しっぽや1(ワン)

□上弦の月〈1〉
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「ジョン、君が化生したと言うことは…
 岩さんはその…」
黒谷が言いにくそうに言葉を発する。
私も新郷も瞳を伏せた。
「わかんないんだ…俺、あのお方より先に死んじゃったんだよ
 オリンピックってのが終わった後、今度は西の方で何かあるから仕事が多そうだってあのお方が言っててさ
 宿を移って野宿なんかしながら、転々と移動してたんだ
 やっと宿をとって、あのお方が本格的に働こうか、ってときに俺、具合悪くなっちまって
 胸が痛くて痛くてさ、体の自由も利かなくなってくるし
 あのお方は病院に連れて行ってくれたけど『犬なんか診れるか』って追い返されてね
 秩父先生って、良いお医者だったんだなって、つくづく思った
 俺が蜂に刺されて顔腫らしたとき、臭い液塗られて散々な思いしたけど、あれ、薬ってやつだったんだ」
ジョンは腕を組んで頷いていた。

「そうか、万博の関係で、西は仕事が増えたんだろうね
 この辺はもう工事の仕事が少なくなって、多くの人間が移動していったよ」
「そういえば、そうですね」
私も黒谷も感慨深い思いにかられる。
「ジョン、お前、蜂になんて刺されたの?
 虫や蛙は無闇にちょっかいかけちゃダメなんだぜ
 毒持ってる奴がいるんだ、下手すりゃ死んじまうぞ
 俺はちゃんと、あのお方に教わったからな」
山育ちの新郷が、呆れた顔をみせていた。

「でさ、いよいよ身体が動かなくなって死の淵が見えたとき、俺、考えたんだ
 犬になって生まれ変わるより、君らみたいな身体になった方があのお方の役に立てるんじゃないかってさ
 そうすれば一緒に焼鳥屋にも定食屋にも入れるし、宿では玄関先に繋がれないで部屋の中に入れるんじゃないかってね
 どうすれば良いかわかんなかったけど、明るい方に行かないで『化生したい』って強く思ったらトンネルが見えてきて
 きっとこの先に何かあるって早足で歩いていったら、いつの間にか人の姿になって三峰様に出会ったって訳」
ジョンはヘヘッと笑った。
「小走りで飛び出してきたから、本当に驚きましたよ
 化生を知ってる、知り合いがいるんだ、何て言うし
 貴方達以外あり得ないだろうと思っていたら、そんな経緯(いきさつ)があったのですね」
三峰様は私達を見て優しい笑みを浮かべた。

「あのさ、あのお方がどこにいるか、知らない?
 連絡っとってない?
 俺、西の方の宿がどこにあるかわかんないんだ
 地名とか住所って、気にしたことなかったから
 もう、その宿も引き払っちゃったかもしれないし…」
うなだれるジョンに、私達はかける言葉がなかった。
誰も、岩さんの現在の所在など知らなかったからだ。

「私達は知りませんが、秩父先生ならどうでしょうか」
私はそのことに思い至る。
「そうか、人間同士なら何か知ってるかもしれないね」
黒谷も明るい顔をみせた。
「秩父先生と、まだ連絡取ってるの?
 なら聞いてみてもらえないかな、あのお方のこと」
ジョンは瞳を輝かせる。
「知ってるも何も、あの人は親鼻の飼い主になってくださったんですよ
 今でも私達のために、色々と便宜を図ってくださってます」
私の言葉に
「そっか、1人デカいのが居ないと思ってたんだ
 飼い主が出来たのか」
ジョンは驚いたような、羨ましそうな顔を見せるのであった。

「秩父先生のとこには次の休診日に遊びに行くことになってるから、一緒に行って聞いてみようぜ
 おやつにケーキ出してくれるんだ
 ケーキ、食ったことある?
 甘くって最高に美味しいぜ!焼き鳥とはまた違う美味さ!」
新郷が満面の笑みになる。
「ケーキ…あのお方に話には聞いたことあったけど、食べたことはないや
 甘いものなら、どら焼きとかあんパンを分けてもらったことあるよ
 美味しかったな、あのお方との半分こ
 俺達、2人で満月だったんだ
 知ってる?満月の半分って上弦と下弦(かげん)って言うんだぜ
 あのお方が教えてくれた
 俺は上弦で、あのお方が下弦
 だから、上弦って本当に俺のもう一つの名前なんだ
 三峰様にその名を頂いたときは、何で知ってるのかとビックリしたな」
ジョンは過去を思いながら、遠い目をした。
「そうでしたか…良いお方に飼われていたのですね」
三峰様に優しく言われ
「はい、あのお方は最高の飼い主です!」
ジョンは誇らかな顔で頷いた。

「よし、じゃあ日曜日は皆で秩父先生のとこに行こう
 きっと親鼻が喜ぶよ
 ジョンが秩父先生に診てもらってなければ、岩さんが親鼻を秩父診療所に連れて行かなかったろうし
 そうしたら、2人は出会えなかったからね」
黒谷の言葉に
「そうそう、親鼻の正体がバレて戻ってきた後、迎えに来た秩父先生は玄関先に繋がれているジョンを見て宿が判明したって言ってました
 貴方は2人を2度も引き会わせてくれたのですよ」
私も微笑んで後を続けた。

私達の言葉に、ジョンは照れくさそうに頭をかくのであった。
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