しっぽや1(ワン)

□重なる距離
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side<KAZUHA>

ペットショップでの仕事中、僕はちょっと悩んでいた。
『うーん、次は何しよう…』
今日は雨ではないものの曇天で、しかも少し蒸し暑いせいだろうか、お客さんの姿が店内にほとんど見受けられなかった。
美容室の予約もなく、フードやペットシーツといった関連商品は棚に出し切ってしまっている。
ほとんど売れていないので、これ以上補充の仕様がないのだ。
『お店の子にご飯あげるには、まだ早いし
 シーツは換えたばかりだし』
途方に暮れた顔をしてしまっていたのだろうか
「樋口君、早いけど今日はもう上がって良いよ
 他の子も上がってもらおうかな
 この様子じゃ、私と店長がいれば十分みたい」
スタッフマネージャーの女性が、そう僕に声をかけてくれる。
「良いんですか?」
「こんな日もあるでしょ
 暑くなったらサマーカット希望のお客さんで美容室の予約がびっしり埋まるから、その時は残業してもらうからね」
彼女は悪戯っぽい顔で、ウインクして見せた。
「はい、じゃあ上がらせてもらいます
 お先に失礼します、お疲れさまでした」
「お疲れー」
そんな挨拶を交わし僕は売場を後にすると、退勤スキャンをしてロッカールームに入っていった。

『早く帰れるのは嬉しいけど、ちょっと時間が空いちゃったな』
しっぽや終業時間と僕の仕事の終了時間が一緒だったため、今日は空の部屋に泊まりに行く約束をしていたのだ。
『しっぽやで待たせてもらっても大丈夫かな
 手伝えることがあるなら、何か手伝いしたいし』
そう思った僕が空にメールを送ってみると、すぐに返信を知らせる着信音が鳴った。
『カズハ来てくれるの?こっちは開店休業だから気兼ねしなくて大丈夫だよ
 タケぽんがアイスいっぱい買ってきてくれたから、カズハも食べて!
 冷凍庫に仕舞ってあるんだ
 それと三峰様が来てるんだけど、カズハが来るかもって言ったら、また髪を結ってくれないかってさ
 何か、前に結ってもらったの気に入ったみたい』
そんな事が書いてあり、今から空と一緒にいられると思うだけで僕は顔が笑ってしまった。
着替え終わった後、店で新しいピンクのリボンを買って、ウキウキとしっぽやに向かって行った。


コンコン

ノックして扉を開けると、満面の笑みの空が出迎えてくれた。
「カズハ、お疲れさま」
力強く僕を抱きしめてくれる。
犬であれば盛大に尻尾を振りながら飛びついてくる、と言ったところだろう。
「今日はお客さん少なくて、あまり仕事をしてこなかったんだけどね
 空はどうだったの?」
僕が彼の頭を撫でながら聞くと
「こっちも依頼が少なかったよ、午前中に2件来て犬はそれっきり
 今は長瀞と羽生が組んで子猫の捜索に行ってるよ
 双子は午前中で上がってもらったし、『はんなり』ってやつ」
空はエヘヘッと笑った。

「『まったり』だろ」
黒谷が苦笑しながら訂正する。
「このような者を可愛がっていただき、本当にありがとうございます
 カズハ様には飼育料金をお支払いしたいくらいです」
ミイちゃんが恐縮した顔で謝ってくるので、僕は慌ててしまった。
「いえ、空はとても頼りになって、可愛いし、格好いいし
 最高の犬ですよ」
あわあわと言う僕を、ミイちゃんは優しい顔で見つめてくれた。

「そうだ、また髪を結いますよ
 お店で新しいリボンを買ってきたんです
 前のより濃いピンクで、縁に付いてる白いレースとの色の対比が可愛いですよ
 あ、花のモチーフの方が良かったかな
 ヒマワリとか、夏向きの新商品が色々出てるんです」
僕の言葉にミイちゃんは、はにかんだ笑顔を見せる。
「愛らしいリボンですね
 以前にいただいた物も持ってきたのですが、新しい物で結ってもらおうかしら」
ミイちゃんは持っていた巾着袋の中から、白いハンカチにくるまれた以前にあげたリボンを取り出した。
安物のリボンを大事に持っていてくれて、僕は彼女がいじらしくなってしまう。
「次にこちらに来るとき前もって教えてくれれば、もっと色々用意してきます」
僕の言葉にミイちゃんは嬉しそうに微笑んでくれた。

ミイちゃんの髪を結って、新しく買ってきたリボンを付ける。
可愛らしい顔立ちなので、ピンクが素直に似合っていた。
「こんなにきれいなストレートだから、髪に癖を付けてしまうの、もったいないですね」
「前回もすぐに直ってしまったので、大丈夫ですよ
 むしろ、自分の髪がフワフワと波打っているのを見ると、体が軽くなった気がして楽しかったです」
ミイちゃんはウフフッと笑った。
「フワフワの髪の三峰様って、あれだ、童話とかに出てきそう」
空の言葉にミイちゃんは小首を傾げて嬉しそうな顔をする。
「そうそう、旅人を狙って夜中に包丁とか研いでるざんばら髪の山姥(やまんば)って…」
空が全てを言い切る前に、疾風のようにミイちゃんが動いた。
全ては一瞬で、気が付くと壁際まで吹っ飛ばされた空が白目をむいている…
似たような光景を見たことのある僕は、曖昧な顔で笑うしかないのであった。
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