病院シリーズ(R18)
□心のリハビリ
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真っ白な部屋、真っ白なベッド。
カーテンの隙間から僅かに漏れる太陽の光が眩しい。
最初はとても不快だった消毒の匂いも最近では気にならなくなった。
現在俺がいるのは某国立病院の二人部屋。二人部屋と言ってもいま同室の患者がいないので、実質一人部屋と変わらず快適である。
今日は弟が見舞いに来ると言っていたな、と俺は怠い身体を起こしてベッドの端に座った。
俺、多賀実 知昭18歳は大学受験を控えた大切な夏休みを1ヶ月前の事故によって棒に振っていた。
乗用車との接触による右腕の複雑骨折。
右腕が利き手である受験生にとっては絶望的な大怪我。
誰しもが発狂したくなるような現実を俺は体験していた。
だが…俺の心は絶望はおろか喜びに満ちていた。
父はいま人気の凄腕弁護士。
母は国立病院の優秀な女医。
そして俺はそんな両親の熱血な英才教育によって、東京大学の医学部を受験する…はずであった。
右腕の完治にはリハビリも含め最低4ヶ月は必要になる。東京大学は4ヶ月も勉学に穴を開けておいて安易に合格できるような大学ではない。
俺はそれが嬉しくて仕方なかった。
病院での何もしない時間。
人生において、とてつもなく無駄な時間。
それが俺にとってはとても心地よかった。
今の俺は人生に疲れたと言っても過言ではないだろう。たかが高校生が何を、と思うかもしれない。
だが、物心ついた頃から家庭教師が親代わりであった俺は、もう頑張るのは寿命を縮めるだけの気がしていた。
幸い俺には二つしたの弟がいる。彼は俺ほどではないが頭の出来もいい。
両親の期待には弟が応えてくれるだろう。ならば、もういいではないか。
「はっ…」
思わず口からは堕落した自身を嘲笑うような息が漏れた。
その時、俺の病室233号室のドアをノックする音が聞こえた。
次いで聞き慣れた男の声が耳に届く。
「失礼します。こんにちは知昭くん。今日の体調はどうかな。」
そう言いながら静かにドアを開いて眠そうに部屋へと入ってきた男は、俺の顔を見てニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。
「知昭くん、また受験の事考えてたろ?すっげぇ眉間のシワ。」
人の嫌な所を的確に突いてくる、この嫌な男は名を松本真湖という。
この病院の医師、理学療法士の二つを受け持つ凄い奴で患者からの評判も良い。
「まぁ、そう気に病むなよ。4ヶ月なんて頑張り次第でどうにでもなる。左手でも勉強ぐらい出来るだろうしな。」
松本はお気の毒に、とでも言うように目を細めて俺の左肩に手を置いた。
「そんなんじゃないですよ。気安く触らないで下さい松本先生。」
肩に置かれた松本の手をサッと振り払った。
「つれないねぇ。それに松本先生なんて堅苦しいのやめてよ。」
「…じゃあなんて呼べばいいんですか。」
「んー、患者さんからは真湖ちゃんって呼ばれてるけど…それでどう?」
…真湖ちゃん。
「はい、それでは真湖さんで。」
「…却下なら却下っていいなよ。さぁ、今日も午後からリハビリだから、ちゃんとリハビリ室くるんだよ?」
「…はい。」
真湖さんはクスクスと笑いながら病室を後にした。
「…別に気に病んでいたわけではないんだけど。ただ…」
今まで親の敷いたレールばかり走っていたせいで、自分の道を歩むのが怖いのかもしれない。
「なんだかんだ言って、親に守られてたんだよな、俺。」
その呟きは誰にも届くことはなかった。
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