しっぽや1(ワン)

□上弦の月〈3〉
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side<IWATUKI>

僕は、どうすれば初めて会った人と親しく会話出来るのか、よくわからない。
お父さんもお母さんもお店に初めて来たお客さんと楽しそうにおしゃべり出来るのに、僕にはそれが無理なのだ。

友達がいない訳じゃない。
友達とは普通にしゃべれるし、一緒に遊んでいるととても楽しい。
それは、友達になるまでに時間をかけて『この人は良い人だ』と思える出来事があったからだ。
楽しい時を共に過ごした積み重ねが、僕を安心させてくれるのだ。
小学校の同級生で気が合わないやつには『根暗』だってバカにされる。
でも、たとえ何と言われようと、自分のことをバカにするような人間とは親しく口をききたくなかった。

小さい頃からお店(クリーニング店)が忙しい両親に代わり、お婆ちゃんが僕の面倒を見てくれた。
お婆ちゃんの事は大好きだ。
いつだって僕に優しくしてくれるし、誉めてくれる。
町中の人と仲良くならなくたって、お婆ちゃんと友達がいれば僕には十分だった。
そんな僕の家に、今まで古い写真でしか見たことの無かった『お爺ちゃん』が帰ってきた。
写真の中のお爺ちゃんは睨むような目つきで、口をへの字に閉じて、厳つい顔をした怖い顔の人だ。
きっと、意味もなく怒鳴ったりするんじゃないか、そう考えると、僕はお爺ちゃんが怖くてしかたなかった。

初めて会ったお爺ちゃんは写真の人より年を取っていたけど、やっぱりむっつりと不機嫌に押し黙って僕達家族と居間で顔をつき合わせた。
お爺ちゃんのことをあんまり良く思っていないお父さんも、睨むように押し黙っていた。
お母さんはオロオロと2人の顔を見比べている。
お婆ちゃんはハンカチを目に当てて、泣いていた。

「今まで、すまなかった」
暫く無言だったお爺ちゃんは、畳に額をすり付けるように深く深く頭を下げた。
「あんな辛い時代、よくぞ家を守ってくれた
 本当に、本当に、苦労をかけてしまった
 すまない、すまない、すまない…」
お爺ちゃんの声は徐々に小さくなり最後は涙声で聞き取れなかったが、ずっと謝り続けていた。
「お父さん、きっと帰ってきてくれると信じてました」
お婆ちゃんがお爺ちゃんにすがって、オイオイと泣き始めてしまう。
『平和になって景気が上向いた頃にノコノコ帰ってきやがって』
と怒っていたお父さんも、困った顔でお母さんと顔を見合わせている。
頷くお母さんに促され
「お帰り…」
お父さんは小さく呟いていた。

僕はそんな大人たちの態度が不思議でしょうがなかった。
お父さんはあんなに怒っていたのに、お爺ちゃんはあんなに怖そうなのに、何で普通に話し始めることが出来るんだろう。
僕にはまだ、お爺ちゃんは怖い人にしか見えなかった。
「岩月、おまえのお爺ちゃんだぞ、挨拶して」
お父さんにそう言われても、僕は怖くてお婆ちゃんの後ろから出れなかった。
「貴方のお名前からもらって『岩月(いわつき)』と言う名前なの」
お婆ちゃんが僕を落ち着かせるように、優しく頭を撫でてくれる。
「そうか、俺に孫がいたなんてなぁ」
お爺ちゃんは泣きながら顔を歪めて僕を見た。
後から思うと、あれはお爺ちゃんなりの精一杯の笑顔だったのだ。


元から具合のあまり良くなかったお婆ちゃんは、お爺ちゃんが帰ってきてから入退院を繰り返すようになってしまった。
お婆ちゃんが入院している間は、お爺ちゃんが僕の面倒をみてくれた。
お爺ちゃんと2人で家にいるのは凄く気詰まりだったけど、黙って座ってる僕に無理に話しかけたりはしてこなかった。
そのうちお爺ちゃんは、夕方になると買い物に行くようになった。
帰ってくると僕に近寄ってきて
「岩月は、甘い物は好きかな?」
そう聞いてくる。
僕が無言で頷くと
「じゃあ、爺ちゃんと半分こしよう」
そう言って、どら焼きやあんパンを半分だけ僕に渡してくれた。
「ご飯の前に沢山食べると怒られるからな
 それに、誰かと半分こすると美味しいんだ」
お爺ちゃんに分けてもらえると、確かに美味しい気がする。
デパートの高いお菓子なのかと思ったけど、それは近所で買えるようなものばかりだった。
僕が不思議がると
「分けあえる相手がいることが嬉しくて、美味しいんだよ」
そう説明してくれる。
僕は重大な秘密を教えて貰ったようで嬉しかった。

お爺ちゃんは時々、夕ご飯も作ってくれた。
「まあ、お義父さん、すいません」
頭を下げるお母さんに
「いや、いつも簡単な物ばかりで申し訳ない
 飯場(はんば)のある現場で働いてたこともあるから、そこで覚えてね」
お爺ちゃんは照れたように笑っていた。
お父さんは
「親父が作った飯か」
そう言いながら、少し嬉しそうにビールを飲んでいる。
「美味しい」
お婆ちゃんが幸せそうに笑っていた。
お爺ちゃんが帰ってきてから、楽しい日々が続いている。

僕はお爺ちゃんのことが大好きになっていた。
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