le livre

□Familiar
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ドアが開く音がしたので、顔を上げると虎徹さんと『彼女』がダイニングに入ってきた。
「お帰りなさい。もうすぐ朝食出来ますけど、先にシャワーつかいますか?」
「おー、そうするわ」
首にかけたタオルで汗を拭いながらバスルームにむかう。そのすぐ後ろを『彼女』がついていく。
「こら。サニーはここで待ってろ」
そう言われて『彼女』はしぶしぶといった態度で足を止めた。

『彼女』‐サニー‐は3歳のグレイハウンドだ。
虎徹さんと犬か猫を家族に迎えたいとボランティア団体を訪ねた時に出会ったのが彼女だった。
サニーは元レース犬。レース犬はある程度の年齢で引退し、ボランティアを通じて一般の家庭に譲渡される。
すらりと伸びた四肢に長いマズル。賢そうな瞳。僕は一目で彼女を好きになってしまった。
虎徹さんは「バニーが気にいったんなんら」と笑ってくれた。
アパートメント暮らしで問題はないのか、とか、グレイハウンドという犬種は初めて飼うのだが大丈夫かとか、不安に思うことはあったがボランティアの方の「この子なら大丈夫」という太鼓判で彼女は我が家にやってきた。
彼女にはもともとレース犬としての登録名があったらしい。けれど、家庭犬として再出発する際あたらしい名前を付けることになった。
「サニー」という名前は虎徹さんが決めた。『太陽』という意味どおり彼女は天真爛漫な性格だった。外見とのギャップが甚だしい。

ダイニングにいたはずのサニーがいつのまにかキッチンにいる僕の足の側に来て、さかんにしっぽをふっている。動くたびにしっぽがぱたんぱたんと僕の足にあたる。
「どうしたんですか、サニー?」
名前を呼ばれるとサニーはひょいと伸びあがって僕の口元に鼻をすり付けてきた。
「サニー、ご飯はまだですよ。虎徹さんが来たら一緒に食べましょう」
だがますます彼女は興奮して飛びついてくる。
しかたなく僕は一度ダイニングに移動した。
「サニー、待て」
僕のコマンドを受けてサニーがぴたりと脚を止めた。
「待て、ですよ」
僕がキッチンに戻っても彼女は動かない。『よし』のコマンドが出るまで彼女は動かないのだ。
犬を飼うにあたり、躾についてかなりの情報を調べた。が、サニーには何の苦労もしなかった。
当たり前だ、彼女はもう躾の入った成犬だったのだから。
「ふぃー、バニーおまたせ」
シャワーを浴びて着替えをすませた虎徹さんがダイニングに戻ってくる。
サニーの散歩は虎徹さんの担当だ。
グレイハウンドは走ることが好きな犬種である。だから散歩は自然とジョギングになった。
虎徹さんは普段のトレーニングはサボるくせに、彼女を伴ったジョギングは楽しんでいる。小雨程度なら、平気で出かけていく程だ。
「お、サニー。いい子で待ってたか?」
虎徹さんが声をかけると、『待て』のコマンドが出ていたことも忘れて飛びついていく。
「よしよし、サニーはイイコだな」
少し手荒にサニーの首をさすると大喜びで床に転がる。
僕がダイニングに朝食を並べている間、サニーと虎徹さんはべったりだ。
「サニーって、本当に虎徹さんのことが好きですよね」
「そおかぁ?バニーのことも好きだぞ?」
「なんだか、僕と虎徹さんだと態度が違う気がします」
サニーの朝食を用意すると、今度は僕の方にやって来た。
「ほら、お前のことも好きだろ」
「これは食事につられてるだけです…」
彼女の食事を専用の給餌台にのせ、『待て』のコマンドをもう一度出す。
虎徹さんと僕が食事を始めてから『よし』と声をかけて食事に促す。
犬の食事を人間より後にすること‐躾の本やサイトには、飼い主と犬の上下関係をはっきりさせるために、そのように書かれていた。これだけは虎徹さんにも守ってもらっている。
「バーナビーはさ、サニーにとってボスなんだろうな」
「それは犬との関係では望ましいことですが…」
犬を飼う、ということは群れのリーダーであること。とても重要なことだ。でも。
「好き、というのとは違う気がします」
「もしかして、妬いてんの?」
「ちがいますよ」
「だいじょーぶだって。サニーはちゃんとバニーのことすきだよ」



今日は雑誌の取材が長引いた。おまけに接待もあり、家についたのは日付も変わろうという時間だった。
ジャケットを脱いでいると、ベッドルームの扉が開いて虎徹さんとサニーがやってきた。
「…おかえり」
「すみません。起こしてしまいましたね」
「いや、だいじょうぶー」
目元をこすっている虎徹さんは欠伸をひとつした。
「サニーに何かやってくれ」
「?夕飯食べてないんですか?」
「ちゃんと食べたけどさ」
サニーはずっと僕の周りをくるくる回っている。
「バニーじゃなきゃやっぱりダメなんだよ。サニーにとってバニーは『親』だからな」
犬と飼い主の関係は『主従関係』だ。最も理想的な形は、犬は主人に従う代わりに、食事と休息を、そして何より安心できる場所を得ることだ。
つまりサニーは僕をそのような相手、愛するリーダーと思っている、と虎徹さんは言っているのだ。
「サニー!」
首を撫でてやると、しきりに鼻を僕の口元にこすりつけてくる。それは、犬の恭順の挨拶であり、子犬が親に食事をねだるしぐさだ。
「サニー、僕もあなたのことが好きですよ」
僕の言葉に尻尾をちぎれんばかりに振る。
健気な彼女に犬用おやつを出してやるとやっと落ち着いて、それを食べ始めた。
「バニーちゃんは何か食べる?それとも酒?」
「いえ、もう遅いですし、シャワー浴びて寝ましょう」
「ん、わかった。ホットミルク用意しておく」
そして虎徹さんは僕の頬に軽いキスをした。
「こっちにしてくれないんですか?」
と唇を指すと
「それはおやすみの前までとっておけ」
と笑われた。

シャワーを浴びて戻ってくれば、愛しい人がホットミルクを用意して待っている。
彼の足もとには『彼女』がベッドに行くのを待っている。
僕の大切な人たち。
たとえそれが少し世間と違っても。

これが僕の 『家族』。



fin.
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