ってきていなかった歌詞が、言葉となってダイレクトに心と耳に突き刺さった。

「レイニーブルーもう終わったはずなのに、レイニーブルー何故追いかけるの?あなたの幻消すように、私も今日はそっと雨」
レイニーブルー、それはジンギが出て行ったあの日から俺の身にも降り注ぎ、始まった。
雨が降る日は、仕事にも行きたくなくなった。
涙が出そうになって、唇を噛み締めながら、スタジオに向かい、仕事を終えてもスタジオから出ても頬を雨が打てば、それだけで胸が引き攣り、心が痛いというのはこういう状態なんだと思った。
ジンギも、本当は俺と同じ気持ちだった?
終わったはずと言い聞かせながら、雨の日には俺のことばかり考え、想ってくれていた?

「レイニーブルー、いつまで追いかけるの?」
諦めたいのに、諦めれない。
ヒョンの心を思い出すたびに。
ずっとずっと、僕を追いかけて離してくれない。
そんな風にジンギの目が訴えているように思えた。
自意識過剰なんだろうか?

「・・・ジンギ」
聞こえないのは分っていた。
それでも、構わずに名前を口にしていた。
それくらいしかできなくて、じわりと熱くなっていく瞳の奥からは、我慢し続けた想いが溢れそうになりながら、お前の心は今ちゃんと届いてるよ?と言う想いを込めて、もう一度ジンギと呟く声で言った。
「あの頃のやさしさにつつまれていた思い出が流れてくこの街に、It's a rainy blue It's a rainy blue ゆれる心濡らす涙」
ユノヒョンの優しさが、いつまでも変わらずに心にある。
それだけで雨を見れば、自然と涙が込上げる。
貴方の優しさが、あんまりにも優しすぎたから、いつまでも僕の心を掴んで離してくれなくて。
その優しさに包まれているだけで、満足できなかったのは、自分の癖に。
「It's a rainy blue loneliness・・・」
ヒョンだけが寂しかったんじゃない、僕だって寂しかったんだ。
愛する貴方を手離してしまうこと。
今だって、一人になった気分でずっと寂しいんだよ?ヒョン。

唄い切ったジンギの瞳からは、綺麗な涙が零れ落ちた。
堪らず俺も同じように涙を零していた。
圧倒的な才能を誇るジンギに対する拍手と歓声で会場が犇く。
そんな中、俺は拍手もできずに、ただただ座り込んだまま、涙を流すことしかできなかった。
ごめん、ジンギ。
お前も苦しめて。
兄弟としての愛を与えられなくて。
そのまま最後の曲まで涙が止まらなかった俺は、サングラスを掛けて、楽屋に挨拶しに行った。


大勢のスタッフが興奮冷めやらないといった呈で、騒然とするバックステージには、サングラス姿の俺は、明らかに浮いていた。
それに加えて、関係者全員がライブの成功に浸っているところに、割って入る気にもなれず、このまま帰ろうかと思っていると、誰かに手首を掴まれた。
「先輩」
振り返れば、さっきまでステージに立っていた衣装のままの後輩がそこにいた。
にこりと笑う顔は、いつもと一緒なのに態度だけは何だか変で、違和感を感じる。
「かっこよかったよ?イテミン」
ピアノだけが全てとばかりに、没頭する世界観は、噂に違わないイテミンのオーラとなって、目に焼き付いた。
正直、途中からはジンギのことしか見えなくなってしまい、彼のピアノも耳で追えていなかったけれど。
冒頭で彼の存在感は十分感じたからこそ、素直に感想を述べたというのに、イテミンは眉を下げて苦笑する。
「それはちゃんと見てなかったから、言える賛辞ですね?」
「え?」
ドキっとした。
綺麗に図星を刺されたからだ。
「今日の僕は、プロ失格でした。みんなオニュヒョンの熱の篭った歌に、気が逸れてくれたから良かったような演奏です」
人形のような造形の顔が、べっと舌を出して口角を下げた。
情けない変な顔を晒すイテミンに、俺はサングラスで彼には見えてないだろう目を丸くした。
綺麗な顔の無駄遣いをする奴が、こんなとこにいるとは、意外だ。
ゼミでもクールで、あまり人と喋らずに、一人でいるこの後輩に、まさかこんな茶目っ気があるとは思っていなかったから、尚更驚いた。
「何?ミスタッチでもしたのか?」
「ミスタッチはしてないです。でも、曲に入り込めませんでした。」
「体調でも悪いのか?」
腰を折って、イテミンの顔を覗き込めば、目の前の端正な顔が一瞬真顔になり、冷たい指先が俺の頬をするっと撫でた。
「先輩のことが気になって、客席の貴方ばかり見てたから」
そう言って眉尻を下げて笑うイテミンは、ドラマの中の俳優のような甘さで、見ているこっちが何だか照れてしまう。
「ヒョンっ!!」
「うわっ!」
背後からの突然の重量感たっぷりの衝撃に、サングラスがずり落ちそうになる。
背中に張り付く重みを、後ろ手に支えながら首だけを捻れば、ジンギが満面の笑みで俺にしがみついていた。
「ヒョン、自慢したいからこっちきて!!」
ライブ終りのせいか、いつもよりテンションが高いジンギは、強引に俺の手を引っ張って、楽屋へと歩き出した。
スタッフとすれ違う度に、自慢げに僕の実の兄なんですと、嬉しそうに笑う。
え?ユノユノが?オニュの!?とスタッフさんが驚くたびに、双子なんだよ?いいでしょう?とそれはそれは、嬉しそうに言葉を返す。
子供みたいに、はしゃぐジンギの可愛さに笑いながら、俺は一人一人に会釈して、いつもジンギがお世話になってますと挨拶していった。
その度に、サインや握手を強請られる。
これじゃ、前に進まないね?と言いながらも、ジンギの顔は、ずっとニコニコとしていた。



次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