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□Rainy BlueA
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久しぶりの休日に、一ヶ月ぶりの大学に行く。
春の日差しが強くて、今日は暑いぐらいだとキャンパスの中を歩きながら思っていると、不意に後ろから誰かに腕を掴まれ、瞠目しながら振り返る。
「おはよう」
おはようと言う時間には、遅すぎる一時すぎ。
それでも彼が、爽やかに笑って言えば、瞬間的に早朝の涼やかな空気が周囲を漂った気持ちになってしまう。
表情一つで、空気が変わる。
まざまざと一流モデルの技量と品格を見せ付けられた気分だ。
本人のチョンユンホ先輩は至って、そんなつもりはないだろうが。
それ程親しくもない同じゼミ生であるっていうだけの仲の僕の手を掴んで、何故わざわざ先輩が挨拶をするんだ?と疑問に感じながらも、鸚鵡返しでおはようございますと答える。
「イテミン、昨日テレビ見たよ」
すると、掴んでいた手を離して、僕の隣に並んだ先輩は、にこっと華やかに微笑んだ。
けれど、自身のスケジュールをあまり把握していない僕は、先輩が言うテレビが、どれを指しているのか分からず、取り合えず形だけありがとうございますと返した。
「オニュの歌声に、君のピアノが凄い映えてた」
具体的な言葉が出て、先輩がどの番組を言っているのか、漸く分った。
数日前に、歌手のオニュとコラボした音楽番組のスペシャルステージのことだ。
先輩が言うように、収録スタッフも、オニュヒョンの事務所にも、彼のファン、そして僕のファンに僕の事務所のスタッフからも、評価が高くて、どうして今までこのコラボに気付けなかったんだろうか?と、その場に立ち会っていたスタッフ全員が妙に悔しがっていた。
そんな中でジョンヒョニヒョンだけは鼻高々にしていた。
どうだ?俺の先見の明は?とばかりに得意気で、オニュヒョンと二人で、ジョンヒョニヒョンの表情が、まるで子犬が飼い主に褒めて褒めてと強請るような顔つきみたいだと言って、二人で笑い合ってたっけ?
結局視聴者にも凄く評判が良かったようで、もうすぐ行なわれるオニュヒョンの単独コンサートにも、同じ曲を披露するために僕は呼ばれる運びとなった。
「オニュヒョンのファンなんですか?」
前にもこんな似たような質問を誰かにしたなと、考えながら質問すれば、先輩は少し考えてから、小さく笑う。
その笑顔が妙に寂しげで、胸に引っ掛かると同時に、こんな笑い方する先輩を初めて目にして、毛嫌いしていた印象が少し和らいだ。
実は僕は、この先輩が苦手である。
押しも推されぬスパースターに、陰鬱な翳りがない方が違和感があるのかもしれないが、時にぞっとするような冷たい目をしているのが、敬遠する一つの要因だ。
彼を慕う人の中には、モデルユノユノというブランドに群がっている人間もいないとは言い切れないだろうが、そうじゃない人間もいるだろう。
それこそ、ユノユノとしてではなく、チョンユンホの彼と純粋に友人になりたいと思っている人間がいるかもしれない。
なのに、自分に好意を寄せる人すらも、馬鹿にしたような冷め切った目で、彼はたまに見つめている。
純粋に好意を受け取れられないなら、一人でいればいいのにと感じてしまうが、彼は一人は嫌なようだ。
それに、もともと性格がいいのは彼の行動の見ていれば分かるので、彼の時折見せる冷たさに気付いても、居心地が良くて友人たちは彼から離れてはいかないのかもしれない。
ここまで言っといてなんだけど、自分には関係のない人なので、さして気にも留めておらず、結局は僕にとっては他人事だった。
ただ、大学に来た時に目の保養になる人がいることはいいことだぐらいの距離感。
なのに、こんな風に笑える姿を見てしまうと、今までの印象が何だったんだろうか?と思う程度に、気にはなった。

「オニュって、一緒にいたら可愛いだろ?」
「先輩って、オニュヒョンと友達なんですか?確かに癒されます。ケラケラ笑いながらオヤジギャク言ったり、壁と同化してみたり、スタッフを和ませるのも上手い人ですし、みんなに可愛がられてます」
笑いながら、オニュヒョンが疲れの極みに達した際に、壁と壁の直角になっている所を利用して、すっぽり挟まってじーっとしていたことを話せば、途端に先輩の顔がくしゃくしゃになり、大きな声を上げて笑い出す。
目尻にくっきり皺を刻んで笑う先輩は、とても屈託なくて、それはそれは愛らしい笑顔だ。
思わず、本当に自分が知る敬遠しているあの先輩なのだろうか?と凝視してしまう。
「何?」
目尻に堪った涙を長い指先で拭いながら、ん?と僕に視線を合わす先輩に、驚きに身を委ねていたせいか、本音を零してしまっていた。
「いや、そんな風に笑えるんだなって」
僕の言葉に、含み笑いを浮かべた先輩は、片目を眇めて、悪戯めいた魅力的な顔つきで揶揄する。
「天才ピアニスト、イテミン様は知らないかもしれないけど、これでも一応モデルを生業としているんでね?」
笑えて当然だとばかりに言い張る先輩に、そういう意味じゃないと、後先考えずに反論していた。
「いえ、ユノ先輩って雑誌以外では、ちゃんと笑ってなかったから」
言葉を紡ぐなり、先輩の顔から、すっと表情が消える。
そして次に現れたのは、僕が見知ったあの冷め切った目だった。
優れた容姿に冷やかさが加わることで、凄みが増して近寄りがたいオーラが、一気に放たれる。
先輩は徐に羽織っていた長袖の赤いチェックシャツの胸ポケットに、差していたサングラスを手に取って掛けると、さっさと長い足でキャンパスに向って歩いて行く。
一流モデルの風格に相応しいピンと通った背筋を目で追いながら、僕は一体何だったんだ?と呆然と立ち尽くすしかなかった。


