しっぽや1(ワン)

□満月を目指して
1ページ/4ページ

side<KAZUHA>

それは、僕が影森マンションに引っ越してきて暫く経った頃のこと。
専門学校が夏休み期間中の僕は、家で本を読んだり携帯のゲームで遊んだりダラダラとした日々を過ごしていた。
「カズハ、暇ならこれ、クリーニング出しに行って
 今日は移動クリーニングが来てくれる日でしょ
 前回頼んだ分も受け取ってきてよ」
部屋のドアをいきなり開けた姉が、僕に服の束を押しつけてきた。
「えー、母さんに行ってもらってよ
 クリーニングなんて、頼み方わかんないもん」
僕は顔をしかめて答えてみせる。
「父さんも母さんも、今日は朝から伯母さん家に行ってるわよ
 あんたはいつまでも寝てたから、気が付かなかったんでしょうが」
呆れ顔の姉に
「いつまでもって、9時過ぎには起きてたよ
 夏休みなんだから、ゆっくりしたいじゃん」
僕は少しばつの悪い気持ちで言った。

「いいから、行ってきてよ
 あの店のオジサン優しいから、頼み方ちゃんと教えてくれるって
 私はカズハのお昼作ったら、店に行くからね
 ちゃんとチンして食べるのよ
 暑いからって牛乳とゼリーだけで済ませるとか無し」
そんなに年が離れていないのにしっかり者の姉に釘を刺され、しかたなさそうな感じで
「は〜い」
と言うのが、僕の精一杯の抗議であった。


マンションのエントランスを抜け表に出ると、音楽が聞こえてくる。
この曲が移動クリーニング店が来たことの合図になっているのだ。
時間が遅いせいか、店を利用しようとしている人の姿はまばらだった。
それでも僕は決心が付かず、暫く移動クリーニングの車を遠巻きに眺めていた。
店の人らしきオジサンが、お客さんと話している。
少し白髪が目立ってきているオジサンではあったが、まだ40代くらいであろうか。
姉の言う通り優しそうな人で、僕はホッとした。

「あの、すいません」
お客さんが切れたタイミングを狙い、僕がオドオドと話しかけると
「はい、いらっしゃいませ」
オジサンは穏やかに、でもニッコリと笑ってくれた。
「クリーニングを頼みたいんです…
 でも、姉の服なので素材とかよく分からなくて…えっと…」
僕がモタモタと言いよどんでも、オジサンの笑顔は変わらなかった。
「それは、こちらで確認するので大丈夫ですよ
 特に気になるシミや、ボタンが取れている部分はありますか?」
オジサンは優しく聞いてくれたけど
「え?あの、ちょっとよくわからなくて…
 特にそんなことは言ってなかったから、大丈夫…なのかな…?」
僕はアワアワしてしまう。
「そっか、お姉さんの服でしたね
 それも確認しますから、大丈夫
 それではお名前と、部屋番号を教えてください」
オジサンは僕を落ち着かせるよう、ゆっくりと話しかけてくれた。

イヤな顔をされなくて少しホッとした僕は、名字と部屋番号を告げる。
書類を確認していたオジサンは
「樋口さん樋口さん、と、ああ、前回頼まれていたものがありますね
 少々お待ちください」
そう言って、ワゴンの車内につり下げられているクリーニング済みの服の束を探し始めた。
「あれ無いな、さっきジョンに配達頼んだ中に入ってたのか
 どうやら、店の者とすれ違ってしまったようですね
 すいません」
「いえ、僕が早く来なかったから、お手間取らせてすいません」
謝り合っている僕達の元に
「ただいまー、7階までの配達済ませたぜー」
そんな陽気な声と共に、一人の人物がやってきた。

「お帰り、ジョン
 さっき配達頼んだ物の中に、樋口さんの入ってた?」
「樋口…?ああ、あのお姉さん
 そうそう、ちょうど出かけるために家から出たところで渡せた人だ
 ナイスタイミング!きっと日頃の行いが良いんだぜ」
ジョンさんは屈託の無い笑顔をみせる。
明るい茶髪にハーフみたいな顔立ちでイケメンって感じの人なのに、人懐っこそうな瞳が暖かい雰囲気を醸し出している不思議な人だった。
「お預かりしていた物は、お引き渡し済みのようです
 では、こちらの受付だけいたしますね」
オジサンに持ってきた服を示されて
「え?ああ、えと、はい、それでよろしくお願いします」
僕は慌てて頭を下げた。
「4着で4200円です」
「は、はい、財布、財布」
僕は財布を取り出してお金を払うのに、またモタモタしてしまった。
そんな僕をジョンさんはジッと見ていて
「この人、昔の岩月みたいで懐かし可愛い!」
そう言ってニッコリと笑った。

「ジョン」
窘(たしなめ)るようにオジサンに呼ばれても
「今の岩月だって、可愛いけどね」
ジョンさんはヘヘッと笑っている。
「すいません」
オジサンは苦笑しながら僕に謝った後
「僕もね、昔は人と話すのがすごく苦手だったんだ」
内緒話のように小声でそう告げてきた。
驚いて見つめる僕に
「自分が接客する仕事に就くなんて、考えもしなかったよ」
悪戯っぽい笑顔で話しを続ける。

僕はその時初めて『この人と、もう少し話してみたいな』と思った。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