約四百年前のお話。

□上野三人衆結成
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「いつもながらですが、藤堂殿の屋敷は屋敷もさながら庭が美しいですね」
その屋敷の主人は藍染めの羽織を着て客人を出迎えた。
「本当にいつもお前はそう言うな。確かにこの屋敷は俺が墨と紙を持ち画いた自信作の屋敷だ」
腰に羽織と同じ藍染めの手拭いを締めた初老の男は言った。

「毎度藤堂殿の屋敷は参考になります」
そう言うと若者は初老の男に軽く頭を下げた。

「まぁ立ち話も何だ、中に入れ」

失礼します、と若者は言って男の後ろについて屋敷の敷居を跨ぐ。

「堅苦しいな。俺はお前のお隣なんだからそう堅くなるな」
はい、と若者は言いかしこまる。
それを見て、男は苦笑した。

「お前を見てると俺の若い頃を思い出す。一番手柄を狙ってばかりいた頃のな」
若者も先の戦乱の世を生きてきた人間だったが、初老の男の方がずっと長く生きてきたのだった。
「…藤堂殿の生きてきた世とは」

「お前、それを聞くのかよ」と男はこぼす。

「いけませんか」
「いや、それほどでもないのだが、あまり人に言いたくない過去もある。だが若いお前に免じて話そう。…俺は、お前より軽く見積もっても倍は人を殺めてきた」
初老の男は右腕の袖を捲った。初老と言ってもまだ若々しく鍛えぬかれていた身体は見事なものである。

若者は男の腕を見て言葉を失う。満身創痍、という言葉の通り傷だらけだったからだ。

「…俺は数多の戦で功をあげてきた。俺は初め、本当に下級武士でな。ただ腕っぷしだけがよかった。そして、ある戦で俺は功をあげた。俺の主君は俺のような下級武士に感状をくれた。俺は主君の為に命をとしてでもいいと思ったんだ。でも、俺は主君にそれは間違っていると教えられた。主君は俺に生きろと言ってくれた。だから俺はこうして今を生きている」
男は袖を戻し腕組みをする。
「…よし、こんなところでは申しわけないからな。誇るような腕ではないが俺がお前に茶をたててやろう。茶室は此方だ、ついてこい」
そんな悪い、と若者は遠慮すると、
なぁに、端からそのつもりだった。準備は出来ている、と男は笑った。

屋敷の奥の奥、表の庭とは比べ物にならないほどに手入れの行き届いた見事な裏庭とでもいうべき場所に茶室はあった。

「入れ」
男の高い身長に合わせたのだろうか。茶室は通常のこじんまりとした小さな狭い一郭ではあるが天井が妙に高く、それ故につけたのであろう高い位置にある窓からは日の光が射し込み、男の顔の前を斜めに横切っていた。

若者は茶室に入り座ると、ふぅと息を吐き室内を見回した。
なるほど、簡素ながら見事な茶室である。

「すまんな、お前はまだあまりこういう茶席は不慣れだろう」

「いえ、私も父に従い数度茶席の共をしたことがありますので…」

「そうか。お前の父も立派な武士だったからな。だが今日は俺がお前をもてなす側なんだから、もっと肩の力を抜け」

「はい。私は亡き太閣様の小姓、利休様とも面識はありましたから大丈夫です」

「ほぅ、お前は利休殿に会ったことがあるのか」
まあ、と若者は頭をさげる。

一通りの茶道の作法を終え、男は懐紙に茶菓子をのせ若者の前に差し出した。
男は大きな図体でテキパキと茶をたてる。

「結構なお点前で」
「美味かったか」
「とても」
「菓子にも手をのばしてくれよな」
「はい、ありがとうございます」

男は若者に昔語りをした。初めて仕えた主君の話、七度の主君替えの話、先の世で生き抜く術。時折、若者は頷いたり自らの体験を話したりと真剣に男の話を聞いた。

「この数年間で世は目まぐるしく回った。俺の生きてるうちにまた一つ豊臣との戦があるだろうな。その時は共に先鋒勤めよう」
「その時は」
若者は言いかけて、ふと、床の間の壁掛けの一輪挿しに目が止まる。
一輪挿しには一輪の紅い椿の花が凛と咲いていた。
男も若者の視線が気になり椿を見た。
その瞬間、椿が花弁ごとボトリと床の間に落ちた。

「大した洞察力だな」
「いえ、偶々です」
「戦場じゃ些細なことで生き死にが決まる」
大事にしろよ、と男は言う。
「そういえば、この庭には椿が一本もありませんね」
「…見ているものは見ているものなんだな」
確かにこの色とりどりの花が咲き誇る庭には椿の木がなかった。いくら武士に嫌われる花とはいえ、この素晴らしい庭に一本もないというのは奇妙だった。
「表には、白い椿がありましたが」

