しっぽや1(ワン)

□分からないのに惹かれる3
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もしも自分が人間であったなら
あのお方にあんな無理をさせなかった
早く病院に連れて行って、きちんと検査を受けさせ、看病できたのではないか

病をおして犬であった自分の面倒をみていてくれたあのお方のことを思うと、いたたまれなかった
何故、自分はあのお方に世話をしてもらうだけの犬でしかなかったのか
何故、あのお方を支えることの出来る人間ではなかったのか

警察犬を引退し、失意の中で余生を全(まっと)うした自分が考えていたことは
『人であればよかった』
そのことだけであった

風のように駆け抜けたあのお方との日々を思い返す果てに、自分は静かに犬の生に別れを告げ


化生した




「お帰り大麻生、元気そうだね」
「最近は依頼件数が増えているんです
 探し出すプロの警察犬の活躍、頼りにしていますよ」
久しぶりにしっぽやに顔を出した自分に、所長の黒谷や同僚の白久が親しげな笑顔を向けてくれる。
1年以上のブランクを感じさせないその態度に、自分はホッとした。
自分がしっぽやを離れ武衆として三峰様のお屋敷に長らく滞在している間に、黒谷には飼い主が現れたのだ。
お屋敷に行く前に白久にも飼い主が出来ていたが、タイミングが悪く会えないまま移動していた。
高校生という若い飼い主を得て2人が変わっていたら、という不安はすぐに消え去ることとなる。
2人ともとても朗らかに笑うようになり、愛されている自信に満ちあふれ、幸せそうであった。

「ひろせの飼い主も高校生なんだって?」
自分が話しかけるとひろせは幸せそうな笑顔で頷き
「高校生と言っても、とても頼りになる優しい方なんです
 甘い物が好きで、僕がお菓子を作るといつも美味しそうに食べてくれるし、うんと誉めてくれるんですよ」
頬を染めてそう伝えてくる。
「そうか、それは良かった
 三峰様のお屋敷を出てすぐに飼い主が出来たと聞いたので、武衆の皆は驚いていたよ
 ひろせはタイミングが良かったのだね」
化生してから心惹かれる人間に巡り会えない自分にとって、飼い主のいる化生は眩(まぶ)しくも羨ましい存在であった。

「僕の飼い主だって高校生だけど頼りになるんだ
 ここの報告書なんかの管理をパソコンでやろうって、色々とセッティングしてくれたんだから
 大麻生も今度から報告書書いたら、日野か荒木かタケぽんに入力してもらってね
 自分たちで入力出来れば良いんだけどさ、まだそこまでは覚えられなくて
 でも取り敢えず、閲覧は出来るようになったよ」
黒谷に示された先を見ると、新しい机の上に置かれているパソコンが目に入る。

「お茶やお茶菓子の管理は荒木がしてくれていますから、好みの物があれば伝えておいてください
 空の飼い主のカズハ様が紅茶を分けてくださるし、ひろせが焼き菓子を作ってきてくれるからお茶の時間が充実してるんです
 私も荒木に食べてもらおうとひろせにお菓子の作り方を習っているので、たまに習作を持ってきますし」
「白久の作るシフォンケーキ、和のアレンジが凝ってて美味しいんですよ
 僕も負けないよう頑張らないと」
白久とひろせの言葉に負けないよう
「僕は日野のお婆様に総菜の作り方を習ってるんだ
 たまにお昼に持ってくるから、味見してみてね」
黒谷もそう言ってくれた。
「何だか自分が居ない間に、喫茶店にでもなったみたいだね」
思わずそんな言葉が口をついてしまう。
「本当だ」
3人は顔を見合わせて笑っている。
しっぽやは、以前にも増して和やかな雰囲気で居心地の良い場所になっていた。


夏休みが明けると、毎日のようにバイトに来ていた高校生飼い主達の姿が見えない日も出てくる。
日野と荒木は『受験生』でもあるので、学校と予備校で忙しそうであった。
今日は日野1人だけがバイトに来ている。
日野は何やら浮かない顔をしていて、飼い犬である黒谷と所長席で話し込んでいる。
自分は邪魔をしないように、控え室で麦茶を飲んでいた。

「大麻生、ちょっと良いかな」
そんな黒谷の声が聞こえたので、自分は事務所に顔を出した。
「仕事ではないんだけど、ちょっと協力して欲しいことがあるんだよ」
真剣な顔の黒谷に、何事が起こったのかと自分は緊張する。
「日野の写真を悪用されるかもしれない事態に陥(おちい)っている
 写真のデータ削除を条件に、金銭を要求されているんだ
 今は日野の大事な時期だから、お金で済むならそれで解決したい
 取引の場に行くのに、護衛として大麻生にも付き合って欲しいんだ」
黒谷は自分を真っ直ぐに見つめてきた。
「それは、強請(ゆすり)、恐喝ではありませんか
 警察に相談すべき案件なのでは」
自分は眉を顰(ひそ)めて見せる。
生前警察犬であった自分には『犯罪者』は唾棄すべき対象でしかない。
法の裁きを受けさせねばならない、と憤りを感じていた。
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