しっぽや1(ワン)

□淡い初恋?
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side<ARAKI>

土曜日、バイトの後に白久の部屋に泊まりに行くのが、今の俺の最大の楽しみになっていた。
夏休みになったら頻繁に行けば良いのだが『予備校に通う』ということを考えると、何だか忙しない気分になってしまう。
それならば『勉強は夏休みになってから』と区切りをつけて、今は白久と過ごす時間を思い切り楽しもうと決めたのだ。
『まあ、夏休みだって息抜きに白久のとこに行くけどさ』
予備校に行く決心をするものの、何だか言い訳がましいことを考えてしまう自分の意志の弱さが少し情けなかった。


梅雨明けから再開された犬のしつけ教室が盛況で、土曜日の授業の後に俺と日野が事務所に行くと室内は参加希望者で込み合っていた。
「皆さん、帽子と飲み物は持ってきましたか?
 あまり激しい運動は避けますので、なるべく日陰で過ごしてください
 夏期は夕方からの開催にしようか思案中ですので、最後に行う参加可能時間のアンケートにご協力ください」
空がてきぱきと書類を配り参加者を誘導して事務所を出ていくと、やっと落ち着いた雰囲気のいつもの室内に戻った。

「空、ずいぶん手慣れた感じになってきたね」
控え室の冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出してグラスに注ぐと、俺は一気に飲み干した。
日野にも手渡すと彼も一気に飲んでいる。
「今日は暑いからなー、水分補給の他に参加者に塩飴でも配った方が良いかもな」
もう一度グラスを麦茶で満たし、俺と日野は控え室から事務所に戻った。

「タケぽんはまだ来てないの?」
所長席に座る黒谷に日野が話しかける。
「タケぽんは家の用事で、今日は休みなんだ」
「でも、明日は昼前から来てくれるんです」
事務所にいるひろせが笑顔を見せた。
羽生もだけど、ひろせはここ最近とてもキレイになっている。
おっとりと温厚そうな雰囲気はそのままなのに、今までとは違う艶やかで煌びやかな空気を感じることが出来た。
『タケぽんこないだ誕生日だから、ってひろせのとこ泊まりに行ってたっけ』
『猫の化生って、露骨に化けるなー』
俺と日野はつい小声でそんなことを言いあってしまう。

日野はハッとした顔になると
『もしかして、黒谷も俺が飼ってから格好良さに磨きがかかってる?』
こっそりと、そう聞いてくる。
しかし思い返してみても、特にそんな印象は感じなかった。
『格好良くなったと言うより、朗らかになった?
 初めて会ったときとか、飄々(ひょうひょう)とした人だなって思ったかな』
俺はそんな返事を返しながら『いや、初めはここの事務所って危ない人の集団って感じだったっけ』そんなことを思い出していた。
白久は俺が飼い始めてから『幸せそうに笑うようになった』とゲンさんが言っていた。
『犬と猫って、やっぱ違うんだな』
俺達はそう納得するのであった。

「白久は捜索?なら俺が留守番してるから2人はランチ行ってきたら?」
俺が言うと
「いや、シロと羽生には今、お使い頼んでるんだ
 そろそろ戻ってくると思うんだけど
 テイクアウトにするとピザが半額になるチケット貰ったからさ
 ランチは皆でピザ食べよう」
黒谷はにこやかに答えた。
「やったー!美味しそう
 あ、でも、空がうらやましがるかな」
日野がそう言って舌を出す。
「大丈夫、あいつ、今夜はカズハ君のお家で夕飯ご馳走になるとか言ってたから
 そーゆー日は、ランチ少な目にしてるんだよ
 何だかカズハ君のご両親に気に入られたらしくてね
 あんなバカ犬を気に入ってくれるなんて、心の広い人達だ」
黒谷は感に堪えない、と言った感じで頷いている。
「婆ちゃんと母さんも、黒谷のこと気に入ってるからね」
慌てて言う日野に、黒谷は嬉しそうな顔になった。

俺はそんな彼らが少し羨ましくなる。
『前よりマシになったけど、親父、色々うるさいし
 白久のこと気に入ってる感じじゃないもんな』
そう考えると、白久が少し不憫になってくる。
気落ちしてきたところに

コンコン

ノックの音がして、大荷物を持った白久と羽生が帰ってきた。
「荒木!荒木のお好きなシーフードミックス、買ってきましたよ」
嬉しそうな笑顔を向けてくる白久が愛しくてたまらなくなる。
「ありがとう、暑い中、お疲れさま」
俺がキスをすると、白久はさらに嬉しそうな顔になった。

俺達は早速控え室でランチを満喫する。
「コーラとオレンジジュースも買ってきたんだ
 冷蔵庫に入れておくから、好きなの飲んで」
「水出しの紅茶も作ってあります
 ミルクを入れるとミルクティーに出来ますよ
 ガムシロもありますので、甘くしたい時は入れてください」
羽生とひろせがそんなことを言いながら、甲斐甲斐しく取り分け皿やサラダを用意してくれる。
『なんか、2人とも長瀞さんに似てきてるかも』
そう気が付いて、俺は少し笑ってしまった。
もちろん、幸せそうな笑顔も長瀞さんに似ているのだった。
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