原作設定short

□You get what you pay for.
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「こんな所にいた、エレン」
「…ある、み」
「びしょ濡れじゃないか。行こう、風邪引いちゃうよ」
予備のシーツなどが常備置かれている暗いリネン室にエレンは一人膝を抱えて小さく座り込んでいる。着ている制服は雨に降られてびしょ濡れだ。僕が伸ばした手をエレンは叩いた。ミカサの言葉がよほど効いたのかすごく不機嫌だ。
「帰れ、今は…一人にしてくれ」
「何言ってるんだよ、もう消灯時間も過ぎちゃうよ…?ミカサも心配してる、早く帰ろう」
「頼むから、アルミン…少しだけでいいほっといてくれ!」
「…」
「…」
「…そんな訳にはいかないじゃないか」
ピクリとエレンの右肩が揺れた。僕のしつこい口調が勘に障ったんだろう、これ以上近づくなとその背中で僕に警告する。昨日右頬を殴られた痛みが思い出されて踏み止まりそうになるけど堪えて僕は手を伸ばした。
「エレン、機嫌直して。僕は怒ってないから、ねぇ」
「うるさい、アルミンっ俺にかまうな、もう…黙れ!黙ってくれ!」
「落ち着こうよエレン、ね?ミカサには僕が上手くごまかすから気にしなくていい。行こうエレン」
「〜〜〜…嫌だ、触るな…たのむ、」
ピリピリと空気が痛いほどに張っていく。そして僕は『その空気に気付かず』、『つい、うっかり』禁句を口にしてしまう。

「エレン…そんなんじゃ兵士になんかなれないよ」
「っ!」

バチン。ガターン!

左頬に振り返ったエレンの右ストレートが命中した。殴られた痛みと脳が揺さぶられた眩暈に僕はその場に倒れうずくまる、いつもの事だけどエレンのパンチは常に痛い。
「…ぐ、ぅ」
「あ、あ…また…」
は、は、と短い息を吐いてとうとうエレンが僕の前で泣き崩れた。両手で頭を掻き視線が落ち着かず体を震わせている。頬を押さえながら僕は何とか上半身だけ起こした。エレンの正面まで這って行けば、エレンはボタボタと涙を流していた。そして蚊の鳴くような声で
「ごめ…また俺、お前に…ごめ…ゴメン…オレ、」
「…」
苦しそうに顔を歪め項垂れ、しゃくり上げながら。震える唇でエレンはポソポソと言葉を紡ぎ始める、あまりに小さい声で外の雨音にかき消されそうだ。
「ホントはもうお前殴りたくないんだ、なのに、何で…何で俺こうなんだろうっいつもカッとなって…ほんとに、ごめ、っ…ごめ、ん、アルミン、うぅ…」
「…エレン…」
「最低なのはわかってる、お前が優しいから調子に乗ってるのもわかってるんだ!わかってる、なのに…オレ何でこうなんだ、ヒック、ゴメン…ほん、とに…は、グス…」
「大丈夫だから、エレン」
「大丈夫じゃないっ俺いつか、このままいくといつかお前を、お前を」
「殺すかも…って、思ってる?」
「っ…!」
「泣かないでエレン、大丈夫だよ」
両手を広げ、震えるエレンを正面からそっと抱きしめた。着ている寝間着がエレンの服に染み込む雨を吸って肌に張り付く。
「…ちょっと、エレンは疲れてるだけなんだ、きっとすぐに良くなる…心配しなくていいよ、僕は大丈夫だから」
「…」
何度も、何度も。帰り道がわからず泣いている子供に接するように、優しく言い聞かせる。
「こんなので泣いてたら、根性なしと思われてすぐに兵役解雇にされちゃうよ…?エレンが僕を殴って気が済むなら、僕はいくらでも、ずっと、ずっと付き合ってあげる。だからエレンは今まで通り訓練に励めばいい。兵士になりたいんだろう?それが君の夢なんだろう?なら僕は殴り続けられてもいい、ストレス発散に、君に貢献出来るなら僕はかまわないよ」
「…」
「だから、必ず兵士になってね。エレン」
肩を押し腕からエレンを解放し、エレンの頬に手を充て近くエレンの顔を覗き込む。可哀想なほどひきつった顔でエレンはただ目を見開いて僕を見ていた。その瞳に満ち足りたような満足げな笑顔の僕が映る。
「…お腹空いてるだろう?パンを残しといたから、僕の部屋で食べよう…?ね。立って、エレン」
そして手を引けばもうエレンは抵抗しなかった。力なく絶望したように、引っ張られるまま、されるままに歩き出す。