「げに、よく見ているものだな」
この奥庭は普段男が生活している部屋に面している。つまり、この奥庭はこの館の主人の男の為だけのための庭とも言える。主人が嫌いだから植えていないのか。いや、嫌いならば飾ることもないだろう。

「椿、お嫌いなのですか」
若者は男に聞いた。

「…嫌い、だったらいちいちお前の来る茶席に飾ると思うか?」
男は口角をあげて笑った。
「それは…」
若者は返答に困る。
「椿の花はこんな風に花びらではなく花ごと落ちる。何かに似ていないか?」
若者は男に問われ考える。

「……人の首、ですか」
それが武士に嫌われる由縁である。若者は昔、一度だけ罪を犯したものが腹を切り首を切り取られたところを見たことがあった。重たい頭がゴトンと胴体から離れ落ちたのだ。それを少しだけ思い出した。
「左様」
男の低い肯定の声が若者には重々しく聞こえた。

「椿の花は武士に嫌われる花だ。真っ赤な首だからな」

「では、何故藤堂殿はこの花を」

「戒めだ、忘れないように…忘れないように椿が咲くこの時期に数本貰う」
男は腕を組んだまま微笑んだ。

若者は切なげな微笑みに言葉が出てこず、茶室はしばし沈黙の空間となる。

その沈黙を破ったのは茶室の外からの一つの声。

「高虎、私です」
開けてやれ、と若者に男は言う。若者が茶室の戸を開けた。

そこに立っていたのは、袈裟を纏い、口を隠した有髪僧だった。

若者は驚愕する。

「椿をお持ちしました」
僧の持つ和紙の包みには赤い椿が数本。

「天海、入らんか」
男は言う。
失礼します、と僧は若者の前に出、包みを男に差し出した。

「天海、こいつに挨拶せい」
天海と呼ばれた僧は若者に振り向き、頭を下げた。
「お初にお目にかかります。天台の僧、天海と申します。家康殿に仕えております者です」

「やはり生きていらっしゃったのですね」
若者は言う。

「はて、貴方は誰か故人と私を間違えているようですね」

「……」

「天海、ソイツもビビってるだろ。いきなり"死者"が目の前に現れたんだからな」

「高虎…」

「"死んだはず"の"天下の謀反人"が徳川のもとで生きていたなんて、誰だって最初は驚くさ」

「高虎、口が過ぎますよ」
僧は男をじろりと見た。それだけでこの背の高い男は威圧され黙りこんだ。

「貴方が隣に越してきた堀殿で」
若者は僧に呼ばれてハッとした。

「はじめまして、堀直政が次男、堀直竒と申します」若者は頭を深々と下げた。

「これはこれは、ご丁寧に」
「あの失礼ながら、何故貴方が此処に」

「私は一度この世を捨てた身、昔のことは覚えておりません」
天海は包みから椿を一輪取りだし、懐刀で茎を斜めに切る。
「…その懐刀は、…昔父上に聞いたことがあります。坂本の城の宝を譲り受ける際に目録に一振りの刀の名がなかった。父上は佐馬助殿に問うた所、これだけは私が天の主にお渡しすると言った品」
…直寄が天海の懐刀の鞘に目を向ければそこには桔梗の紋があった。

「貴方は高虎の見立て通り優れた人のようですね」
天海は微笑んだ。

「天海、俺がそんなに先見の目がないとでもいいたいのか?」
茶席の主人は笑う。

「いいえ。高虎が私に紹介するほどの人物なんて珍しいので。そして、高虎殿の類い稀なる運に彼がみあうかどうか見させてください」
そういうと僧は静かに目を閉じ、半目になる。
「…ほう、貴方もなかなかのお方だ」

「見えたか天海」
高虎は尋ねる。

まぁ少し、と僧は半目のまま答えた。

「あの…何を…」
「俺もな、コイツに会う前は迷信とかそういうの信じないし興味もない質だったんだがな」
「えっ…!?」

「これは…あの狐の君の…」

「実はコイツはな千里眼を持っている」
「千里眼ですか!?」

「千里眼って程でもありませんよ。人相や手相、占術に少しだけ妙法を使っているだけです」

「で、どうだ天海コイツは」
天海はやっと瞼を完全にあげた。
「私からの私見では吉兆にございます」

「そうか、なら大丈夫だ」
高虎は満足そうに頷き、続けて言った。
「津藩藩主藤堂高虎」
続けて天海が言う。
「あしびきの僧、天海」

高虎と天海は直竒に目配せをした。
「えっ…え、越後長岡藩藩主堀直竒」

天海が言う。
「我等、上野三人衆。家康公、いえ…日の本天下の御為、命を懸けて平定を成す事を御仏に誓わん」と。

張りつめた空気の茶室の床の間では、活けたばかりの一輪の赤い椿が凛として咲いていた。それは三人を見守っているのであった。


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