05/25の日記

18:22
安らぎとは…
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今迄の私にとっての安らぎとは、独りで過ごす時間の事を指した。
孤独であれば誰の邪魔にもならないで済んで居るから、気兼ねしなくて良いと思って居た。
其れが淋しい事だとは思って居なかったし、他人が自分の側に居る事自体を厭う時が多かったから、あの時は其れで充分だった。
独りで居る事に慣れてしまってからは、集団の中に居るだけで息が詰まる様な感覚を味わって居た。
この感覚が只自分にとっては不快で仕方なく、他人と群れて居ない時は感じない事から好んで独りで居る事が多かった。
友達も必要な物だとは思っていなかった。
其れは、此方の安寧を破綻させる存在だと迄思って居たからだ…
誰かに理解してもらおうとも思って居なかったのだと、今なら分かる。
あの時の自分は、他人とは分かり合えないのだと意固地に為って居た。
大人は嘘吐きで、問題の解決に尽力してはくれないのだと…
同年代の子達も虐めのとばっちりを怖れて助けてなどくれないのだと…
だったら、一人で耐えた方がマシだと思ってしまったのだ。
腹心とも言える者を求める事を辞め、私は孤高である事を選んだ。
子供らしさを排除して、感情をも排した。
後に残ったのは…
子供らしく無い周りの状況に反応を返すだけの人形の様な自分だけだった。
一度壊れてしまったと思って居た感情は、歪な形の侭私の中で育っては居た様で…
たまに全てを壊してしまいたくなる衝動を私に齎しながら、今も歪んだ侭…
しかし、あの人との出会いが、私の中で何かを変えた。

賢との出会いが、私の中で安らぎの定義を変化させたのだ…
賢とメールをして居る間や、貰った言葉を反芻して居る時間が、こんなにも心穏やかな物である等とは思いもしなかった…
賢のくれる言葉は、沈んで居た私の心を掬い上げてくれた…
賢のくれる想いは、頑なに受け入れる事を拒否して居た心を只優しく包み込んでくれた…
そして、そんな私の事を丸ごと受け止めると言ってくれた…
だが、一番彼からのメールで驚いたのは、引退するレースを無事に終えたと連絡を貰った時だった。
素直にその無事だった事に対して涙を流せた事に只々驚きと安堵が入り混じった気持ちでいっぱいだった…
優勝する為に命を賭けると迄言い切って臨んだレースから、無事に帰還したと連絡を貰えた時、余りの嬉しさで思考が止まり涙が溢れて止まらなかった。
私に想いを託してくれた人が、無事で在ると言うだけでこんなにも嬉しく思えるなんてと思った。
あんなに自然と流せた涙は無い。
誰かの為を思えば、悲しみの方で涙を流す事しか無かった。
そんな私が、彼に対してだけは何処か違う感情を抱けるのだ…
其れ迄遣り取りをして居た人達に感じて居た物とは違う…
彼と遣り取りを始める前迄は、友達希望で遣り取りを始めた人は自分の中では其れ以上にも以下にもならないと、言い切れた。
だからこそ、相手から向けられる好意を只理解不能な感情の様に感じて居た。
賢も初めは友達希望から始まった筈なのに、いつの間にか変化して居た気持ちは不思議と理解不能な物では無く…
何時の間にか、自分の中で根を張る様に賢自身の優しさや想いやりと言う感情が染み込んで居た様に今では思う。
最初はお互いに只の友人としての遣り取りだった。
賢の仕事の事、友達の事、お爺さんと暮らして居るのだと言う事に其の理由、色んな話をしてくれた。
私も最初は聞かれた事に応えるだけだったのが、逆に質問してみたりする様に変わっていった。
賢の事なら、些細な事であれ識れる事が嬉しかった。
そして、何より賢から自分の思って居た事と同じ言葉を貰った時には、こんなにも同じ事を思う人が居て良いのかと思ってしまった。
其れがどんなに幸せで満たされて居る気持ちを齎す物で在るか…
此ればかりは経験しないと分からない物だろうと思う。
言葉で語ろうにも、到底語り尽くせない程の幸福感を、其れは与えてくれる物なのだ。

今の私にとっての安らぎとは…
賢の事を考えて居る時間や、其れに付随する事柄に起因する物と為った。
厭うべきは、其れを邪魔だてする物事であり、今は会えない時間を切なく思いながらも耐えるしか出来ない…

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