しっぽや1(ワン)

□白久奮闘記
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side<SIROKU>

夏のある日。
依頼のあった柴犬をあっさり確保し飼い主の元に送り届けると、私はしっぽやへ帰還する。
真夏の太陽に容赦なく照りつけられ、げんなりしてしまった。
事務所に帰ったら控え室で涼みながらアイスを食べよう、それを楽しみに流れる汗をハンカチで拭い歩いて行く。
事務所の入っているビルが見える頃、私は仲間の気配に気が付いた。
向こうも気が付いたらしく遠くから手を振っている。
私も軽く手を上げて応えた。

「俺が出てから依頼あったの?もう達成?早いじゃん」
ミニチュアダックスを抱えた空が、小走りで近づいてきた。
「いつものお得意さまでしたから」
私は苦笑して答えた。
「ああ、あの、タローの血統か」
空は納得した顔を見せた。
タローの血統とは、ゲンの実家の隣で飼われている柴犬のことで、ゲンと長瀞の縁結びをしたり、古くは新郷の飼い主の桜様を噛んだり、何気にしっぽやに縁のある犬なのだ。
もちろん1匹ではなく、何代か代替わりをしている。
今いるのは『キンタロー』で、小さな頃からペット探偵をしている化生を見ていたせいか、気ままに散歩に出ては私達に迎えに来させていた。
キンタローの親の『モモタロー』が新郷に躾(?)られたため、今はもう猫に襲いかかることはなくなっている。
猫でも捜索に行ける異色の柴犬一族であり、しっぽやの良いお得意さまになっていた。

「俺の方は、飼い主と一緒に親戚の家に来て脱走パターン
 夏休みの風物詩みたいなもんだな
 飼い主に連絡したら、事務所まで迎えに来てくれるってさ
 愛されてんなお前
 外に出るのは飼い主と一緒じゃないと、絶対ダメなんだぞ」
空に諭(さと)されて、まだ若いミニチュアダックスは尻尾を振りながらハシャいでいた。
流石に空も苦笑する。
「飼い主と出かけられたのが、嬉しくてしょうがないのですね
 私もそうですよ
 荒木と一緒にどこかに行けるのは、本当に楽しくて幸せですから」
私が笑うと、空も笑顔になる。

「もう、前の飼い主のことより、荒木の方が大事になった?」
空が静かに問いかけてきた。
「はい」
私は自信を持って頷いて
「空は?」
少しためらい気味に聞いてみる。
1年前の夏の事件では、空の存在にも随分慰められていた。
空もまた、以前の飼い主の影を心に住まわせていたのだ。
以前の飼い主と現在の飼い主、その狭間で葛藤を抱えていた仲間であった。

「俺、カズハと一緒に街を歩いてても、もうあのお方と同じくらいの年の人間が気にならなくなったよ
 そんなことより『カズハを守らなきゃ』って思いの方が強くなった
 カズハのことだけに集中できるようになったんだ
 俺はカズハの飼い犬だ、それで、カズハは唯一の俺の飼い主なんだ」
空は誇らしそうな顔で前を見つめて断言する。
「でも一緒に歩いてるとさ『昨晩のカズハ、可愛かったなー』ってぼーっとしちゃうことあるけど」
空は私を見てヘヘッと笑った。

「それは、私も同じです
 契っているときの荒木は本当に可愛らしくて、思い出すだけで鼓動が速まりますから
 私の名前を呼ぶ声の、何と甘いことか
 私を見る潤んだ瞳は、どんな宝石の輝きよりも美しいです
 新郷に甘噛みを教えてもらってから、素晴らしい反応を見せてくれますし」
「カズハだって負けないくらい可愛いんだぜ
 仰け反ったときのノドの白さ、流れる髪の美しさ、俺を撫でてくれるときの優しい指の動き
 小さく震えながらすがりついてきたりして、いや、もう、堪んないぜ」
私達はつい飼い主について熱く語り合ってしまい、ハッとして辺りを見回した。

「人の姿は、無いですね」
「事務所まで、声は届いてないだろう」
私達はそう確認して、安堵の息を吐き出した。
人のいる場所でこの話をすることは、厳禁とされていたからだ。
聞いていたのは空が抱いているミニチュアダックスだけであった。
「飼い主に、告げ口するなよ」
空が念を押すが、ダックスは不思議そうな顔で首を傾げている。
「化生しないと、この感覚はわかりませんよ」
私が微笑むと
「だな」
空も笑顔を見せた。

夏の暑さと荒木の可愛らしい思い出で、ますます体が熱くなっていた。
「猫達には少し我慢してもらって、控え室の空調の温度を下げましょうか
 それで、アイスで一息つくのはどうでしょう」
私の提案に空は顔を輝かせる。
「良いね!さすが北国の犬、話が分かる!
 氷が入ったシャリシャリするやつ食べよ、っと」
「私はあずきのアイスにします」
私達は足取りも軽くしっぽやへの階段を上っていく。

「クロがお盆休みの間、荒木がずっと泊まりに来てくれるんですよ」
「良いな〜、カズハはお盆も仕事なんだって
 でも、早めの夏休みで昨日まで泊まりに来てくれてたけどね」
私達の心には、新たな飼い主が明るい光となって灯っていた。
その光は、これからさらに明るくなっていくだろう。

荒木と過ごす2度目の夏、それは希望に満ちあふれ輝いていた。
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