しっぽや1(ワン)

□お泊まりデート〈 B 〉
1ページ/4ページ

side〈HINO〉

これまでの俺の人生、良いことなんて全然無かった。
貧しい暮らしの中、自分の体と心を売らないと生きていくことが出来ない。
屈辱的な人生だった。
そんな俺が、初めて手に入れたものがある。

『飼い犬』

今まで犬なんて飼ったことの無かった俺には、無条件で俺を好きになってくれた犬が可愛くて仕方なかった。
そしてその犬は『恋人』と呼べるような存在でもある。
俺の体だけではなく俺自身を愛してくれた彼は、化生と呼ばれる人外のモノノケだった。


「黒谷、そろそろ和尚様がお帰りになる時間だ
 俺も帰らなきゃ…」
暖かな彼の腕の中から抜け出すのは耐え難い寂しさを伴ったが、俺は何とかそう言葉を発する。
彼の胸に顔を埋め
「また、会いに行くから」
自分自身に言い聞かせるように告げた。
「黒谷、黒谷、愛してる…」
この安らぎの場所から、屈辱の場に戻らなければいけない悔しさで涙がにじんでくる。



「黒谷…」
そう呟く自分の声で、フッと目が覚めた。
誰かに抱かれている感覚に思わずギクリとする。
『しまった、黒谷の名前を聞かれたかも』
それは、寺小姓として存在している俺にとって最も危惧すべき事である。
しかし、その心配は無用のものであった。
俺を抱きしめていてくれたのは黒谷だった。
彼はルームランプの微かな明かりの中、心配そうな顔で俺を見ていた。
「大丈夫ですか、日野?少しうなされていましたよ」
黒谷の言葉に俺はハッとする。
『日野?』
夢の残滓(ざんし)で混乱していた思考が現在に戻ってきた。
『そうだ俺は和銅ではない、もう寺や村の愛玩動物ではないのだ』
未だ目に残る涙を拭いながら
「ごめん、嫌な夢見たんだ
 起こしちゃったね」
俺はそう謝った。
ベッドサイドにあるデジタル時計の数字は、まだ夜明け前であることを告げていた。

「大丈夫、今日は休みだからいくらでも寝坊出来ます
 お疲れでしょう、もう少しお休みください」
黒谷は優しく俺の髪を撫でてくれる。
『そうだ、連休を利用して黒谷のとこに泊まりに来てたんだっけ…』
屈辱の場所に戻らなくて良いことに、俺は心からの安堵を感じていた。
「寝起きは夢と現実の境が曖昧で、混乱しますね」
そんな黒谷の言葉で、俺が過去世の夢を見ていた事を彼が察しているのが知れた。
「揚げたてのメンチを買ってきて、さあ食べよう!という時に起きてしまったときは、思わずキッチンに確認に行ってしまいましたよ」
少しおどけてそんなことを言う彼が愛しくて、夢の中の嫌な感情が遠のいていった。

「黒谷…俺のこと待っててくれて、ありがと」
彼を抱きしめる腕に力を込めると、黒谷もしっかりと抱きしめ返してくれた。
「戻ってきてくださって、ありがとうございます」
少し震える声で言う黒谷が、とても健気だと感じた。
しかし、黒谷が慕っているのは『日野』である俺なのか『和銅』なのか胸の奥の方でモヤモヤとする感情が生まれていた。
自分自身のことでありながら、俺は『和銅』に嫉妬していたのだ。
化生が以前の飼い主を慕う強さを、俺は嫌と言うほど知っている。
それを利用して、俺は白久と関係をもってしまった。
自分が化生の飼い主になって初めて、あの時の荒木の不安や悲しみがわかったのだ。
黒谷の心の中がどれほど『和銅』で占められているか、考えるのが怖かった。

「黒谷」
軽く唇を合わせると、彼はそれに応じてくれる。
「ん…」
舌を絡め、より深く黒谷の唇を貪った。
「日野…」
彼に名前を囁かれるのが心地よく、『和銅』に対して優越感を持ってしまう。
「黒谷、もっと呼んで…
 もっと、もっと、俺のこと呼んで」
『和銅』ではなく、『日野』として愛されたかった。
「日野、日野、お慕いしています」
黒谷は唇を合わせながら、何度も俺の名前を呼んでくれる。
寝る前にしてもらっていたが、俺はまた黒谷を感じたくなっていた。
俺のものも黒谷のものも、とっくに激しく反応している。

「して…」
荒い息の元そう懇願すると、彼は体勢を入れ替えた。
俺を見つめる彼の瞳には、俺の姿だけが映っていた。
「日野、誰よりも愛しい、僕の飼い主」
黒谷の唇が体中を移動する。
自分の体の全てが彼のものである満足感に興奮が増していく。
何度も激しく繋がりあい、再び眠りにつく頃には空が白々と明けかけていた。

『今日も、ずっと一緒に居られるんだ』
昨夜から泊まりに来ていた俺は、その事に安らぎを感じていた。
時々泊まりに来ていたものの、時間に追われながらの逢瀬は以前の和銅と黒谷を思い起こさせて切ない気分にさせられたのだ。
「冬休みになったら、また…ゆっくり…泊まりに来るから…」
夢うつつで言う俺に
「はい、いつまでもお待ちしております」
黒谷の優しい返事が答える。
『俺って、黒谷を待たせてばっかりだな』
そんなチクリとする痛みと共に、俺は意識を手放していった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