パラレル short

□Tha devil is not so black as he is painted.
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学校帰りの学生やこれから夜の街へ繰り出す若者たちで混み始めた店内で、それから二人はしばらく黙りこんだ。社会人と私服の未成年、一見補導員に指導されているどこかの学生にも見えるが訳ありのゲイカップルの痴話げんかに見られても不思議ではない、エレンは小さくしゃくり上げまだ涙を流しているのだから。どちらにせよ二人は店内でとても目立っていて、あたりはがやがやと煩いお喋りの声で溢れているが客の何人かはチラチラとこちらを興味深々に見ていた。顔を隠しているエレンはいいが、社会人のリヴァイに迷惑がかかりそうでエレンは申し訳なさそうに俯く。
「俺と一緒に来るかエレン」
気まずい沈黙を終わらせたのはやはりリヴァイからだった。
「…?」
「そんなに家に帰りたくねぇなら俺と一緒に来ればいい」
「…リヴァイさんの、家ですか…?しばらく泊めてくれるんですか?」
「家じゃねぇ、国だ。俺の国へ連れてってやる。ちょうど俺も今日で出張は終わりでな。明日の朝早くにここを出国することになった。お前さえ良ければ、俺がお前の面倒を見てやる。もう嫌な学校にも行く必要もない」
「…」
あまりに唐突なその内容にエレンはしばし言葉を失う。素敵な冗談を言ったにしては彼はいたって真顔で、おちゃらけるどころか自分の返事を待っているように見える。というより、この4日間のうち彼が一つでも冗談を言った試しはない。…本気、ということなのか。
俺が、外国?え、マジ?
数回瞬きを繰り返しエレンは乾いた笑みをこぼした。
「…う、嘘でも嬉しいです、はは、リヴァイさんの冗談初めて聞いた」
「冗談?」
「だってそうでしょう?…俺が外国に、行けるわけないじゃないですか」
「何故そう思うんだ」
「何故って…俺パスポート持ってないし」
「それは気にしなくてもいい。何とでもごまかせる」
「…でもそれ密入国じゃ」
「罪には問われんように俺が計らう。お前は心配しなくていい、身一つあれば十分だ」
「え。ほん、本気なんですか?俺が外国って、…本気で言ってるんですか?無理に決まってますよ!そんなに簡単に俺行けません」
「ならエレンよ、ここに俺を呼び出して助けを求めたのは本気じゃなかったということか?」
「え」
「お前は自分が殴られた理由を『俺が悪いんだ』と言ったな。ハンネスに逆らったから自分は殴られてしまったんだと。だがお前の本心はそう思っていない、だから俺に助けを求めたんだろう?それに対して俺は俺が出来る事をお前に言ったまでだ。それともここに俺を呼び出したのは単なる愚痴を聞いてもらいたかったが為か?口ではハンネスが正しいと言っても、ホントはお前自身が納得出来てねぇ。違うか?」
「…」
「俺にはどうも、そのハンネスという男の言ってる事が正しいとは思えん」
思わずエレンはリヴァイの顔を見上げた。エレンに口からでしかハンネスを知らないリヴァイが簡単に彼を否定した事がエレンの勘に障ったからだ。
「ちゃちないじめにずっと耐えてたお前がそう簡単に人を殴るにはよほどの事があったんだろう、そうとも考えねぇで将来いい職に就かすが為に無理やりにでもその学校に行かせようって考えがまず理解出来ん。何の信念があるのか知らねぇが、説き伏せることが出来なくなると今度は手を上げるってのも正常な人間のする事とは思えん。ハンネスの理想を押し付けてくるばかりで話し合いも出来ねぇんじゃこれから先お前も苦労するだろう」
「…勝手な事言わないでください。ハンネスさんは、両親がいなくなった俺を無償で引き取って育ててくれた、今の俺の父親みたいな人なんです!お互い口が悪いからすぐケンカ腰になるけど、普段は張り手一つ俺に上げたことない優しい人です。…ちょっと俺と知り合って色々聞いたからって、勝手にハンネスさんのこと知った風に言わないで下さい!」
「そうか、それは悪かったな。だがこう言っちゃなんだが、お前のハンネスへの評価は無償で育ててもらったという恩義が前提にあるように思える。友人のガキ一人、実の息子でもねぇのによく育ててきたとは思うが、でもな、端から見ればお前ら二人のやり取りを聞いてどっちが悪いかぐらいは判断がつくもんだ。意見を口にしただけでお前は理不尽にハンネスに殴られた。それは誰がみても揺るぎねぇ事実だ。そしてお前もそのハンネスの言動に納得出来てねぇから今ここにいる」
「…」
「俺が言いてぇのはなエレン、何もハンネスへの悪口じゃねぇ。お前がその男と、これから先も一緒に生活していけるのかを言ってるんだ。お前の話を聞く限りお前は普段からハンネスを慕っているように思えるが、おそらく意見の衝突はこれが初めてじゃねぇな。今までも何度かハンネスの理不尽な押し付けに言い争いはあったはずだ、だがその度お前が折れて、結局今までずっとハンネスの要望を受け入れてきた、違うか?」
「…そ、れは、でも」
「人の家庭環境に口出すつもりはねぇ。だが、お前がどうしたいのかを叶えることが悪い事なのか?ハンネスの言う事が本当に全部正しいのか、それに納得できないお前は本当に間違ってると言えるのか?…お前は世界を知らなさすぎる。ハンネスに引き取られた事でハンネスがお前の世界の中心になっちまってハンネスの言う事がさも全てだと思っている。俺は仕事上、色々な国へ行っているが世界はお前が思っているよりずっと広いぞエレン。そこにはお前が知らない様々な文化や常識や作法がある。そしてそれは国一つ、民族一つ違うだけでがらりと変わる。お前が自分の世界だと信じて疑わねぇハンネスだってな、それと何ら変わらねぇんだ。今お前が常識だと、正しいと思っている事は一歩外に出てみれば当たり前でも何でもねぇ。お前はハンネスの機嫌を損ねたくない一心で言いなりになっていたにすぎん」
「…」
リヴァイの鋭い言葉に思い当たる節が多くてエレンは何も言い返せず俯くばかりだった。リヴァイの言葉を否定しようとしてもリヴァイの言葉が事実そのもので覆すことは出来ない。ガタン、と音をたてリヴァイが上着を手にし立ち上がる。
「決心がついたなら今日の午後10時までに電話しろ。お前さえよければ、外の世界に連れてってやる。もう嫌な学校に通う必要もハンネスの機嫌をとる必要もない」
何も言えないまま座り込むエレンを見下ろす。店の天井に付けられた蛍光灯の逆光の中、リヴァイが責めるでも慰めるでもない最後の押しの言葉をエレンに突きつけた。
「俺がお前を守ってやる、エレン」




