原作設定short

□Who'll bell the cat? 2
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「君が    を猫のクロだと認識するのは、何か条件があるのかもしれないね」
カウンセリングのような質問を散々した後にハンジはそう結論付けた。班のメンバーが集まった深夜の食堂の席に座るエレンはげんなりとした様子で無愛想に答える。
「…クロはクロです…それ以外の何でもありません」
「君は彼をそう認識してるけど君の言うクロは本当に猫だと言い切れるのかな。体の大きさ、人間みたいな素振り、君の言葉を理解してるかのような従順さ…エレン、君もクロが普通の猫じゃないと思っているんだろう?それでもクロが猫だと思えるのは君自身がそう思い込んでるだけじゃないのか。君以外のメンバーは、皆、クロを猫だとは認識していないよ」
「俺の頭が、おかしくなったと思ってるんですか」
「…」
「俺はおかしくなんてなってません…逆に俺は、ハンジさんが俺にクロは猫じゃないって洗脳しようとしてるとしか思えませんけど」
「…」
おいエレン。言葉が過ぎるぞ!
「…すみません…」
意味ありげに黙り込むハンジにエレンは悪態をついた。もう何週間も同じ質問を同じように繰り返され、エレンはそれを何度も同じ答えでハンジに返してきたのだ。エルドはエレンの暴言を窘めたが、そろそろ苛立ちを覚えても仕方ない。結局ハンジの望む答えを言えばそれで済むかとも思うがハンジが悪意を持ってエレンにしつこく質問を繰り返しているのではないとエレンも分かっているので反抗する事は無かった。が、今日のエレンは少々気が立っている。頭から、クロが牙を見せて唸ってきた光景が離れないのだ。
「何度も繰り返す私の質問に君が負担を感じているのは知っているよ。悪いとは思ってる。ひょっとしたら君はこのままの方が幸せなんじゃないかとも思った事もある。でもねエレン。私はずっと君が否定した世界からあなたたちを見てきた。君が知らない世界の裏から君が知らなければいけない光景を私は何度も見てきたよ。それは君にとって苦痛でしかない事であっても私は貴方達に、それを知ってほしいと思う…だから君が嫌がっても私は君に同じ質問をする。そうして君の世界のカラクリがやっと見えてきたかもしれないからね」
「世界って…ただ、ちょっと変わった猫が見えるってだけの事じゃないですか。そんな大げさに言われても…よくわかんないです。もういい加減、ほっといて下さい、それより早く俺を通常の任務に戻して下さいよ!毎日毎日、意味も分かんないのに病人扱いされて、こんなんじゃこっちのほうが気が狂いそうですよ!もう、はぁ…俺が何したって言うんですか…俺の何がいけないって言うんです…」
「…」
「…」
オレンジのランプの灯りに照らされる皆の顔が、どうにも腹に一物抱いているように見え気味が悪いとエレンは思った。憐れみのような怒りのような複雑そうな顔だが正面に座るハンジだけは無表情にエレンをまっすぐに見つめその意図は別にある様に思えた。どうしてだかハンジの目をまっすぐ見れないエレンは視線を逸らし苛立ちをやり過ごそうとする。ハンジの言葉がどれも意味深に思え若干恐怖さえ湧き上がっている。ハンジは一体自分の何に触れようとしているのか。早くこの時間が過ぎてほしい。一心にエレンはそう願った。

しばらく、その重苦しい沈黙は続いたが、やがて

「…わかった。今日はここまでにしよう。嫌な思いをさせてごめんねエレン」
「…」
「ペトラ。外に待ってる私の部下を呼んできてくれないか」
ハンジが急に席を立ち張りつめた空気は四散した。はい、と返事をしたペトラに続き他のメンバーも続けるように席を立っていく。
誰にも聞かれないようにエレンはホッと息を吐き緊張に固まった顔の筋肉を解きほぐした。これで今日のカウンセリングは終わりだ。ハンジの気迫に何とか耐えた。エレンも席を立とうと立ち上がり木の椅子をテーブルの下へ押し入れた時
「ああ、ちょっと待ってエレン」
「え、何ですか」
いつもの笑みを含んだ顔のハンジに呼び止められる。
「君を地下室に拘束する役目はここ最近エルド達が交代で行っていたらしいね。そこで私の部下を一人君の監視役として派遣させてもらう事にしたよ、今から彼の指示に従ってほしい」
「い、今からですか」
「そう、今から。もうすぐそこに来てるから」
「…?」

