式神方程式

□ドロシー1
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 「起きなさい。起きなさいってば」
 頬に何度も鋭い衝撃が走る。さらに、それに呼応するかのように誰かの声が耳に刺さった。
 僕はいつの間にか眠っていたようだ。しかし、どうして眠っていたのだろう。それに、声の主はいったい誰なのだろうか。
 色んなことについて戸惑っていると、また何かが頬に触れた。しかし、今度は痛い思いをすることがなく、むしろくすぐったさを感じた。まるで細い糸が僕の顔にまとわりついているかのように。
 僕はうっすらと目を開ける。すると、金髪を垂らしている少女の顔が目に入った。しかも、僕との距離は拳一つほどしかなかった。
 「やっと起きたわね」
 少女もといドロシーは不機嫌そうな面を浮かべて僕を見つめた。
 「ちょっと、顔近いよ」
 僕はドロシーの顔が邪魔だと思ったので、遠まわしにそう告げた。しかし、ドロシーはそうは受け取らなかったようだ。
 「な……。わかってるわよ」
 ドロシーは頬を染めて座ったままとは思えない程素速く後ずさった。その途中で体をぶつけたのか、目尻に微かな涙を浮かべていた。
 「ところで、僕は何で寝てたの」
 「違うわ。気絶してたのよ」
 ドロシーは紅葉色の顔のままそう答えた。
 僕はますます混乱してしまった。そもそも、なぜ僕は眠っているのだろう。
 僕は落ち着こうと起き上がり、今までのことを頭の中で整理してみる。
 まず、ドロシーがなぜかここに来て、四点結界の中に囚われてしまった。次に、僕がそれを解除した。ここまでは理解している。確か、その後にドロシーが人間を食べる妖怪だと告白してきて……。
 僕はすべてを思い出してしまった。そのせいか、僕の背中から冷や汗が大量に吹き出した。その上、体が金縛りにかかったように動かなくなってしまった。さらに、叫び声を上げようとしてもなぜか出せなくなっていた。まるで誰かに口をふさいでいるかのように。
 「どうしたのよ」
 ドロシーは困惑した表情を浮かべて僕に尋ねた。しかし、今の僕にはその面が巧妙な演技だとしか思えなかった。
 普通なら女の子と二人きりの状況は男子として喜ぶべきなのだろう。しかし、僕はライオンの目に止まった、いや、すでにライオンに牙を突き付けられた子鹿の様な気分にしかならなかった。
 「どうしたのよ。そんなじろじろ見て」
 ドロシーは何か勘違いをしているらしい。顔を真っ赤にしている上に目を泳がせている。
 僕はその隙をついて瞬時に距離を取った。そして、床に置きっぱなしになっている練習用の札を取って術が使えるように構える。構えたところで何かできるとは思えないが、札を持つと妙に安心できた。
 「……」
 ドロシーはなぜかショックと困惑が入り混じったような顔をしていた。その姿はまるで普通の女の子のようだ。しかし、僕はそんな安っぽい演技にだまされる気はないので、さらに距離を取ろうと後ろに下がった。すると、僕はつい散乱している本のうちの一つを踏んでしまい、視界が天井へと移る。そのせいで、後ろの壁に後頭部を強く打ちつけてしまう。しかし、今はそんな痛みなどどうでもいい。それよりも早く逃げないと食われる。
 ドロシーは僕を捕らえようと立ち上がり、それが執行猶予だと言わんばかりに一歩、二歩とゆっくり近づいてくる。ドロシーが近づいてきたせいで、先ほどまであまり感じなかった恐怖と緊張が一気に押し寄せてきた。そのせいか、僕はまた動けなくなってしまう。
 先生、助けて。
 しかし、そんな僕の願いも叶うことなく、ついにドロシーは僕の目の前までやって来てしまった。
 「どうしたのよ。アタシ、なんかした」
 先生、早く助けて、と心の中で必死に連呼していると、ドロシーから意外な言葉が発せられた。そのおかげか、少しばかりリラックスする事が出来た。
 「したじゃないか。急に鎌を振り上げて……、あれ?」
 僕は切られた割にはどこにも痛みを感じていない。妙な脱力感はあるが、血は一滴も流れていない。いったい、なぜなのだろうか。
 僕は部屋の周囲を見渡してみる。しかし、どこにも荒らされた形跡がない。それどころか、今まで汚かった部屋が少し整理された気がする。本はそのまま散らばっているが。
 「アンタは切られてないわよ」
 ドロシーは至極ありえない事を言い放った。しかし、ドロシーの様子からして嘘を言っているようには思えない。いったいどういうことなのだろうか。
