しっぽや1(ワン)

□お泊まりデート〈 B 〉
2ページ/4ページ

次に目が覚めたとき、部屋の中はかなり明るくなっていた。
カーテン越しにも既に日が高いことが伺える。
黒谷は愛おしそうに俺の顔を見つめていてくれた。
「おはよ、盛大に寝坊しちゃったね」
俺が舌を出すと
「おはようございます
 今日は休みです、ゆっくりしましょう」
黒谷は優しい笑みを浮かべる。
幸せな朝に俺の心は夜中の不安を忘れ、暖かい気持ちで満たされていった。
俺は黒谷と唇を合わせると
「おはようのキス」
そう、エヘヘッと笑ってみせた。
黒谷もキスを返してくれて幸せそうに微笑んだ。

デジタル時計は、10:15と表示されている。
「うーん、朝定食べに行こうと思ってたけど、ビミョーな時間だな」
考え込む俺に
「冷凍庫に食パンがありますので、とりあえずそれを召し上がりますか?
 手作りのリンゴジャムがまだ残っています
 ツナサラダ、ハムエッグ、ウインナーも作りましょう
 ヨーグルトもありますよ」
黒谷がそう提案してくれる。
「うん、黒谷が作ってくれるご飯、食べたい」
そう頼むと、彼は嬉しそうに頷いてくれた。

それから2人でシャワーを浴び、手分けしてご飯の用意をする。
と言っても、俺はパンを焼いたぐらいで後は黒谷が作ってくれた。
それでも、俺が焼いたパンにマーガリンとジャムを塗って渡すと
「日野の手作りですね」
黒谷は笑顔で受け取ってくれた。

俺達は食事をしながら今日の事を話し合った。
「本日は何処に行きますか?
 日野の行きたいところ、何処にでもお供しますよ」
黒谷に尋ねられ、俺は考え込む。
昨日、荒木から来たメールが気になっていたのだ。

『今日は秩父診療所に行ってきた。
 カズ先生って、一途な感じで良い人だったよ
 あの人になら、安心して化生を診てもらえると思う
 機会があれば、お前も一度は挨拶に行っといた方が良いぜ
 でも、行くなら休診日に
 他の患者さんにあんまり見られない方がいいからさ
 あそこ、医者の数を増やしてからは、休診日は日曜日だけなんだって
 診療所だけど、頑張ってる感じだった
 じゃ、明日は黒谷と楽しんでこいな!』

今日は祝日だけど月曜日だ。
秩父診療所には行ってみたいが、無理そうであった。
せっかく黒谷と出かけられるのだから単なる買い物などではなく、有意義に過ごせる場所に行きたかった。
しかしどうにも、『これ!』と言った場所が思い浮かばない。
しばらく考え込んでいたが、俺の答えを待っている黒谷の顔を見て思いついた。

「黒谷は?黒谷はどこか行きたいとこはないの?
 俺も黒谷の行きたいとこ、付き合うよ
 前に荒木が、白久にファミレスの入り方教えてあげたって言ってたし
 俺で教えてあげられる店、あるかな?
 高そうな店とかは無理だけどさ」
俺も、黒谷のために何かしてあげたかった。

「え?僕の行きたい所ですか?」
黒谷は戸惑った顔を向けてくる。
しかし、その戸惑いの中に期待が込められている事に気が付いた。
「あると言えばありますが…
 でも…、急すぎますし…」
モジモジとする黒谷が可愛くて、俺はつい笑ってしまう。
日頃しっぽやの所長として、所長のイスで悠然と構えている彼の姿とはほど遠かった。
「遠いとこ?今からだと間に合わない?」
促すように問いかけると彼は首を振る。
「いえ、近い場所です、近いのですが…」
黒谷はまだ言葉を濁して迷っている風であった。

「俺と一緒だと行きにくいとこ?」
少し意地悪く聞くと
「いえ、日野と一緒でなければ行けないところです」
黒谷は慌ててそう言った。
それから観念したように
「あの…ご迷惑でなければ、日野のお家に行ってみたいのです」
黒谷は小さな声で答える。
それは思いもよらなかった場所なので
「…俺ん家?」
呆然と呟いてしまった。

「シロは荒木の家に何度も行ったことがあって、お部屋にも入れてもらっているし、お父様に挨拶もしています
 …それが、ちょっと羨ましくて…」
黒谷は俯いて言い訳のようにそんなことを言っていた。
俺が荒木を羨ましいと思うように、黒谷も白久のことを羨ましがっているとわかると、彼のことが身近に感じられた。
「僕も、日野がどんな所で暮らしているか知りたいな、って…
 保護者の方にも、きちんと挨拶したいし」
伺いをたてるように俺の顔を見てくる黒谷に
「婆ちゃん、今日はずっと家にいるって言ってたな
 母さんは夕方には仕事から帰ってくるから、夜なら2人とも家にいるよ」
俺は笑顔で答えてみせた。

「どうせ来るなら、うちで夕飯食べてってよ!
 婆ちゃんの料理美味しいんだ
 お客さん連れてくって連絡しとけば、腕振るってくれるよ」
「急に押し掛けては、ご迷惑なのでは…」
黒谷は慌てた表情を向けてくる。
「俺も、婆ちゃんに黒谷のこと紹介して『格好いい上司だ』って自慢したい
 めかし込んで行ってね」
俺の言葉に、黒谷は頬を紅潮させて力強く頷いた。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