下積みを終えた訓練生が兵団に所属するため受ける入団試験、僕ら104期兵がそれを受ける年、エレンの姿はここには無かった。暴力事件を何度か起こし精神虚弱の節が見られたため入団を拒否されたのだ。能力面での落第や肉体面からの不可が理由なら兵団も生産業の職種を紹介してくれるもののエレンにはそれもなかった。エレンは夢も希望も仕事も居場所も失くした。案の定の結果だった。



「そんなに兵士がいいものなんかな」
「どうしたのジャン、急に悩んだ顔して」
街で再会した同期のジャンと僕は少しの間立ち話をしていた。ジャンは憲兵団に入隊していて調査兵団に入隊した僕と会うのは実に2年ぶりだ。
「エレンって奴いただろ、お前と仲が良かった…あいつ兵士になってたら今頃どうなってたんだろうな。たまに思い出すんだ、よくケンカしてたけど人一倍、意志の強い奴だったなって」
「…ああ、そうだったね。よく覚えているよ…訓練兵解雇通知を受けた時の取り乱しようは、見ていられなかった」
「ああ…そうだ。そうだった…憲兵団入って内地でのうのうと暮らすようになって思い出す。俺みたいに人類守ってんのか自分を守ってんのかわかんねぇ人間が兵士やって人類に貢献出来んなら早死にしてもいいって奴が兵士になれなかった、ってのをさ…そんなに、兵士ってすごい職種なのか…俺にはよくわからん」
「…切望するものは誰しも同じ物ではないよ。エレンにとって価値のある物がジャンにとって同じくらい価値のある物とは限らない。でも、本人にとってそれは渇望する物で、その分失った時の絶望は大きい物だろうね」
「…アルミンも、そうだったのか?」
「誰しもそうだと思うよ。欲しい物の為なら多少の労力はいとわない。望むモノが大きければ大きいほど、その労力も大きくなる。時には何かを失わなければならないほどのモノでも、どんなに辛いリスクを負う事になってもそれでも欲するモノがあるなら手を伸ばしてしまう。それが普通だと思うよ。エレンも…もちろん僕も。その為にエレンは、自分を削りすぎたんだ」
「…入団するためにか…でも、二人とも同じ物を渇望してたのに一人は叶わなかったって訳か。世の中無情だよなぁ」
「え」
「ん、何?」
「ジャン、もしかして僕の欲しかったモノが調査兵団に入団する事だったって思ったの?」
「え?違うのか?」
「…ははは、なんだ…そういう意味で聞いたのか。ゴメン、僕の欲しかったモノはそれじゃない。もっと大きなモノだったよ、それこそハイリスクを負うほどに」
「なんだよそれ。入団以外にお前が欲しがる物なんて何も思いつかねーぞ、もうそれこそ、人類の平和ぐらいしか」
「確かに入団の夢もあって叶えたけど、欲しい物には順位がある。…ちなみに、一番欲しかったモノは手に入ったからもうリスクを背負う事はなくなったよ」
「へーならきっと、すげー物手にしたんだな。教えろよ、巨万の富か?あとは、内地へのコネか…まさか嫁とか!?」
「ふふふ、秘密」
「何だよクソ!幸せそうに笑いやがって。将来離婚しろ!その女に捨てられろっ羨ましい…」

日が沈み懐かしい旧友と別れ、僕は家路に向かう。街からは遠いけど静かで比較的治安のいい住宅密集地、そこに僕らの暮らす貸家がある。僕ら、と言ったのは同居人がいるからだ。食品加工場で働くミカサはまだ帰っていないらしい。一緒に暮らしてはいるがジャンの想像していた『嫁』という立場ではなく変わらず『親友』として一緒に暮らしている。互いにもう一人の同居人の世話をするために。僕は家の玄関の扉を開け中に入る。買った食料を台所に置いて着替えを済ませラフな格好になり、一番奥の閉じられた部屋にいるその同居人の名を呼ぶ。部屋に入れば彼は、朝出かける前に声をかけた時と同じ、死んだように床を見つめベッドに腰掛けた姿勢のままだった。