 「いや。確かに切られたと思うんだけど……」
 僕はそう自信を持って言いきることが出来なかった。現に、僕には切られた跡が全く見当たらない。この状況でそう言いきることが出来る人は、おそらく常識という常識が欠如している人だけだろう。
 それならば、なぜ僕は切られた自覚があるのに無傷でいられたのだろうか。そして、僕はどうして気を失ったのだろうか。
 「アタシが切ったのはアンタの魂力よ」
 ドロシーは意味不明な言葉を使ってそう告げた。そのせいで、僕の混乱は最高潮にまで達してしまった。
 「へ……」
 僕はつい情けない返事をしてしまった。しかし、それは仕方のないことだろう。ただでさえ混乱しているのに、ドロシーが妙な言葉まで使って混乱させるのだから。
 それにしても、魂力とはいったいどういうものなのだろうか。切られたら衰弱して死ぬとかは勘弁してもらいたい。しかし、それほどひどくなかったとしても何かの弊害はあるかもしれない。
 「大丈夫なの、僕」
 僕は尋ねずにはいられなかった。なんせ、僕の今後の人生がかかっている。この状況でそれを尋ねない人は、よほど肝が据わっている人かただのバカだけだろう。
「多分大丈夫よ。アタシは魂核を傷つけてないから」
 僕はドロシーが言っていることが全く理解出来なかった。それどころか、さらに謎が深まってしまった。
 魂核って何だ。魂力もそれと似たようなものなのか。
 僕が理解するのに苦しんでいるのを察したのか、彼女は話しを続けた。
 「説明するわ。だから、とりあえず座りなさい」
 僕はドロシーに従うしかなかった。自分の体に何が起こったのかは、おそらく僕が何十年調べても分かりえないことだろう。僕は首を縦に振り、言われた通りに布団の上に座る。そして、彼女の言葉を待った。
 「魂力というのはすべての物質に宿っている力のことなのよ」
 「それってどういう力なの」
 「まあ、アタシにもよく分からないわ。ただ、この力を使ってアタシは術を使ったりしているわ」
 僕は思わず頭を抱えた。そんなよく分からないものを切るなんて。何かあったらどうしてくれるんだ。
 僕は若干呆れつつも、もう一つの言葉について尋ねる。
 「じゃあ、魂核はどういうものなの」
 「魂核はすべての生物や妖怪に宿ってる、魂力を体に留まらせているものよ。これを傷つけられると魂力が体から流れ出てしまって死ぬらしいわ」
 「死ぬらしいってどういうこと」
 僕は冷や汗を垂らしながら尋ねた。ドロシーは先ほど魂力を切ったと言った。しかし、魂核まで切られている可能性もないことはない。
 「試したことがないんだからわかるはずないじゃない」
 ドロシーは不機嫌そうにため息をついた。そして、思い出したかのように口を開いた。
 「あ、でも、アタシは仲間の妖怪にそう教えられたわ。だから、人間の魂力を食べるときは絶対にそこを傷つけないようにしているのよ。これ、妖怪の常識よ」
 いくら常識だからって、そんな危ないことをしないでほしい。少しでも手元が狂ったら死んじゃうじゃないか。
 僕はそう心の中で毒づいた。しかし、ドロシーの様子からして僕は魂核を傷つけられたわけではないだろう。それに、おそらく魂力は傷つけられても問題ないだろう。
 他にも聞きたいことは山ほどあるが、僕はとりあえず一番興味のある事を聞いた。
 「妖怪って魂力を食べるの」
 「そうよ」
 なるほど。だからあのとき食べるなんて言ったのか。食べてる姿は想像したくないけれども。しかし、どうやったら魂力だけを切ることが出来るのだろう。
 「他に聞いてもいい」
 僕はドロシーにそう尋ねる。
 「なによ」
 「何でその鎌で魂力が切れるの。それに、何で僕は気絶してたの」
 正直僕はまだドロシーの話を完全に信じたわけではない。先ほどの話もすべて嘘だと言われても受け入れてしまうだろう。むしろ、そちらの方が信じられる。だからか、ついドロシーの話に矛盾を求めてしまう。
 「この鎌は『烏鎌』と言って、魂力以外の物をすり抜けられるのよ。だから、物質には干渉できないようにつくられているのよ」
 そう説明した後、ドロシーはからかうような口ぶりで肩を落とした。
 「アンタは単にビビって気絶しただけよ。『烏鎌』のせいじゃないわ」
 「どういう原理なの、それ」
