しっぽや1(ワン)

□波の音が聞こえる
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side<SIROKU>

今年の夏は、荒木と海に行けることになった。
新郷から海の話を聞いてはいたが、遊びに行くのは初めてである。
飼い主と一緒に行く『海』はとても楽しそうで、私はその時を心待ちにしていた。


「これ、白久のために買った水着なんだ
 海に入るときは、これを履くんだよ
 でも、向こうで着替えるの面倒くさいしゲンさんが車出してくれるから、今回は朝から履いて行こうか
 このパーカー羽織ってればマンションの駐車場でもそんなに目立たないし
 2枚入ってるけど、イルカ柄の方を履いてきてね
 別の方は…、後で俺だけに履いてみせて」
しっぽや事務所で、荒木は可愛らしく笑うと私に着替えの入った紙袋を手渡してくれた。
「お揃いって訳じゃないけど、俺も似たようなの買ってみたんだ
 俺のは写真よりが色が派手だったけど、白久のはイメージピッタリでさ
 似合うと思うんだ」
飼い主が自分のために選んでくれたと思うだけで、喜びが湧いてくる。
「朝ご飯は私が作りますので、お腹を空かせて来てください」
「うん!楽しみにしてる」
私達は軽く唇を合わせ、微笑みあった。



海に行く当日。
影森マンションの駐車場で準備をしている私達の元に、飼い主が来てくれた。
今回は岩月様の車に乗せていただくので、ゲン様の車に乗る荒木とは海に着くまで会えない。
それでも
「白久の朝ご飯楽しみ」
そう言ってくれる荒木の笑顔に癒され、しばしの別れの時も寂しさが和らいでいった。

岩月様の車の中は、私、黒谷、長瀞、ジョンという懐かしいメンバーが揃っている。
「なんだか、何でも屋をやっていた頃を思い出すね」
隣に座る黒谷がクスッと笑う。
「結局、ジョンに教えてもらった染み抜きを仕事に役立てたことはありませんでしたね
 ペットブームのおかげで、ペット探偵の仕事が増えましたから」
私も懐かしく昔を思い出していた。
「でも、私にはとても役立つ知識になりましたよ
 ゲンはよく醤油や、果物の果汁をたらしますから
 すぐに処置できるので、助かります」
長瀞が幸せそうにクスクス笑った。
「俺が教わった岩月の知識が、ゲンの役に立ってるってさ
 嬉しいじゃないか」
ジョンは誇らしそうな顔で、助手席から運転席の岩月様を見つめていた。
「ゲンちゃん、長瀞に世話焼いてもらうの嬉しいんだよ
 しっかり者でいられるのは、甘えられる存在がいるからさ
 秩父先生と親鼻も、そうだったもんね」
岩月様は懐かしそうに微笑んだ。

「車を出していただいているお礼に、私達が朝食を作ってきました
 どうぞお食べください」
私と黒谷は保冷バッグからアルミホイルに包んだおにぎりと、おかずの入ったタッパーをジョンに手渡した。
長瀞がペットボトルの麦茶を取り出して、それもジョンに渡す。
「飼い主には爆弾おにぎりを渡したけど、運転しながらだと普通の大きさの方が食べやすいと思っておかずは別に用意したんだ
 ピックに刺してあるんで、こっちも食べやすいよ」
黒谷の説明に
「ピック!」
ジョンが大仰に反応する。
「くー、若い飼い主に合わせて横文字か
 うちはおかずは爪楊枝で刺してるってのに
 プラスチックよりしっかり刺ささるから良いんだぜ
 うずらの茹で卵とか果物とか、プラだとすっぱ抜けちゃうだろ」
「ゲンも同じことを言っていました
 うちも、爪楊枝派ですね」
ジョンと長瀞が結託して頷きあった。

「いや、ソーセージやミートボールなんかは案外大丈夫なんだよ」
「今は百均で可愛い物が売っていますから、つい買ってしまうんですよね
 手裏剣が付いたピックを使ったら、荒木に好評でした」
「マヨネーズやケチャップの入れ物も、可愛いのあるんだ
 まあ、日野にはあれじゃ小さすぎて足りないから、ミニサイズで売ってるソース類付けてるけど」
「バランも可愛いのが売ってるんですよ
 お弁当シートとか、抗菌作用の物もあるし」
力説する私と黒谷に
「2人とも、良い人に飼ってもらってる
 飼い主のために何かしたくて、しかたないんだね」
岩月様が優しい声で話しかけてくれた。

「黒谷も白久もジョンが犬として生きていた頃から、いや、もっと前から飼い主を捜してたって聞いてたからさ
 こうして誰かに飼ってもらえて幸せそうな君たちを見るのが、嬉しいんだ
 若い飼い主から『今』を教わると良いよ
 これ、ジョンが秩父先生に言われていたことだっけ
 自分が言う方に回るなんて、年取ったなー」
苦笑する岩月様に
「岩月だってまだまだ若いし、可愛いってば」
ジョンが愛おしげな目を向けていた。

以前はその瞳を向ける相手がいるジョンが羨ましくもあったが、今の私には荒木が居てくれる。
荒木がいる限り心に影が差すことはないのだと、私は幸せをかみしめるのであった。
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