05/07の日記

23:47
自分の中
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今、自分の中に尊重したい相手が居る。
想いやって、大切にしたい人が居る。

だけど、如何したら大切にして居る事になるのだろう…?
私の遣り方が合って居るのか、分からない。

大切にしたいのに、大事にすべき相手なのに、自分の中にある感情を如何、表現すべきなのかが分からない。
全てを話すにはまだ関係は浅い。

然し、初対面の時に感じてしまった既視感と親しみ易さは本物で…
未だに一緒に居て、不快感や焦燥感を感じる事は無い。

それでも、気にはなる。
相手を不快にさせては居ないか?
退屈させては居ないか?

自分から話題を上手く振れる訳でも無いから、不安は付きまとって居る。
いつか「ツマラナイ」と切られてしまうのでは無いかと…

人の役に立てなければ、生きている意味が無いと、今では思い込む事こそ無いけれど…
虚無感に苛まれる事はある。

と言うか、手を繋ぐ行為と、互いに使っていたスプーンを用いて一口ずつ食べさせ合う行為は、何方がレベル的には上なのだろう…?
何と無くやった後で、手繋ぐ方が簡単だった気がしたり…

するけど…
今更、どの面下げて改めて手繋ぎたいとか言えますかっての…
恥ずかしい…

きっと彼は私が望んで、それが実現可能な事なら極力は拒まないと思う。
それをとても申し訳なく思ってしまう。

彼の優しさを全力で受ける事が憚られて、隙があればその好意を辞退しようとしてしまう。

未だに人を頼るのは慣れない。
頼られる事にばかり気を遣って来た所為なのかは分からないけれど…

彼の側が一番居心地が良いと言ったら、嬉しいと言ってもらえるだろうか?
いつか、この不安感も話せる時が来るかな…?

大事な物を作る事が怖くて堪らない私の内情を、上手く語れる気はしないけれど…
人の過去は、その人自身の意思で語られる迄は詮索しない。

それが私の中のルール。
自分がされて嫌な事は、人もされて嫌な事だと思うから…

唯一無二と思ってしまえば、その存在を喪った時に齎される喪失感は計り知れない物となる…
あの感覚をまた味わうのは、嫌。

気が合って、何気にやさぐれて居た気持ちを撫で付けて居てくれた母方の祖母。
お人好し過ぎるきらいがあって、損ばかりして居る印象しか無い位だったけど…

懸命に人様の為に動けば、人徳や人望はいつか自分に返って来ると言う事を教えてもらった。
見返りを求めなければ、人様の為に動く事は苦では無いと思える様になったのも祖母のお陰だった。

彼の側に居る事が叶わないなら、せめて言葉と想いだけでも届けば良いと思って居るから、返信が遅くても構わないのだけれど…
早めに返って来ないと、少し寂しいから何回も確認してしまう。

願わくば、彼の未来が曇りなき物となります様に。
そして、彼の努力が今年こそ実を結び、成就します様に。



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