式神方程式

□謎の笑み
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 朝目が覚めた時、ドロシーの姿はどこにも見当たらなかった。それどころか、昨夜のことが現実なのか夢なのかさえ判断出来なかった。なんせ、ドロシーがここにいたという証拠はどこにもないのだから。しかも、妖怪がこの部屋に侵入して、僕と友達になったということ自体非現実的だ。だからか、どうも昨夜のことが本当に起きたとは思えなかった。
 しかし、僕はしっかりと覚えていた。ドロシーの意地悪そうな口調を。彼女と友達になったことを。そして、彼女が最後に見せた、あの寂しそうな笑顔を。
 「おいっ、炎魔。聞いてるのか」
 僕は先生の怒鳴り声を聞いて、自分が深く考えすぎていることに気付いた。先生の怒声がなければ、僕はいつまでも考えていたことだろう。
 今日は日曜日だということで、先生が一階の書斎で陰陽師について教えてもらっていた。先生は国立陰陽師養成高等学校で教師をやっているらしいので、ご厚意で授業を受けさせてもらっている。本当は国立陰陽師養成高等学校に通った方が効率はいいのだが、僕はそこに行きたくなかった。あんなことがあった後では、学校という概念のある所に行く気にはなれなかったのだ。そもそも、僕は中学三年生に相当する年齢なのでそこに行けない。だから、僕としては先生の親切が嬉しかった。授業が妙に難しいことは好ましくないが。
 「すみません」
 僕は素直に謝る。授業がつぶれてしまっては元もこうもない。それに、せっかく先生が休みをつぶして教えてくれているのだ。集中しなければ先生に対して失礼だろう。
 「じゃあ罰として昼飯買ってこい」
 僕は思わず、またか、と思ってしまった。
 先生はいつもなにかと理由をつけて朝ご飯から夜ご飯まで用意させる。僕はいつも反論するが、その言い合いに勝ったためしは一度もない。だから、僕は反論している最中も心の中ではすでに諦めていた。
 しかし、今日は明らかに僕に非があるので反論するのは失礼だろう。
 そう思い、僕は先生の命令に忠実に従うことにした。
 「分かりました。いつ行けばいいですか」
 「今だよ。ほら、もう十二時半だろ」
 先生はそう言って壁に掛けられている古びた時計を指さした。
 確かに、長い針は六を示し、短い針はその正反対の位置を指していた。それに、窓からは太陽光が大量に入り込んでいる。まさにお昼時と言うべき時間だった。
 「分かりました。何がいいですか」
 「そうだなぁ。じゃあ『トゥウェンティーフォース』の唐揚げ弁当を二つな。それがなかったら適当に買ってこい」
 僕はその言葉に愕然とした。『トゥウェンティーフォーズ』の唐揚げ弁当はボリュームが半端ない。食べ盛りの僕でさえ、以前挑戦したときには半分ほど残してしまった。そんな化け物みたいな量の弁当を先生は先ほど一人で二つ食べると宣言した。そう言ったからには、先生は無理してでも食べ切るだろう。
 「わ、分かりました。それじゃあ買ってくるので二人分の昼ご飯代をください」
 僕は先生にお金を催促する。基本的に先生からはお小遣いというものを貰っていないので、何かを買ってもらうとき、もしくは買って来る時には催促する必要があった。
 「ほらよ。せっかくだからお前も『トゥウェンティーフォーズ』で何か買ってきたらどうだ」
 先生はそう言って二千円と奇妙な札の束を重ねて僕に渡した。そんな変な渡し方をされたので、僕は一瞬大金を渡されたのかと勘違いしてしまった。
 「先生」
 「何だ。お金が足りないのか」
 「いえ。そうじゃなくて……」
 僕は戸惑っていた。なぜ先生がこんな札を、しかも三十枚も、僕に渡す必要があるのだろうか。もしかして、この近辺に凶悪な妖怪でも出没したのだろうか、と。
 「ああ、この札のことか」
 ワンテンポ遅れて僕の意図に気付いたらしく、先生は軽い調子で適当に答えた。
「あくまでも護身用だ。深く考えないで適当にポケットにでも入れとけ」
 僕は先生の言葉に若干の違和感を覚えた。先生は今まで僕に護身用の武器など持たせたことがない。だから、なぜ今頃渡すのだろうかと疑問に思ったのだ。
