春が来れば
□昔昔
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昔昔のことです。
人も寄り付かぬ山奥に、小さな少女と大きな狐がおりました。
少女は飢饉の村から神に捧げられた生贄でございました。
何故生贄に選ばれたかといいますと、彼女には霊感…多大な霊力が備わっており、いつも常人には見えぬものと会話をし、村人に気味悪がられていたためでございました。
一方、大きな狐は山の祠に祀られた太刀の付喪神でございました。
平安に打たれたその太刀はその銘を小狐丸といいました。
小さな少女は大きな狐をまるで家族のように慕い、大きな狐にとっては自分の姿を見ることのできる少女を主と慕い、1人と1振りは人と神の関係にとどまらず仲つつまじく過ごしたのでした。
しかし少女が生贄として山に入った後も、村の状態まったく改善されませんでした。
村人たちは少女だけでは生贄が足りなかったと考える一方で、少女1人の生贄で飢饉をどうにかできない神への不満を募らせました。
何故ならもう村に幼子は1人もいなくなってしまったからです。
理由は、腹を空かせた幼子や母の腹に宿った命が大きく育つことができなかったこと。
やがて村人の悲しみは怒りへと変わり、神がこの村をひどい目に合わせて楽しんでいるのだと疑心暗鬼に取り付かれてしまいました。
そして村の備蓄も尽きて村人が多く死した頃、祠の取り壊しが決められたのです。
数人の大人が大きな道具を抱えて山に入っていきました。
山の深く、奥へと歩みを進めます。
誰も立ち入らない山奥は草木が生い茂り、村人の目の前を野生の野兎がひょこりと走り去りました。
更に足を進めると、村人が目にしたのは、何と、花が咲き乱れ動物たちが集う生き生きとした生命を感じさせる風景でした。
村はといえば、亀裂が入り枯れ果てた地面、枯れ果てた草木、枯れ果てた水源……。
村人は思いました。
少女を連れ帰れば、その霊力で村を活気に溢れた元のように変えてくれるのではないか。
少女が息絶えていたのなら、その骨を持ち帰り、供養すればいい。
祠は村に建て直して、また新たに神を祀れば良い……と。
しかし、大きな狐は付喪神と言えど神様ですから、そんな村人たちの心情に気付き、彼らを斬り伏せてしまったのでした。
何故なら彼はあの少女を大層気に入っておりました。
彼女がいなくなってしまっては、また一人寂しい時間を何年も何千年も過ごし、しかもいつ誰が見つけてくれるのかもわかりません。
それはそれは不安を感じました。
それから、山に入った村人は決して村に帰らず、他の地から山を越えようとしたものも決して戻らず、その山は恐れられ、更に人は寄り付かなくなりました。
やがて少女は死に、大きな狐は彼女の骨を山の土に還しました。
彼女の死により、一年中青々とした山の草木は四季を取り戻し、生の循環を繰り返すこととなりました。
いつしか少女の眠る場所からは大きな立派な桜の木が立ちました。
その木は毎年春になると薄紅色の山桜が咲き乱れました。
そして、その隣にはまるで木に寄り添うかのように、1振りの太刀が地に刺さっていたとのことです。
おしまい。
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