しっぽや1(ワン)

□満月を目指して
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「あの、人と話すのが苦手なのに、どうして接客の仕事を選んだんですか?」
僕は思わず、オジサンにそう話しかけてしまった。
不躾(ぶしつけ)な僕の質問にもイヤな顔を見せず、彼は少し考え込んだ後
「人と関わるのって楽しいな、って思えるようになったからかな
 そりゃ、客商売だから嫌な人とも関わっちゃうよ
 クレーマーって言うの?難癖付けてこっちから金を巻き上げようとするような人とか、日頃の鬱憤をこっちに全部ぶちまけてくる人とかさ
 それで嫌な思いをしたことも少なからずあるけどね
 でも、そんな人ばかりじゃないし、何より僕を支えてくれる人がいるから前向きになれたと言うか」
オジサンは照れくさそうに頭をかいて見せた。
「支えてくれる人…」
僕はその言葉を聞いて、子供の頃に飼っていたハスキー犬を思い出してしまった。
今もエレノアが生きていてくれれば、僕だってもっと前向きになれたかもしれないのにと悲しくなる。

俯いてしまった僕に
「誰か大切な人が亡くなってしまったのかな」
オジサンは優しく聞いてくれる。
「僕を守ってくれた、大好きだった犬がいたんです
 でも、もう死んじゃって…」
僕は答えながら、堪えきれずに泣いてしまった。
「僕もね、祖母と祖父が亡くなった後はもの凄く落ち込んで、もう一生前向きな気持ちになんかなれないって思ってたよ
 それなのに、祖父母の思い出が詰まった家を引っ越すことになって、この世の終わりみたいな気がしてた
 でも引っ越した先で、彼に出会えたんだ」
オジサンはジョンを見て、優しく微笑んだ。
それで、この人を支えてくれているのはジョンさんなんだと察しが付いた。
男の人との意味ありげなオジサンの告白は意外だったけど、2人を見ていると『イヤらしい』と言うよりは、そんな存在と出会えるなんて羨ましいと素直に思ってしまった。
「きっと、君もまた大切な存在と出会えるよ」
一般的な慰めの言葉ではあったけれど、僕はそれを聞いて救われた気持ちになっていた。

「犬、好きなの?
 なら、俺のこと撫でて良いよ
 俺、永田クリーニング店の可愛い看板犬だから」
ジョンさんが笑いながらそんな事を言って、頭を下げてきた。
戸惑ってオジサンを見ると、笑って頷いている。
僕は断るのも悪いと思い、恐る恐る彼の髪を撫でてみた。
それはエレノアのものよりフワフワした感触で、半長毛のミックス犬を撫でている気分になった。
学校の実習でよく触っているのに、僕は久しぶりに犬に触った気分になって心が慰められていた。

「また、お話ししよう」
別れ際、オジサンにそう言われ
「はい、あ、僕、樋口 一葉(カズハ)っていいます」
自己紹介していなかったことに気が付いた僕は、慌ててそう名乗る。
「僕は、永田 岩月
 彼は上弦、でも、ジョンって呼んであげて」
オジサン、岩月さんの言葉に
「ジョンって呼ばれた方が、しっくりくるんだ」
ジョンはヘヘッと笑ってみせた。


夏休みの間、僕は移動クリーニングが来ると2人に会いに行った。
犬が好きだからトリマーにはなりたいけど、接客に自信がないことを告げると
「僕も最初は戸惑うこばかりだった
 余所(よそ)のオバサンとなんか話したこと無かったから、注文を受けた後に気の利いたことも言えなくてね
 僕の父は、その辺そつなくこなせるのにさ
 どうして自分はダメなんだろうって、落ち込んだよ
 お客さんとまともに話せるようになったのは、ジョンと一緒に店番するようになった後かな
 月並みだけどカズハ君も直ぐに諦めないで、トリマーになった後、暫く頑張ってみて
 何か突き抜けるきっかけみたいな事、起こるかもしれないから」
岩月さんは、そんなアドバイスをしてくれた。

「トリマーって、犬の毛を切る人だろ?
 俺の髪も切ってみてよ」
ジョンが興味津々、と言った顔でお願いしてくる。
「人の髪とは違うから、無理ですよ
 でも姉が美容師だから、カットしたかったら紹介します」
僕は、自分より年上のこの2人とは、不思議と自然に話せていた。
きっとこの2人の持つ、人懐こくて穏やかな空気のお陰だろう。

「へー、カズハ君のお姉さんって美容師なのか
 最近白髪が目立ってるから染めてみたいな、って思ってるんだけど、美容院って僕みたいなオジサンが行っても良いのかな
 少し茶色く染めたいなー、なんて思っててね
 ジョンほど明るい色じゃなくても、焦げ茶とか
 今だと、ダークブラウンって言うの?」
岩月さんは照れくさそうに髪をいじってみせた。
「それ、岩月さんに似合いそう
 ちょっと姉に相談してみます」
「ありがとう!やってもらえるなら1回分のクリーニング代、タダにするよ」
「岩月が茶髪にしたら、俺達お揃いだ!」

ほんのちょっとの時間ではあったが、岩月さんとジョンと過ごせる時間は僕には友達と過ごす楽しいものになっていた。
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