エレン、後ろを向け

不意に後ろからそう声をかけられエレンはすぐに後ろを向いた。おそらくハンジが言っていたハンジの部下が自分を迎えに来たのだろうと思ったからだ。
しかしそこには誰もいない。知らない男の声は確かに聞こえたはずなのに誰一人としてエレンの後ろに立っていなかったのだ。そこにいたのはさっき食堂で起こった事と同じ
「…クロ?え、今」
…。
灰色の瞳を細めた、クロがいた。「やっぱりそうか」とハンジが背を向けたエレンに語りかける。
「ごめんねエレン、さっきのは嘘だよ。私の部下はここには来ていない。騙すつもりはなかったけどこうするしか確証は得られなかった。でもおかげで君が彼を猫だと認識する条件がわかったよ。君は視覚で彼を確認し、そしてそれが猫のクロだと改めて認識しているね。現に後ろから声をかけた彼の言葉に反応し、理解した上で今君は振り返った。彼の話した人の言葉を理解し君は従った。”猫の彼”ではなく”人間の彼”の言葉をね。ということは彼が    だと気づかなければ、もっと言えば、視覚にさえ入らなければ、君は彼を猫では無く人間として識別出来る事になる。君は初めから、猫のクロを認識している訳ではないんだ」
落ち着いたハンジの言葉がエレンの胸の奥、痛いところを突いてくる。見据えるようなクロの目も、憐れむような先輩同僚の視線も痛くてエレンは振り向こうとした。でもそれ以上にハンジに向き直るのが怖くて動けずその場に立ち尽くす。緩い警告音が、頭の中で鳴り響いた気がした。ハンジが結論を出す。
「…つまりエレン。君は彼を猫だと認識してるんじゃない。人間である彼を認知した上で、頭の中で彼を猫に置き換えてるだけなんだ。彼が人間であることを、君は本当は理解しているはずなんだよ」
ハンジの言葉が、それを否定したいエレンの意志を押しのけエレンの胸に深く染み込んでいく。再構築されたはずの自分の良識が音を立てて崩れていく音を、エレンは確かに聞いた。



「クロ、なぁ聞こえてんだろう、返事しろよ」

あれから数日。どう言ったわけかクロはエレンを避ける様になった。日中雑務をこなすエレンと、城内を好きに動き回るクロが鉢合わせる際、明らかにクロはエレンから視線を逸らし近づこうともせず、逃げる様に距離を置くようになった。初めのうちはエレンもクロに執着しようとしなかったが、そのうちエレンの方がクロを見つければ追いかけ回すようになった。甲斐甲斐しくクロがエレンの側を離れなかった頃とは状況が逆だ。クロはエレンを見つけるとエレンが呼び止めるのも聞かず命令を無視し素早くエレンの前から立ち去る。どう走っても捕まえようとあがいても恐ろしいほど運動達者なクロに追いつくことが出来ずいつもエレンはとり残された。

「無視すんなよ、お前、撫でられるの好きだったじゃねぇか。どうしたんだよ、俺が何したんだよ。何が気に入らねぇんだよ!」

急に変わったクロの態度にエレンは混乱し、人目をはばからず大声でクロを呼ぶようになった。幸いエレンのいる旧調査兵団本部の古城内を出入りするのは事情を知っているエレンと同じ班のメンバーとハンジだけだったのでおかしな噂が流れる事は無かったが、エレンの変わり様に皆驚いていた。普段のエレンならクロに対してこうも執着しないはずである。各自遠巻きで見守る中ハンジだけは悟ったような無表情でクロとエレンのやり取りを眺めていた。日増しに必死になる追いかけっこに、エレンは