「ただいま、エレン」

この人物こそ、僕が一番欲していたモノであり渇望していた人物だ。



始まりは10歳の秋だったと思う。自分がエレンに抱く感情が一般的な『友情』ではない事に気付いた時、同時に僕は絶望した。僕がどう手を伸ばしたところで性格的にも体格的にも、エレンは僕を受け入れはしないと理解していたからだ。
色恋沙汰には滅法鈍いくせに調査兵団に入るための努力はいとわない、僕なんか眼中にも入れなかった。僕を置いて、我が道をひたすら進むエレンが、僕の手の届かない場所へ行ってしまうその背中がたまらなく憎い。けども、このまま渇望の飢えを胸に抱いたまま友達として側にい続ける事は嫌だった。なら、僕の手の届く範囲へ引き寄せればいい。撃ち落としてしまえばいい。幸いエレンは僕の事を『いい親友』だと盲信している。それを利用して何とかエレンを壊すことは出来ないかと考え、考え、やっと思いついたのは『僕を殴らせる』ことだった。エレンは短気で衝動的に行動する癖に無駄に正義感に熱い。僕のような親友を、貧弱な人間を傷付ける事はさぞ忌むべきことだろう。
そしてエレンには心の隙がある。トラウマと言うべき弱点がある。そこを抉ればエレンの拳を動かすことが出来るかもしれない。体格的にはどうやったって敵わないのなら精神面から崩していくしかない。そのために僕が差し出せるものは自分の身しかないのは情けない事だけど背に腹は変えられないから、僕は手を伸ばした。そしてエレンが僕を殴ったのは、その年の冬、雪降る路地裏。なかなか大きな賭けだったけどエレンは僕の仕掛けた罠にはまってくれた。殴られた痛みは大きかったがエレンの死角に踏込めた一歩も大きい。それからエレンの扱いも心得て、僕は少しづつエレンを追い詰めていった。そして5年かかって、僕は。やっとエレンを手にいれた。
「エレン、今日の夜は何食べたい?エレンの好きなのを作ってあげるよ」
「…」
自我を失くしたエレンの隣に腰かけ肩に手をかける。朝から着替えもせずずっとここに座り込んでいたんだろう服は寝間着のままだ。2年前の解雇通知を受けて以来、一人で生活出来ないほどエレンは落ち込んでしまった。以来、僕とミカサでエレンの面倒を見ている。
「また寝間着のままじゃないか…少しは動かなきゃ。そのうち本当に足も動かなくなってしまうよエレン。ほら、こっち向いて、早く着替えよう」
「…っ。」
「何?その手…また僕を殴るの?」
服に手をかけた時エレンが小さく体をよじらせたのを僕は見逃さなかった。払おうと僕に伸ばされた右手を掴みよくよく釘を刺す。用心に越したことはない、這いずり上がる事も出来ないようにしっかり手折っておかないと。エレンの金の瞳を覗き込んで言い聞かす。
「エレン。そんなんじゃ兵士になんかなれないよ…ちゃんと僕の言う事聞かなきゃおばさんを食い殺した巨人たちを殺す事なんて出来ないよ?」
「…」
「わかるだろ、エレン」
僕がエレンを突き動かすのに選んだキーワードがそれだ。「エレンは兵士になれない」。目の前でおばさんを食い殺されたエレンにとって兵士になって仇をとる事が何よりの切望だったし希望だったものだ。それを否定されるとエレンはすぐに激情して衝動的に行動を起こす。それを利用してわざと怒らせ僕はエレンに僕自身を殴らせた。
エレンに悪気があってそうしたのではない、殴る力もエレンなりに無意識には加減はしていただろう、でも僕が焚き付けたのもかまわずエレンは自分を責め続けた。『何故殴ったか』ではなく『誰を殴ってしまったか』に囚われて自己嫌悪に陥る。僕が何も言わずただ許してしまうものだから自分でも原因が理解出来ずますます自己不信に陥りそのサイクルを繰り返し結果、何処かでタガが外れ爆発する。その矛先が僕以外に向けられた時、無意識に抑制されていた加減も出来なくなる。そして他人が見ればそれは『ただの暴力事件』として処理される。だれもエレンを理解しないまま、出来ないままエレンは一人孤立する。自分が壊れた事にも気づかず夢を断たれ生きる死体に成り下がりただ嘆くのだ。「どうして自分はこうもダメな人間なんだろう」と。
自分で仕組んだことながら若干の心苦しさはあるけど、こうも上手くいくとは思わなかった。まったくエレンが心底優しい、いい人間であって良かった。でなければこの計略は上手くいかなかったろうから。少しでもエレンが僕を疑えば失敗に終わる賭け。でもエレンは乗ってくれた。僕の望み通りエレンは壊れてくれた。これで一生立ち上がる事もない。

嬉しさが込み上げてそっとエレンの体を抱きしめる。

「大丈夫だよエレン。きっと良くなる。何も心配しなくていい…僕が側にいてあげるから」
「…」
痩せてしまった背中は今はもう随分小さい。体温の低いエレンの体、その肩に顔を埋め僕はそっと目を閉じた。





閉ざされた魂も致命傷の傷跡も君の全てが愛しいんだ。
死んでしまった君を抱きしめた時、心底、僕は安堵した。


You get what you pay for.
(右頬を打つならどうぞ左頬も 遠慮も配慮もなくていい)
(むしろ殺すつもりで僕をぶってよ)
(君が手に入るのなら高くない!)



「さぁ、立って。まずは着替えよう、それから夕飯にしようねエレン」
優しく言い聞かせるように言ってエレンの腕を引っ張った。エレンは力なく立ち上がって、もう抵抗しなかった。


.fin
*あとがき→
2014/06/29
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