 僕は先生の言葉に従って札をポケットにしまった。その後、僕は再び尋ねる。
 「今まではなんで護身用の武器を渡してくれなかったんですか」
 「まあ、気分だよ」
 先生から何ともふざけた答えが返ってきた。当たり前だが、護身用の武器は気まぐれで携帯させるようなものではない。しかし、先生はそんなことを気にしていないようだ。
 僕は頭を抱えながら再び尋ねる。
 「これってどうやって使うんですか」
 その質問に、先生はまじめな顔をして答えた。
 「お前に渡した三十枚の札のうち、十枚が通常の札で、後の二十枚はオレが術を込めた札だ。その中の赤い札に魂力を少し込めると火を飛ばせて、もう一つの方の青い札に魂力を込めると聖水を勢いよく飛ばせるんだ」
 先生はそう説明した後、ふざけた顔に戻して、
 「ま、使ってみればわかるさ」
と言った。
 僕は先生の説明を余すところなくしっかりと聞いたが、先生の説明はイマイチ不十分に思えた。まず、僕は魂力の込め方を知らない。そもそも、僕が魂力のことを知ったのは昨晩だ。それに、なぜ先生はドロシーが説明してくれた魂力のことを知っているのだろう。
 「魂力ってなんですか」
 僕は聞かずにはいられなかった。妖怪にとっては食糧である魂力。いったい人間にとってそれは何なのだろうか。
 「魂力ってのは陰陽師が術を使うために使う力のことだ。でもお前……、これはこの前の授業で教えたはずだけどな」
 僕は墓穴を掘ってしまったのかもしれない。まさか、もうすでに習っていたとは。こんな時、自分の記憶力の無さが腹立たしくなる。
 「まさか忘れてるのか」
 先生は目を血走らせて僕を睨みつけてきた。その顔は先生の元々のお姫様の様な顔立ちも合わさってとても恐ろしいものになってしまった。
 「いや、わ、分かります」
 僕はつい恐怖心からそう答えてしまったのかもしれない。もしくは、札を使うことはないと高をくくっていたのかもしれない。いずれにせよ、僕は後戻りの出来ないことをしてしまった。
 「そうか。じゃあさっさと行ってこい」
 先生はそう怒鳴ると、僕を書斎から追い出した。
 僕は先生の怒りが冷めますように、と願いつつコンビニへ行く準備を始めた。書斎の隣にあるリビングに置いておいた携帯電話をポケットに入れ、玄関へと向かう。
 廊下を渡りきり、玄関へとたどり着くと僕はお気に入りの白に黒いラインが入った靴を履いてドアを開けようとする。
 そんな時にふと思った。ドロシーの、あの寂しそうな笑みはいったい何だったのだろうか、と。
 もしかすると、ドロシーは何か問題に巻き込まれているのだろうか。仮にそうだとしても、僕は何も出来ない。例え、僕がいくら友達を助けたいと願おうとも。問題になど巻き込まれておらず、単に疲れていただけなのかもしれないが。
 しかし、友達ならばなぜ寂しそうな顔をするのか聞いた方が良かったかもしれない。話を聞くぐらいなら僕にも出来る。しかし、そんな後悔をしてもすでに遅い。そもそも、今は後悔している場合ではないけれども。
 僕はそんな考えを振り払うように勢いよくドアを開けた。そして、昼ご飯を買いに行く為にコンビニへの長い道のりを歩くはめになる、はずだった。
 「何だ、これは」
 目の前にはありえない光景が広がっていた。真正面にあるご近所さんの家も、雀の涙ほどしかない庭も、道端に生えている雑草も、すべてが灰色へと変容していた。まるで僕の心の中を表しているかのように。その光景は人が入っていいような場所ではないことが一目でわかるほど、奇妙だった。
 よし、戻ろう。
 そう思った僕は後ろを振り返ってドアノブに手を掛ける。
 「痛っ」
 僕の手がドアノブに触れた瞬間、手に電撃のような衝撃が走った。それは僕を拒絶しているように思える。
 その衝撃で、僕は思いだした。家には先生がつくった結界が纏っていて、先生がドアを開けない限り中には入れないことを。結界を一時的に解く専用のカギを持ってくるのを忘れたことを。
 「どうすればいいんだろう」
 そんな言葉に返答が返ってくるはずもなく、ただただ僕は奇妙な灰色の世界で途方に暮れてしまった。

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