しっぽや1(ワン)

□上弦の月〈4〉
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その後、光男氏に教わりながら俺は初めて『接客』というものをやってみた。
覚えることはいっぱいあった。
お客がこの店を利用するのは初めてか確認し、2度目以降であれば顧客ファイルから用紙を探して情報を書き加えていくのだ。
預かった物の種類、目立つシミの位置、ボタンやホックが取れていないかどうかも確認する。
衣類や素材によって料金や、出来上がりの時間も違ってくる。
光男氏はその全てが頭に入っているようで、てきぱきと仕事をこなしていた。
俺は確認表とにらめっこしながら、とにかく間違えないように気をつける。
化生してから黒谷と白久に読み書きを教えておいてもらって良かった、と心の底から思っていた。
けれども、書ける漢字も少ないし、字が汚いのが恥ずかしかった。

「ジョンは、何かお店で働いていたことがあるのかい?
 接客上手いね」
お客の切れ間に、光男氏がそう話しかけてくる。
「いえ、初めてです
 俺、何でも屋より工事の仕事ばっかりやってたから」
俺は頭をかいてそう答えた。
いつかあのお方のお役に立てるんじゃないかと工事の仕事に精を出していたが、今は岩月の役に立ちたいので真剣にこの仕事を覚えたいのだ。
「じゃあ、筋が良いのかな
 来たばかりでなんだけど、午後は岩月と一緒に店番やってみてもらっていいかい?
 そうすれば、昼ご飯の後、俺とカミさんで作業できるからさ
 さっき大口の客が来たろ、こりゃ夜中までかかると思ってたんだが、昼から2人でやれば夜には終わりそうだ
 岩月は確認種類なんかは完璧に覚えてるんだけど、接客の方がどうも苦手なんでな
 ジョンと岩月、2人でやれば補いあえるんじゃないか」
「わかりました」
光男氏の言葉は、俺には嬉しいものであった。


お昼時間の少し前に帰ってきた岩月と2人で、用意してもらったお昼ご飯を食べた。
それは、まん丸のお好み焼きだ。
1人1枚用意してくれていたので半分こは出来なかったが
「満月メニューだね」
岩月がそう言って笑ってくれたので、俺は嬉しくなる。
「午後は僕達で店番だって
 お父さん、ジョンのこと接客向きだって誉めてたよ」
「まだ確認すること完璧に覚えてないから、迷惑かけちゃうかも
 お客さんの名前の漢字がわからないし、字も汚くてごめん
 でも俺、頑張るよ、色々教えて」
岩月に幻滅されたくなくて、俺は焦って言い募った。
「書類は僕が書くから、接客をお願いして良いかな」
上目遣いに聞いてくる岩月に
「任せて!」
俺は頼もしく頷いてみせた。

食べ終わった岩月はお茶を飲んで一服した後、食器を持って台所に移動する。
それから、お好み焼きを焼き始めた。
「これ、お父さんとお母さんのお昼ご飯なんだ
 僕が作れば、2人に出来立てを食べてもらえるからね
 焼きそば、チャーハン、ラーメンとか、簡単な物しか作れないけどさ
 お爺ちゃんに教わった野菜炒めは、評判良いんだよ」
俺も何か手伝いたかったが、何をしたらいいのかわからなかった。
『普段から、長瀞の手伝いしとけば良かったな』
ここでは、自分の至らなさを思い知らされてばかりいる。
「じゃあ、食器は俺が洗うよ、それくらいなら出来るから」
俺は慌てて、流しの食器を洗い始める。
「時間まで、ゆっくりテレビでも見てれば良いのに
 ジョンって、働き者だね」
岩月に誉められると、幸せで泣きそうになる。
あのお方と暮らしていた幸福な時間が、戻ってきたような感じであった。


最初は週2日くらい手伝いに行っていたが徐々にそれが増えていき、1ヶ月もすると定休日以外毎日通うようになっていた。
光男氏は申し訳ながってお給料を出すと言ってくれたが、俺は頑なにそれを断った。
その代わりに夕飯もごちそうになることになったので、岩月と居られる時間が増えていた。
俺にとっては、それはお金には換えられないかけがえのない時間なのだ。

「従業員が増えると、楽になるなー」
夕食時、ビールを飲んで顔を赤くしている光男氏が上機嫌で言ってくれる。
岩月と居られるのも嬉しいが、あのお方の忘れ形見に誉められるのも嬉しかった。
光男氏があのお方と居るべき時間を、俺が奪ってしまっていたような罪悪感があったからだ。
「丁稚奉公みたいな使い方して、申し訳ない
 本当にお給料いらないのかい」
もう何度目になるかわからない言葉をかけられ
「ここで色々教えてもらえる方が、俺にはありがたいんです
 それに岩さんにしてもらったことのご恩返しは、これじゃ足りませんよ」
俺がそう答えると、光男氏は必ず目を潤ませるのだ。
「そうか…親父は、立派な人だったんだな」
光男氏があのお方のことを好きになってくれる手伝いができることが、嬉しかった。

「じゃあね、ジョン、また明日」
岩月は俺が帰るときは見送ってくれて、いつもそう言ってくれる。
「うん、また明日」
岩月と別れるのは寂しいが、明日の約束を出来るという状況がとても幸せであった。
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