「…どうしよう…」
時刻は午後9:30になったばかりだった。あの後すぐにリヴァイと別れたエレンだったが結局帰るとこなく、ハンネスの家の自分の部屋に帰ってしまっていた。いくら自分が愚痴を言ったところで仕事もしていない未成年の自分の帰る場所はここしかないのだ。
「…俺が、外国…行きたくない訳じゃないけど、でも…」
いくら何でもいきなりすぎる。それにどうも危ないニオイがして喜んで飛びつける話じゃなかった。むしろ今は若干の恐怖さえ覚えている、リヴァイが冗談で言ったことではないのなら密入国の罪うんぬんも本気でどうにかするつもりなのか。リヴァイは一体何者なのだろう、不気味すぎる。そんな相手に簡単に助けを求めていい事じゃない。でも。


『ハンネスの言う事が本当に全部正しいのか、それに納得できないお前は本当に間違ってると言えるのか?』

『お前は世界を知らなさすぎる。ハンネスに引き取られた事でハンネスがお前の世界の中心になっちまってハンネスの言う事がさも全てだと思っている』

『お前はハンネスの機嫌を損ねたくない一心で言いなりになっていたにすぎん』


「…」
このままここにいても。結局何も変わることはない。おそらく自分は明日になれば嫌々にでも学校に行くのだろう、ハンネスの機嫌を損ねない為に。そしてまたいつものくだらない日々が始まるのだ。ハンネスの顔色をうかがい過ごすうんざりするような毎日。これが一体いつまで続くのか。
リヴァイを信用するわけではないが、リヴァイの言葉は確かに魅力的だ。ハンネスのしがらみも嫌な学校にも関わりなく生きていけたらきっと素敵だろう。

がちゃん。ただいま。

「っ…」
玄関を開ける音とハンネスの声が聞こえエレンの体は硬直した。声色はもう怒ってはいなさそうだが不機嫌なのは明らかだ。息を顰めるように両膝を抱えエレンは小さくなる。今はあまりハンネスと会話をしたくない気分だった。
「エレン。帰ってるのか。部屋にいるならちょっと来い」
さっそく呼びつけられてしまった。エレンは顔を歪め抱えた膝をぎゅっと握っていないフリを決め込もうとするが、どうしてもハンネスの言葉には逆らえない。小さく息を吐き渋々腰を上げエレンはリビングにいるハンネスのもとへ向かう。