それからと言うもの、先輩は僕から目を隠すかのように、ずっとサングラスをしている。
最初は、思い過ごしか?とも考えたけど、どうやら思い過ごしではないらしい。
ゼミの授業の時も、サングラスをするようになったんだから、どう考えても思い過ごしでは、ないだろう。
うちのゼミの教授は、真面目に授業を受けてくれる生徒ならば、何でもいいようで、特に先輩のサングラスを注意したりもしない。
それに先輩は、有名人なので室内でサングランスを掛けていても、可笑しくはないし、似合ってもいるので、誰も変に思っていないようだ。
僕だけが、自覚がないままに先輩の地雷を踏んで、そのせいでますますよく分からない先輩を、やっぱり苦手だと言う感想を抱く、それでこの件は、もう終わりを迎えたと思っていた矢先に、事が起こった。



「あれ?ジョンヒョニヒョン?」
その日、予定していた講義を全て終え、正門に向かって歩いていると、門の柱に凭れ掛かるジョンヒョニヒョンが見えた。
なんでこんなとこに?
そう思いながら足を進めていると、ヒョンも僕に気付いた。
手を上げて、にかっと笑い掛けてくるヒョンに、疑問符を乗せた視線を据える。
「人を待ち伏せてんの」
疑問を口にするまでもなく、ヒョンは察するなり、気安い調子で返してくる。
「待ち合わせってことですか?」
「いや?文字通り待ち伏せだからな」
「え!?それ、目的の人がもう校外に出てたらどうするんですか?出口、ここだけじゃないですよ?」
「まぁ、そん時はそん時。それに見つけやすい人だからっと、噂をすればなんとやらだな?」
にやっと片方の口の端を持ち上げたジョンヒョニヒョンは、僕の肩をポンっと一回叩くと、待ち人の方へ歩いていく。
視線だけで追いかけていた僕は、ジョンヒョニヒョンが、躊躇することなく歩く先にユノ先輩がいることに気付いた。
先輩も前から歩いてくるジョンヒョニヒョンが、自分に向かって歩いてきていることに気付いたのか、じっとヒョンを凝視する。
そして、対面した二人は数回言葉を交わすと、こっちに向って再び歩き出した。
先輩は、僕と視線が合うなり、それはそれは柔らかく微笑み、テミン!!と友人のような調子で名前を呼んで駆けてくる。
これには、当然僕は目が点になった。
今、何が起こっているんだろう?
てか、連続ドラマのヒロインのように愛らしく微笑みかけてくる人は、僕が知っている先輩なのか?
いや、どう見ても別人だ。
確かに一回っきりで見た無邪気な笑みは、今向けられている笑みと同等か、それ以上に愛らしかったが。
一人、戸惑っている僕を余所に、先輩は待たせたな?と未だにあの眩しい笑みを差し向け、肩を組んでくる。
待たせたな?も何も、僕らは言うまでもなく、待ち合わせなんてしていなかった。
「え?二人って知り合いだったのか?」
意外だとばかりに、ジョンヒョニヒョンは僕と先輩の顔を交互に見る。
「ゼミが一緒なんだ」
またにこりと女神のような愛らしい微笑みを刻む先輩。
まぁ、言っていることは事実なので、そこは否定しない。
「へ〜、なら仲良くて当たり前か」
心底ジョンヒョニヒョンは納得しているが、僕と言えば、サングラスを掛けられて、視線も合わせたくないと拒絶された覚えはあるが、親しくしてもらった記憶は一切ない。
「ある意味では、仲が良いみたいです」
思わず、現状の状況に反発する思いから、皮肉を零せば、ジョンヒョニヒョンはある意味?と首を傾ける。
「何だよ?まだあの事根にもってんの?お前」
すると、極自然に僕の顔を覗きこんだ先輩の長い髪が、頬に触れてくすぐったい。
キスできそうなぐらいの距離まで、先輩が顔を近付けた理由は、ジョンヒョニヒョンから顔が見えない角度にしたかっただけだ。
字の如く、クールビューティーチョンユンホのあの全く笑ってない目が冷笑を浮かべ、ほんの一瞬指先で僕の唇を突っつく。
余計なことは言わない。
言われてはないが、アフレコするならそんな言葉がしっくりくる。
先輩の美貌を以ってすれば、人間の口を封じるなんて瞬殺なんだろう。
やりなれた感じから、そんな風に思った。
まぁ、この容姿じゃ当然と言えば、当然。
しかし、僕は性格的に、他人によって押さえつけられるのがあんまり好きじゃない。
「当たり前じゃないですか。だって、こんなに近くにいるのに、先輩の綺麗な目を見れないなんて・・・。世界が終わってしまう絶望感に等しいですよ」
元の距離感に戻っていく顔に向って、物怖じせずに、先日から続く拒絶行為を指摘すれば、ジョンヒョニヒョンは何?何?と好奇の視線を向け、先輩は一瞬だけ凄く嫌そうに眉間に皺を刻んだが、すぐに分厚いモデルユノユノの仮面を被り直して甘い苦笑を滲ませる。
ごめんごめんと可愛い後輩を宥めているとばかりに、僕の髪を指先に絡めた。
二重人格。
そんな言葉が過ぎるのも、仕方ないと思う。




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