「クロ行くな。どこにも行くな!これからはエサも風呂も用意してやるから、首輪もつけてやるから。なぁ、ちゃんと、可愛がって飼ってやるから、戻ってきてくれよ!クロ!」

と、初めて飼い主らしい発言をしたがそれでもクロがエレンの元へ戻ってくることは無かった。

数日その追いかけっこは続き、そして今日、激しい雨が降る晩だった。



(あんなに可愛がってやったのに。急に俺の事無視しやがって…今ほもう新しい主人に尾っぽ振って、ご機嫌取りに忙しいのか。こっちの気持ちも知らねぇで。やっぱり猫は猫だ。どんなに可愛がったっていつかは俺から離れてく)
地下室の自室でベソをかくエレンはベッドの上で毛布を握りしめた。就寝時間はとうに過ぎ部屋のランプの灯りも今は消されている。部屋の天井付近に設置されている明り取りの窓にザァザァと激しく雨がぶつかる音が鳴り響く。
(あんな猫、飼うんじゃなかった。部屋に上げるんじゃなかった。こうなるならいっそ出会うんじゃなかった。)
夕食後オルオがここの鍵を閉めに来てから数時間たったがその間エレンは一睡も出来なかった。前ならとっくにクロがここに来てもいい時間だ。だがあの日からクロは夜になってもここに現れることはなかった。いつもクロの体温を感じながら眠りについていたのに今エレンを包むのは冷えた毛布1枚だけだ。クロの事を考えると悔しくて、腹立たしくてとても眠る気が起きない。考えなければいいのだろうが今頭に血が昇ってしまってるエレンは考えを止めるほど冷静ではない。
しかしクロが猫である事を承知の上でエレンはクロを可愛がっていた。それを忘れた訳ではない。自身で理解しているからこそ、余計に腹が立つ。クロが猫だと知っていながらそれでもクロは裏切らないだろうという夢を盲信していた愚かな自分にも嫌悪感を抱いた。愛猫にあっさり手のひらを返され情けなくて足でシーツを掻く。
(くそ、くそ。バカみたいだクロを信用して。結局みんな同じだ、信じても、可愛がっても。みんないつかは俺の前から消えていく。信じるんじゃなかった、猫も、人も…こんなことになるなら、この記憶も、いっそ、もう一度忘れて)

…ゴロゴロゴロ…

「っ。う、ぅ」
遠くの方で鳴る雷の音にエレンは体を強張らせた。エレンはあまり雷が好きではない。というより雨自体が苦手だった。昔、雨降る中誰かを待ち続けていた事があった気がするのだが詳しくは覚えていない。だけどそれが酷く悲しく辛かった事だけは強烈に覚えている。今になっても雨が降るとその感情だけが呼び起されるためエレンは雨降る晩が嫌いだった。クロが側で寄り添って一緒に寝てくれるまでは。

…ゴロゴロ…ザアアア。
「くっそ、最悪だ」

まだ沸々と怒りが込み上げてくるがいい加減未練がましくクロに
執着するのも腹立たしいので毛布を頭までかぶり深く目を閉じエレンは無理に寝ようと試みる。一人で寝るベッドはどうも広く感じてそれが余計に心細さを感じさせた。風が出てきたのだろう横降りの雨が窓を激しく打ち付ける。近づく雷の音が鳴る度エレンの体はビクリと大きく震える。

(くそ、こんな日に限って。何で雷なんか…雨なんか降るんだよ、くっそ)

コツ…コツ…コツ…

(…ん?)

雨音に紛れ微かに聞こえる足音にエレンは毛布から頭を出した。就寝時間はとうに過ぎているはずである、本来ならここには朝まで誰も来ることは無い。なら近づくこの足音は誰だろう。警戒していたエレンだったが、ふとその可能性に気付いた時その不安は一気に消し飛んだ。
「…クロ?クロなのか?」
コツ…コツ…コツ…
ガチャ。ギィィー…
暗闇の中、重苦しい木の扉が開いた音。エレンが明るい声で入ってきた姿の見えない相手に声をかける。この時間にここに来る相手と言ったらクロしかいない。そう思い込んで。
猫がどうやって鍵の掛かった扉を開けるのか、その矛盾さえ気づかないで。
先ほどまでクロに抱いていた怒りも忘れて暗闇の中そこにいるであろうクロに手を伸ばす。
「クロ、だよな…戻ってきてくれたのか?帰って来てくれたんだな…は、はは。おいでクロ、来いよ。一緒に、ここで寝ようぜ」

「クロ…?」
「…、つま…も」
「え?」

ゴロゴロ…




一際激しい轟音の後。暗闇から聞こえたのは猫の声ではなかった。

「いつまでも俺が。猫のままでいると思ったか、エレン」
「……ぁ。あ、」

ピシャッゴロゴロゴロ…!!
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