式神方程式
□プロローグ
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「ど、どうして」
僕は目の前で横たわっている結衣に問いかける。しかし、反応は全くない。さっきまでうるさくわめいていたのに、今ではその姿が幻だったのではないかと思えるくらい静かに眠っている。
「うぅ……」
結衣が何かの病に侵されたかのように苦しそうにうめいた。さらに、さっきまでの安らかな寝顔とは対照的な苦痛を顔に浮かばせていた。
結衣、僕にとっては唯一無二の親友。この世で一番大切な人であり、絶対に失いたくない存在。そんな結衣が今目の前で苦しんでいる。今すぐするべきことはあるはずなのに……。
僕はなぜかまるで金縛りにあってしまったように、指を一本も動かすことが出来なかった。今は結衣を助けるためにいち早く保健室の先生を呼んで、すぐにどこかの病院に診てもらうようにしてもらうべきなのに。しかし、ある疑念が僕を凍らせていた。
『ウザいんだよ、お前。失せろよ』
結衣が倒れる前に言った、僕の心ない暴言。人間がそんな事を言われただけで倒れるとは思ってはいない。しかし、もしかして、と疑ってしまう。僕のせいで結衣がこんなことになってしまったのだ、と。
「ぅぅ……」
結衣は再び力なくうめいた。白く透き通った手や脚はさらに白く透明に近づいている。少し赤みがかった頬は青白く変色しており、額には冬であるにも関わらずに多量の汗を滲ませていた。そんな結衣からは、生気というものが微塵も感じられなかった。
「早く、誰か先生を」
「大丈夫、橘さん」
クラスメート達は現状を理解したのか、結衣の友達二人が先生を呼びに、そして結衣の他の友達は結衣の側へと駆け寄り、その他のクラスメートは遠巻きに僕らを見ていた。結衣の側に駆け寄った方の友達はどうしていいかわからないようで、きょろきょろと辺りを見回しては結衣に視線を落として心配そうに見つめていた。僕はそんな彼女らの行動を見て胸の奥がとてつもなく苦しくなった。
だからだろう。その光景を見届けた後、僕が教室から飛び出したのは。
僕は単にパニックを起こしていただけかもしれない。もしくは、自分が結衣を苦しめているのかもしれない、という疑念が僕に罪悪感を与え続け、それに耐えられなくなったからかもしれない。しかし、僕は自分がなぜそんな最低な行為に及んだのか分からなかった。僕も結衣を介抱していた人達と同じように、いやそれ以上に結衣の事を大切に思っているはずなのに……。
僕は教室を出てから職員室に行こうともせずに階段を上り、ついには屋上の扉の前まできてしまった。
そこでふと思い出した。屋上の扉は何か特別な行事がある時のみ、一般生徒に開放される事を。
僕はダメもとでドアノブをひねってみる。すると、いつもは鍵がかかっているはずなのに今日に限ってかかっていなかったのか、すんなりと屋上へと入れた。
屋上の扉を閉めて、僕はそこに寄りかかった。走って疲れたからか、ほぼ尻もちを突くような形でだった。
「あれっ……」
座りこむと同時に視界が歪む。さらに、生温かいものが頬をつたっていく。
情けないな、尻もちをついたくらいで泣くなんて。
そう思うようにしようとしたが、ごまかせなかった。むしろ、自分の情けなさ、卑怯さを改めて実感した。何より、この苦しい感情をごまかせるはずがなかった。
ごめん、結衣。本当に、ごめん。
僕はもう届かないその思いを、何度も何度も心の中で唱え続けた。