 ドロシーの話は色々と科学的法則を無視しているような気がする。そんなものが本当にあればノーベル賞ものではないかと思ってしまう。妖怪自体が科学的なものではないのだけれども。
 「分かるはずないじゃない。アタシがつくったわけでもないし」
 僕は絶句した。どうやらドロシーはそんな意味不明なもので僕の魂力を切ったらしい。
 僕は頭がクラクラするのを感じながら尋ねた。
 「何でそんなものを使うの。きちんとしたものじゃないと危険だよ。危険じゃなくても嫌なものは嫌だけど」
 「いいじゃない。別に。ちょっと魂力を切り取って食べるだけなんだし」
 「全然よくない」
 もしそれで僕が死んでしまったらどうしてくれるんだ。もし死ぬことがなくても、後遺症が残ったらどうするんだ。
 僕はふとそんなやりきれない思いを抱いた。そもそも、そんな危険物を所持していること自体おかしい。むしろ、この日本でそんなことを思わなかったら日本人の感覚として終わっている。
 「まあまあ、他に聞きたいことはあるの。というか一番聞きたいことはまだ言ってないわよね」
 その言葉に僕は思わず苦笑いを浮かべてしまった。ドロシーの言葉は僕の本心を的確に見抜いていた。
 彼女の予測通り、本当はもう一つ聞きたいことがある。しかし、これについて尋ねるのは少し抵抗がある。仮に彼女が本当に妖怪であるとしても。式神になってくれ、とは。
 「何よ。何かあるなら言いなさいよ」
 僕の考えていることを察したのか、ドロシーは怪訝な顔をして問いかけた。しかし、僕は答えるわけにはいかなかった。これをドロシーに頼むのは、何か違うような気がした。
 僕はドロシーから目をそらして、
 「何でもないよ」
と答えた。しかし、どうやら僕は嘘やごまかしが出来ない性分らしい。自分の目線がいつの間にか『妖怪との契約法:初級編』に移ってしまっていた。
 「何、その本」
 ドロシーが『妖怪との契約法:初級編』に気付き、それを僕から強奪しようと前かがみになる。そして、彼女は『妖怪との契約法:初級編』に手を伸ばした。
 僕はそれを何としても阻止するためにドロシーの右手首を掴む。
 「何すんのよ。放しなさい」
 ドロシーは僕の手を振りほどこうと思いっきり腕を振る。僕は絶対に放すまいとさらに力を込める。
 ドロシーはどうにか『妖怪との契約法:初級編』を左手で取ろうとする。僕はそれを阻止しようと左手首もつかむ。
 僕は絶対に悟られたくなかった。自分が式神を欲してるなんてことは。今までのドロシーの言動から、『アンタに式神なんてできるはずないじゃない。頭のねじでも外れたのかしら』と言われる様子が目に浮かぶ。本当はドロシーに、いや、妖怪なら誰でも式神になってほしい。しかし、そんなことを本人に言ってしまったら、また女々しい姿をさらすことになってしまうだろう。そして、僕のプライドはずたずたにされるのだ。
 「ドロシーには必要ないでしょ」
 「ちょっと気になるだけよ。いいから貸しなさい」
 ドロシーは依然として本をロックオンしたままだ。それどころか、先ほどよりも『妖怪との契約法:初級編』に執着している気がする。
 「何でそんなに拒むのよ。別にいいじゃない。一冊ぐらい」
 「駄目なの」
 ドロシーが目に見えて不機嫌になっていく。それでも、僕は放さなかった。
 「いい加減に放しなさい。この変態」
 ドロシーが叫び声をあげて僕の腕を振り切った瞬間、得体のしれない何かが僕の両手首を縛りつけた。
 僕は思わず叫びそうになる。どうにかほどこうとするも、結び目自体が見つからない。その『何か』は霧のように原形らしきものがなく、黒く沈んでいた。
 「じゃあ借りるわね」
 僕は黒い『何か』を力ずくではずそうと四方八方動かしてみる。しかし、外れる気配は全くない。それどころか、手ごたえが全く感じられない。引っ張っているという感触自体感じられない。
 「言い忘れてたけど。それ、絶対に切れないわよ。どんな武器を使ってもね」
 ドロシーが『妖怪との契約法:初級編』のページを一つ、また一つ、とめくりながら付け加えた。僕が混乱していることを全く無視して。
 「なに、このページ。血が付いてるわよ」
 「いや……。その……」
 興奮のあまり無意識に付けてしまいました、とは言えるはずもなく、ただ苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

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