式神方程式
□ドロシー2
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「へえー……」
僕はドロシーの含み笑いに思わずぞっとしてしまった。その笑みにはどこか僕の恐怖心を煽るものがあった。
「式神……ねぇ」
ドロシーは長い金髪をかきあげてそう呟いた。そして、人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべて話し続ける。
「アンタは術を失敗してアタシに迷惑をかけるぐらい情けないじゃない。そんな間抜けの式神になる妖怪なんているわけないわよ」
ドロシーは僕の予想通りの言葉を述べた。あまりに予想通りだったので逆に拍子抜けしてしまった。
確かに、僕はまだ陰陽師として未熟だ。しかも、妖怪に会ったのも今日が初めてだ。だから、ドロシーの言い分も当たり前かもしれない。
しかし、夢ぐらい見たっていいはずだ。そんなに言うなら、夢を壊した責任ってことでドロシーが式神になってくれよ。
僕はそう心の中で叫ぶことしか憤った気持ちを抑えることが出来なかった。
やるせない気持ちで唸っていると、ドロシーはさらに追い打ちをかける。
「まぁ。もしアンタが凄腕の陰陽師だとしても、アンタみたいな弱そうなやつの式神になってくれるもの好きな妖怪なんてそうそういないわよ」
ドロシーの言葉はものの見事に僕の心の奥底まで破壊した。
僕は今日ほど自分の見た目を恨んだ日はないかもしれない。自分よりもひと回り若そうな少女に何度もバカにされるのなんて。とは言っても、ほとんどのことが否定しようがないので、その言葉は僕の胸に深く突き刺さった。それが、なおさら悔しかった。
「そもそも、何で式神が欲しいのよ。必要ないじゃない」
確かにそうかもしれない。しかし、僕は式神が欲しい。そう、絶対に。
「僕は友達が少なかったんだ。しかも、その少ない友達とも別れなければならなかったんだ。陰陽師になるためにね」
「そう……」
ドロシーが悲しげな微笑を浮かべた。その姿は先ほどまで僕をバカにしていた面影は全くない。まるで誰かを懐かしんでいるような、そんな顔に見えた。
僕は少しばかり戸惑いながらも、彼女と目を合わせた。
「だからさ、欲しかったんだ。陰陽師になっても一緒にいてくれる友達が」
僕は先生が式神と一緒にいるところを見たことがある。僕から見て、先生とその式神は互いを信頼し合っているように見えた。まるで仲のいい姉妹のように。だから、僕も欲しかった。そんな、信頼できるパートナーが。
「全く。友達ごっこなんて陰陽師同士でやればいいじゃない」
ドロシーが呆れたようにため息をついた。そして僕を空色の、澄んだ瞳で見つめて、
「そういうことだったら、アタシが友達になってあげるわよ」
と驚きの一言を発した。
「友達って、ええ!」
僕は叫ばずにはいられなかった。友達?ドロシーが。ドロシーは僕を食ったりバカにしたりしたのに。いったいどんな心境の変化だろうか。
「僕のこと、嫌いじゃないの」
「当たり前じゃない。食事を提供してくれた恩人を嫌いになったりしないわよ」
あの状況で食事を提供したと言えるのだろうか。ただ捕食されたとしか思えないのだが。それとも何か。ご飯に感謝とかそういうレベルの話なのか。
「友達になってくれないの」
ドロシーは卑怯にも悲しそうな顔を浮かべて僕をじっと見つめた。ドロシーにそんな反応をされたので、僕は断るに断れなくなった。もともと断るつもりはないのだけれども。
「いや、そういうわけじゃ……」
僕がそう茶を濁すと、ドロシーは顔を輝かせて、
「じゃあアタシと友達になりなさい」
と命令した。
そんなドロシーに対して、僕はただ頷いて唸ることしか出来なかった。
「じゃあ、アタシは帰るわね。もうこんな時間だし」
ドロシーがそう言ったので、僕はふと壁にかかっている時計を見た。
時計は信じられないほど遅い時間を示していた。気絶してる時にかなりの時間が経っていたらしい。よく考えたら気絶したまま寝た方がよかったような気がする。もしそうなったら、こうしてドロシーと話すことはなかったのだが。
そのことを尋ねると、
「仕方ないじゃない。魂核を間違って傷つけたと思ったんだから」
と苦笑いと困り顔を足して二で割ったような面持ちで答えた。そして、いたずらをした少年のような顔を浮かべて言い放った。
「それに、アンタとも話したかったしね」
僕はキツネにつままれたような気分だった。心なしか心臓がドキドキと大きい音を鳴らしている気がする。
「じゃあ、もう帰るわね」
ドロシーは立ちあがってそう告げた。
「もう行くの。疲れてるみたいだし、泊っていきなよ」
僕は純粋にドロシーを心配していた。ドロシーの服は一見きれいに見えるが、よく見ると所々ほつれていたり、長旅にでも言ってきたかのように土汚れがついていたりしている。しかも、ドロシーは行き倒れの様な状況で僕の部屋に来たのだ。ここで帰すのは人として間違っているように思えた。
しかし、なにか誤解されたのか、
「な、何考えてるのよ。それ、はずしてあげないわよ」
とドロシーは迷惑にも叫び声を上げた。さらに、怒りを露わにして叫び続ける。
「よく考えてみなさい。アタシは一応女の妖怪よ」
僕は思わず口を押さえて、しまった、と思った。これでは、また変態なんて言われる。さっき友達になったのに、早速絶交されてしまう。
「ごめん」
僕はドロシーに深く頭を下げた。
「わかればいいのよ。わかれば。あと、手を貸しなさい。帰る前に術を解いていくから」
そういえばこの黒い手錠はいったい何なのだろうか。ビクともしないどころか力を入れている感覚さえない。彼女の妖怪としての力なのだろうか。
ドロシーが手錠に触れた瞬間、黒い何かは雪のようにはかなく消えていった。そして、ドロシーは部屋の窓を開けてその縁に足を掛けた。夜風が部屋吹き込んできて妙に涼しく感じる。
ドロシーは僕の方に振り向いてほほ笑んだ。
「ありがとう。色々と助かったわよ」
「うん。また来てね」
ドロシーは何を思ったのか、下にうつむいてしまった。そして、顔を上げて、
「ええ。またからかいに来るわよ」
と花が咲いたような笑顔を僕に向けた。しかし、その笑みは無理してつくったと思ってしまうほど寂しそうで、どこか影が差していた。
『はい、バレンタインのチョコ』
僕はその笑みを見た瞬間、結衣の言葉が頭によぎった。なぜその言葉を思い出したのか分からない。ただ、結衣がこの言葉を言った時もドロシーと同じような笑みを浮かべていた。それを思い出した瞬間、僕は締め付けられるように胸が苦しくなった。
「じゃあね、炎魔。さようなら」
ドロシーははかなげな微笑とともに僕に背を向け、そのまま窓から飛び降りていった。