しっぽや1(ワン)

□夏の最後の夜〈夏の花2〉
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30日、あいにく夕方まで予備校があったので、俺と日野はしっぽやに出勤することは出来なかった。
予備校からの帰りにそのまま影森マンションに移動して、合い鍵で白久の部屋に入る。
着替えて花火やバケツを用意すると、軽食の準備をした。
軽食と言っても、コンビニで買ってきたサンドイッチやおにぎりをテーブルに並べただけである。
『自分で手早く何か作れると良いんだけど』
そう思うと、長瀞さんの凄さが実感できた。

少し早めに業務を終えた白久が帰ってくる。
「ただいま帰りました」
部屋で待つ俺に、白久が笑顔を向けてくれた。
「飼い主に待っていてもらうなんて、不思議な気持ちです
 飼い主の待つ家に帰るのが楽しみで、朝からドキドキしていました
 クロも空も同じでしたよ」
「白久は、飼い主を待ってる時間が長かったもんね」
俺はそう気が付くと白久のことが不憫に思え、彼の頭を撫でてキスをしてあげた。

「お腹空いたでしょ、コンビニのだけど少し何か食べてから行こう」
俺の言葉で白久が部屋のガラステーブルに目を向ける。
「荒木が選んで用意してくださっただけで、どんな物でもごちそうです」
嬉しそうな顔で答えられ、俺は照れてしまう。
「花火で煙の臭いが着くから、先に着替えてから食べてようか」
「はい」
素直に頷いてくれる白久が可愛くてしかたがなかった。

白久がラフな服装に着替えてる間に、麦茶を用意する。
「白久が好きそうなのを選んでみたんだけど、どうかな
 先に取って良いよ」
伺うように聞いてみると
「どれも美味しそうですね」
白久はハムサンドと鮭にぎりを手に取った。
予想が当たり、俺は少し得意な気持ちになる。
彼はどちらかというと、昔からあるようなオーソドックスな具を好むことに気が付いたのだ。

「美味しい、この焼き鮭ふっくら肉厚ですね
 やはりフレークより、少し大振りの鮭が入っている方が贅沢に感じます
 フレークは擂り胡麻と混ぜて鮭ご飯にすると美味しいのですが、おにぎりの具としては何だか地味なので
 コンビニのおにぎり、あなどれません」
おにぎりを口にした白久が、驚いた声を上げる。
海に行ったときタケぽんが言ってたことを参考にして、フレークじゃないものを選んで正解だった。
『今まで適当に目に付いた食べたい物買ってたけど、誰かのために選ぶって頭使うんだな
 でも、喜んでもらえると嬉しい』
俺はニヤケながら、ツナマヨにぎりを食べ始めた。

「花火終わってから夕飯作ったり、どこかに食べに行ったりするの面倒だと思ってカップ焼きそばも買っといたんだ
 今夜は部屋でゆっくりしよう
 夏休み最後のお泊まりだからさ」
高校生最後の夏休みが終わってしまうと思うと、残された僅かな時間が惜しく思える。
「そうですね、楽しい時はあっと言う間だと実感しました
 でも、荒木との初めての思い出が増えた有意義な夏でした
 これからも、初めての思い出が増えていくのが楽しみです
 きっとまた来年の夏も、初めての思い出が出来ますね」
「うん、今夜だって『初手持ち花火』するんだもんね」
前向きな白久の言葉で、俺も夏休みが終わる寂しさが和らいでいく。
俺達は軽く腹ごしらえをすると、花火やバケツを持ってエントランス前の広場に向かった。


「荒木」
広場に先に来ていた日野に声をかけられる。
「俺達もさっき来たとこ
 カズハさんや中川先生、タケぽんもいるぜ
 子連れじゃないと浮くかな、とか思ってたけど人数多いからそれほどでもないな」
言われて周りを見回すと、確かに子連れの姿が多かった。
「夏の花火、俺も子供の頃楽しみにしてたから子供には嬉しいイベントだよね
 でも、ペット連れは俺達だけだな」
俺がヒソヒソ話しかけると、日野もニヤリと笑う。
「タケぽん発案にしちゃ、良い考えだと思うぜ
 大方(おおかた)、花火大会に行きそびれて『ひろせの浴衣姿見れなかった』とかいう理由で思いついたんじゃねーの?
 どのみちひろせ1人で浴衣なんて着れないだろうから、花火大会に行けても見られなかったのに」
タケぽんの方を見ると、向こうもこちらを見ていて何故か納得したような顔になっていた。

「せっかくの花火だし黒谷に浴衣着て欲しかったけど、仕事の後だと時間無くて今日は諦めた
 黒谷、和風の顔立ちだから超似合うと思うんだ
 来年は前もって準備して、浴衣で出かけたりしよう
 着付けしてくれる?」
日野に言われ、側で控えていた黒谷が嬉しそうに頷いた。
「浴衣…白久も似合いそう」
俺は浴衣姿の白久を想像し、ドキドキしてしまった。
「荒木、来年は私達も浴衣で出かけましょうか」
俺の視線に気が付いた白久が、そう言ってくれる。
「白久、浴衣とか自分で着られるの?」
驚いた俺が聞くと
「はい、戦前は着物が普段着でしたから」
彼は何でもないことのように答えた。

俺は自分の知らない白久がいることに、何となくドキリとさせられるのであった。
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