「…お帰り」
「帰ってるなら返事しろ。…そこに座れ」
チラリとハンネスがエレンを見たが眉をひそめすぐに目を逸らした。エレンの頬にのこる自分が殴った痕を見てしまったからだろう。
言われた通りエレンはリビングのソファーに座る。今朝言い合って殴られたばかりの二人なのだ、会話はすぐには始まらない。
「…」
「…」
今度は一体、何を言われるのだろう。学校に行けの一点張りに口答えすればまた殴られるだろうか。それならもう黙ってハンネスの言う事を聞いて大人しく学校に行った方がいい、学校に行くのは苦痛だがこのままハンネスとギスギスした関係になるのだけは避けたい。ハンネスと良好な関係を維持出来るなら多少の犠牲はいといたくない。
「…ハンネスさん、俺明日から学校行くよ」
「…」
「俺が悪かったよ。これからはちゃんとハンネスさんの言う事聞く。…だからもう、怒らな
「これに名前を書け」
パサ。
軽い音をたてて放り渡されたのは一枚の紙だった。エレンが頭にハテナを浮かべながら紙を手に持ち少し距離をとって隣に腰を下ろしたハンネスと向き合う。ハンネスは気まずそうに黙って床を見るばかりでこちらを見ようとしない。
よく理解しないままエレンは渡された紙に書いてある内容を口にする。途端にエレンの瞳が大きく開かれた。
「…退学、願い…?え、これって」
「お前があの学校を気に入ってないのは気付いてはいた。周りの子と馴染めず、よくちょっかいも出されていたのも知っている。だがお前はいじめられるほどのたまじゃねぇだろう?あと1年ちょっとの辛抱で学校も卒業出来るんならいい就職先を探すために多少の事は耐えるべきだと俺は思った。それは今も変わらん…お前の退学を認める今になっても」
「…」
いつものおちゃらけた様子と違いハンネスは静かに言い聞かせるようにエレンに話しかけた。渡された紙を持ったままエレンも黙ってハンネスの横顔を見つめる。
「俺が、お前が嫌と感じるほどこんなに学歴にこだわるのはな、エレン。お前の両親が3年前に事故で死んだだろう。医者であるお前の父親とその手伝いに行ったお前の母親が、内戦で治安も悪く医療機器も揃わない国で、溢れる患者を助けるために外国に行ったな。そしてその地で事故に遭い、二人とも死んだ…まだ若かったのに。だが、二人が死んだその国からは遺されたお前に何の保証も言葉もかけてももらえなかった。それどころかお前の両親は勝手に危険な地に足を運び自分たちの不注意で命を落としたことになってる。…確かにそれももっともな言い分だ、二人はその国がどんな国かわかって行ったんだからな…だが、俺は納得いかねぇ。感謝の言葉を求めてはないが、あんなに助けを求めていた現地の奴らが二人が死んだ途端手のひら反すみてぇに遺体だけ寄越して煩わしそうに事故の捜査も簡単に終わらせやがった。俺はすぐに抗議したが誰も取り合ってもくれねぇ。外国のたかが地方警察の俺じゃいくら盾突いたってどうにもならなかった。俺に力も金もなかったからだ…。この世は縦社会なんだエレン。おかしいと思う事、理不尽だと思う事、それも立場と状況一つでひっくり返されちまう。二人の遺体とお前を引き取ったとき俺は痛感した、そして思った。お前にだけはこんな悔しい思いをさせてたまるかとな。これから先お前が立場や状況なんかに振り回されねぇように、地位のある職業に就かせてお前の感じる善悪が世間に通用するよう、お前にいい学校を卒業させてやりたかった。強引だとはわかっていてもな、武器と選択肢をより多く持つことは将来絶対損にはならねぇ。それを使う使わないは、お前次第だがな…エレン」
「…」
「だがなエレン、俺は鬼じゃねぇ。いつもは素直に俺の言う事を聞くお前が今日に限ってあんな駄々をこねるのはよっぽどのことだ。お前も、そうとう我慢していたんだろう…。考えりゃあお前ももう15だ。大人に近づいて今まで見えなかった事も目に出来る様にもなった、自分のやりたい事、進みたい道が見つかったなら、例えそれがどんな道だろうと黙って背中を押してやるのが”親の務め”なのかもしれん…。不自由なく暮らせる未来を押し付けたとしてもそこにお前が幸せを見つけなければ意味がない事だからな。エレン、お前がどんな理由であれ学校を辞めたいというのは、俺は反対だ。だが、お前がそれを言う権利を俺は死んでも守る。それがお前の両親に出来る、無力な俺の償いであり、お前の親としての意地だ。それだけは心に留めておけ」
「…」
「あそこの学校出ればエリートの道は保障される。人から羨ましがられる地位につけ立場も状況も左右されることなく思った事も好きに言える数少ない職につけるチャンスを今お前は握っているんだ。それを手放すことが重大か些細な事かはお前が決めろ。だが決められねぇうちは、黙って俺の言う事に従え」
そう言いきって、ハンネスは目を閉じゆっくりと深い息を吐いた。呆れたようなそんな態度ではなくおそらく彼もとても緊張していたのだろう、張りつめた糸をほぐすように気まずそうな顔をしてエレンとは視線を合わそうとしなかった。
黙って聞いていたエレンはもう一度手にした紙と向き合い、そのまましばらく二人は言葉を交わさずにいた。壁に掛けられた時計の秒針の音がいやに大きく聞こえ、数分が数時間にも感じられるほどの緊張の中
「ハンネス、さん」
次に言葉を発したのはエレンだった。
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